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	<title>灘文化堂</title>
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	<description>灘本、灘CD、灘に関する文化の殿堂。</description>
	<language>ja</language>
	<copyright>Copyright 2012</copyright>
	<pubDate>Tue, 09 Jun 2026 05:56:44 +0000</pubDate>
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		<item>
		<title>甘い予感</title>
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		<pubDate>Mon, 02 Jul 2012 08:55:03 +0900</pubDate>
		<author>library &lt;&amp;#110;&amp;#97;da&amp;#116;&amp;#97;&amp;#109;&amp;#97;&amp;#64;n&amp;#97;d&amp;#97;t&amp;#97;m&amp;#97;&amp;#46;com&gt;</author>
		
	<category>CD</category>		<guid isPermaLink="true">http://www.nadatama.com/modules/wordpress0/index.php/archives/2012/07/02/post-39/</guid>
		<description>	
水道筋の［月光レコード］が閉店する。
水道筋からは本屋、レコード店という「文化部門」が完全になくなることになる。
時代の流れとは言え、これでいいのか？水道筋。
というか、レコード店自体が灘区内からなくなった。
今残ってるのは六甲道の［ベスト］くらいだろうか。
	初めて自分の小遣いでレコードを買ったのは、阪神大石の高架下にあった
BSショッピングセンター2階の［大石音響］だった。
小学生の頃はレコードを買うという行為がとてもオトナなような気がして、
レコードを手に取り、レジまで持っていくのに相当時間がかかったような気が
する。さらに女性アイドルのレコードを買うことなんざ、純朴な男のコにとって、
相当なハードルな訳ですよ。
なにかイケナイことをしているような気分になるわけですよ。
	アン・ルイスが青谷のステラマリスインターナショナルスクールに在籍していた
ことは、海星で非常勤講師をしていた母から聞いて知っていた。
「灘区の学校に通っていたアイドル」
それだけで僕の心は海星のチャイムのようにディンドンと高鳴った。
今回ご紹介する、彼女の13枚目のシングル『甘い予感』は、後に『女はそれ
を我慢できない』『ラ・セゾン』などのロック歌謡へと向かう前のソフト路線最後の
楽曲で、作詞作曲・松任谷由実、編曲・松任谷正隆の佳曲。
	　Wow Wow Wow
　ふとつけたの　カーラジオ
　流れてくるのは　ビーチボーイズ
	それまでアカぬけない歌謡ポップスから一転してのニューミュージック。
ユーミンが思い描いたであろう湘南の空気と、アンが吸った神戸の空気が
不思議とリンクする。
	　夏がゆく頃に　恋も終わるって
　だれがきめた　悲しいこと
　私　信じない
	かつては夏になるとインターナショナルスクール（後カナディアンアカデミーに吸収）
の「お姉さん達」が長峰の堰堤に飛び込む姿が見られたそうだ。
そのすらりと伸びた白い肢体と青い目に、灘っ子のハートはわしづかみにされたという。
そんな灘の夏をふと思い出させてくれるフレーズだ。
	35年前に戻る。
ドキドキしながらBSショッピングセンターのエスカレーターを駆け上がり大石音響へ。
摩耶山のカエデのような葉っぱを髪につけて、伏し目がちのアンのジャケットを見つ
けて手に取った。
買うのか？このレコード買っていいのか？オレ。
誰かに見つかったらどうしよう。
長い時間が経ったような気がする。
レジのおじさんにもにらまれたような気がする。
でも結局は買えずに、横にあった太川陽介の『ルイルイ』を買ってしまったのだった。
これが私のレコード購入初体験だった。
そして後に『六本木心中』を聞いた時「青谷のアン」は僕の中からいなくなった。
 </description>
		<content:encoded><![CDATA[	<p><iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=wwwnadatamaco-22&#038;o=9&#038;p=8&#038;l=as1&#038;asins=B002JGMT34&#038;fc1=000000&#038;IS2=1&#038;lt1=_blank&#038;lc1=0000FF&#038;bc1=000000&#038;bg1=FFFFFF&#038;f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe></p>
	<p>水道筋の［月光レコード］が閉店する。<br />
水道筋からは本屋、レコード店という「文化部門」が完全になくなることになる。<br />
時代の流れとは言え、これでいいのか？水道筋。<br />
というか、レコード店自体が灘区内からなくなった。<br />
今残ってるのは六甲道の［ベスト］くらいだろうか。</p>
	<p>初めて自分の小遣いでレコードを買ったのは、阪神大石の高架下にあった<br />
BSショッピングセンター2階の［大石音響］だった。<br />
小学生の頃はレコードを買うという行為がとてもオトナなような気がして、<br />
レコードを手に取り、レジまで持っていくのに相当時間がかかったような気が<br />
する。さらに女性アイドルのレコードを買うことなんざ、純朴な男のコにとって、<br />
相当なハードルな訳ですよ。<br />
なにかイケナイことをしているような気分になるわけですよ。</p>
	<p>アン・ルイスが青谷のステラマリスインターナショナルスクールに在籍していた<br />
ことは、海星で非常勤講師をしていた母から聞いて知っていた。<br />
「灘区の学校に通っていたアイドル」<br />
それだけで僕の心は海星のチャイムのようにディンドンと高鳴った。<br />
今回ご紹介する、彼女の13枚目のシングル『甘い予感』は、後に『女はそれ<br />
を我慢できない』『ラ・セゾン』などのロック歌謡へと向かう前のソフト路線最後の<br />
楽曲で、作詞作曲・松任谷由実、編曲・松任谷正隆の佳曲。</p>
	<p>　Wow Wow Wow<br />
　ふとつけたの　カーラジオ<br />
　流れてくるのは　ビーチボーイズ</p>
	<p>それまでアカぬけない歌謡ポップスから一転してのニューミュージック。<br />
ユーミンが思い描いたであろう湘南の空気と、アンが吸った神戸の空気が<br />
不思議とリンクする。</p>
	<p>　夏がゆく頃に　恋も終わるって<br />
　だれがきめた　悲しいこと<br />
　私　信じない</p>
	<p>かつては夏になるとインターナショナルスクール（後カナディアンアカデミーに吸収）<br />
の「お姉さん達」が長峰の堰堤に飛び込む姿が見られたそうだ。<br />
そのすらりと伸びた白い肢体と青い目に、灘っ子のハートはわしづかみにされたという。<br />
そんな灘の夏をふと思い出させてくれるフレーズだ。</p>
	<p>35年前に戻る。<br />
ドキドキしながらBSショッピングセンターのエスカレーターを駆け上がり大石音響へ。<br />
摩耶山のカエデのような葉っぱを髪につけて、伏し目がちのアンのジャケットを見つ<br />
けて手に取った。<br />
買うのか？このレコード買っていいのか？オレ。<br />
誰かに見つかったらどうしよう。<br />
長い時間が経ったような気がする。<br />
レジのおじさんにもにらまれたような気がする。<br />
でも結局は買えずに、横にあった太川陽介の『ルイルイ』を買ってしまったのだった。<br />
これが私のレコード購入初体験だった。<br />
そして後に『六本木心中』を聞いた時「青谷のアン」は僕の中からいなくなった。</p>
	<p><iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/TDUCH8F_fck" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>
</p>
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	</item>
		<item>
		<title>その街のこども、その街のはなし（6）</title>
		<link>http://www.nadatama.com/modules/wordpress0/index.php/archives/2012/01/17/6/</link>
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		<pubDate>Tue, 17 Jan 2012 12:00:38 +0900</pubDate>
		<author>library &lt;na&amp;#100;atama&amp;#64;&amp;#110;ada&amp;#116;&amp;#97;m&amp;#97;.&amp;#99;&amp;#111;m&gt;</author>
		
	<category>DVD</category>		<guid isPermaLink="true">http://www.nadatama.com/modules/wordpress0/index.php/archives/2012/01/17/6/</guid>
		<description>	
17回目の1.17を迎えた今年、『その街のこども』の劇場版が1/14～1/27まで
十三・シアターセブンで上映されているので、昨年に引き続きその街のロケ地を
探訪してみる。
	　　美夏（佐藤江梨子）が友人「ゆっちのおっちゃん」の家へ行っている間
　　勇治（森山未來）はコンビニで時間をつぶした。
	『その街のこども』では、前半に福住通のセブンイレブン、後半に灘南通の
ファミリーマートという2カ所のコンビニが登場する。
全体的に暗いトーンの映像が続く中、コンビニの明るい照明が印象的だ。
どちらのコンビニも元々は酒屋で、勇治が雑誌を立ち読みする灘南通のファ
ミリーマートは元々「ナダ萬酒店」という屋号だった。
黒々とした酒屋独特の看板ははずされ、煌煌と光る明るい内照式の看板に
なったが、端っこの方に小さく昔の屋号が表記されていた。
	このあたりを歩くと、スパイシーな香りが鼻腔をくすぐる。
コンビニの北にある「インドスパイス」は全国にスパイスを卸している
知る人ぞ知るスパイス卸店で、そのシェアは国内のアジア系のレストラン
の70％を占めるという。
奇しくもインドからやってきた法道仙人によって開かれた摩耶山の麓から
日本全国へスパイスが届けられているというのも興味深い。
ちなみにインドスパイス・マルヤ（都通）・橋（灘南通→現在は千旦通に移転）
の3点をむすんだ三角形は「西灘カレートライアングル」と呼ばれていた。
「インドスパイス」の建物は、昭和50年頃まで「西灘温泉」という風呂屋
だった。灘南通にはもう一カ所「富士温泉」があり、たがいに定休日をずらし、
エリアに住む人々の便宜を図っていた。
どちらも、内風呂のない古い長屋やアパートが多かったこの地域になくては
ならない施設だったが今は存在しない。
	劇中、コンビニとともに鉄道をくぐる「ガード」が印象的なシーンとして
使われている。
二人が三宮から灘に向かう途中にたこ焼きを買うガードでは、高架上を走る
列車の轟音と震災の時の音が美夏の記憶の中で重ね合わされ、その次の阪神
西灘駅のガードでは、勇治がガードをくぐり抜けるとトラウマになって
いる震災の記憶が蘇った。
灘南通のコンビニを出た勇治が、六甲風の郷公園へと戻るときに抜ける薄暗い
ガードの正式名称は「森村架道橋」という。このそっけないガードは震災前
まで歩車道の区別のないトンネルだったが、平成10年に市道国魂線にあわせて
拡幅された。
灘区民でも森村という地名は聞き慣れないかと思う。
東海道本線が開通した当時、このあたりは「森」という村だった。
その後西灘村になり、昭和4年には神戸市に編入され、昭和6年に灘区に
なった。今は140年の時を越え、旧村の「森村」の地名が刻まれた銘版が、
ガード入口にひっそりと残っている。
	森村はやがて灘南通という町名になった。
灘南の地名は住吉～三宮間に明治43年に開設された貨物駅、灘駅の南に
位置することに由来する。大正6年に現在の灘駅が完成し、大正8年には
貨物駅としての灘駅は東灘駅と改称された。ということで、灘南通は本来
「東灘南通」が正しい。
「灘区にあるのに東灘とはこれいかに」などと揶揄された東灘駅（操車場）
だったが、あと1年で開業100年を迎えるという平成15年に廃止された。
平成22年、この東灘駅跡に新駅ができると発表された。
「まや駅」という仮称がつけられた新駅は、2016年に開業する予定だ。
元の灘駅があった場所に、また駅が戻ってくる。
震災をくぐり抜け、数奇な歴史が積み重なったガードをくぐって、
勇治は美夏のいる六甲風の郷公園へ急ぐ。
	『その街のこども劇場版』は十三・シアターセブンで上映中。
2011/1/14～1/27　13:10～14:33
1月17日はプロデューサーの京田光弘氏を招いての上映＋トークイベント
詳細は
十三・シアターセブン
『その街のこども』オフィシャルサイト
	震災経た若者の今　ドラマ「その街のこども」映画化（神戸新聞2010/11/24）
 </description>
		<content:encoded><![CDATA[	<p><iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=wwwnadatamaco-22&#038;o=9&#038;p=8&#038;l=as1&#038;asins=B004UNGJSA&#038;fc1=000000&#038;IS2=1&#038;lt1=_blank&#038;lc1=0000FF&#038;bc1=000000&#038;bg1=FFFFFF&#038;f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe></p>
	<p>17回目の1.17を迎えた今年、<a href="http://www.sonomachi.com/" target="top">『その街のこども』</a>の劇場版が1/14～1/27まで<br />
十三・シアターセブンで上映されているので、昨年に引き続きその街のロケ地を<br />
探訪してみる。</p>
	<p>　　美夏（佐藤江梨子）が友人「ゆっちのおっちゃん」の家へ行っている間<br />
　　勇治（森山未來）はコンビニで時間をつぶした。</p>
	<p>『その街のこども』では、前半に<a href="http://www.nadatama.com/modules/wordpress0/index.php/archives/2011/01/24/4/"target="top">福住通のセブンイレブン</a>、後半に灘南通の<br />
ファミリーマートという2カ所のコンビニが登場する。<br />
全体的に暗いトーンの映像が続く中、コンビニの明るい照明が印象的だ。<br />
どちらのコンビニも元々は酒屋で、勇治が雑誌を立ち読みする灘南通のファ<br />
ミリーマートは元々「ナダ萬酒店」という屋号だった。<br />
黒々とした酒屋独特の看板ははずされ、煌煌と光る明るい内照式の看板に<br />
なったが、端っこの方に小さく昔の屋号が表記されていた。</p>
	<p><img src="http://www.nadatama.com/modules/wordpress0/attach/lib120117_01.jpg" alt="" /></p>
	<p>このあたりを歩くと、スパイシーな香りが鼻腔をくすぐる。<br />
コンビニの北にある「インドスパイス」は全国にスパイスを卸している<br />
知る人ぞ知るスパイス卸店で、そのシェアは国内のアジア系のレストラン<br />
の70％を占めるという。<br />
奇しくもインドからやってきた法道仙人によって開かれた摩耶山の麓から<br />
日本全国へスパイスが届けられているというのも興味深い。<br />
ちなみにインドスパイス・マルヤ（都通）・橋（灘南通→現在は千旦通に移転）<br />
の3点をむすんだ三角形は<a href="http://www.nadatama.com/modules/xwords/entry.php?entryID=61&#038;categoryID=11<br />
"target="top">「西灘カレートライアングル」</a>と呼ばれていた。<br />
「インドスパイス」の建物は、昭和50年頃まで「西灘温泉」という風呂屋<br />
だった。灘南通にはもう一カ所「富士温泉」があり、たがいに定休日をずらし、<br />
エリアに住む人々の便宜を図っていた。<br />
どちらも、内風呂のない古い長屋やアパートが多かったこの地域になくては<br />
ならない施設だったが今は存在しない。</p>
	<p><img src="http://www.nadatama.com/modules/wordpress0/attach/lib120117_02.jpg" alt="" /></p>
	<p>劇中、コンビニとともに鉄道をくぐる「ガード」が印象的なシーンとして<br />
使われている。<br />
二人が三宮から灘に向かう途中にたこ焼きを買うガードでは、高架上を走る<br />
列車の轟音と震災の時の音が美夏の記憶の中で重ね合わされ、その次の阪神<br />
<a href="http://www.nadatama.com/modules/wordpress0/index.php/archives/2010/12/07/1/"target="top">西灘駅のガード</a>では、勇治がガードをくぐり抜けるとトラウマになって<br />
いる震災の記憶が蘇った。<br />
灘南通のコンビニを出た勇治が、<a href="http://www.nadatama.com/modules/wordpress0/index.php/archives/2011/06/01/5/"target="top">六甲風の郷公園</a>へと戻るときに抜ける薄暗い<br />
ガードの正式名称は「森村架道橋」という。このそっけないガードは震災前<br />
まで歩車道の区別のないトンネルだったが、平成10年に市道国魂線にあわせて<br />
拡幅された。<br />
灘区民でも森村という地名は聞き慣れないかと思う。<br />
東海道本線が開通した当時、このあたりは「森」という村だった。<br />
その後西灘村になり、昭和4年には神戸市に編入され、昭和6年に灘区に<br />
なった。今は140年の時を越え、旧村の「森村」の地名が刻まれた銘版が、<br />
ガード入口にひっそりと残っている。</p>
	<p><img src="http://www.nadatama.com/modules/wordpress0/attach/lib120117_03.jpg" alt="" /></p>
	<p>森村はやがて灘南通という町名になった。<br />
灘南の地名は住吉～三宮間に明治43年に開設された貨物駅、灘駅の南に<br />
位置することに由来する。大正6年に現在の灘駅が完成し、大正8年には<br />
貨物駅としての灘駅は東灘駅と改称された。ということで、灘南通は本来<br />
「東灘南通」が正しい。<br />
「灘区にあるのに東灘とはこれいかに」などと揶揄された東灘駅（操車場）<br />
だったが、あと1年で開業100年を迎えるという平成15年に廃止された。<br />
平成22年、この東灘駅跡に新駅ができると発表された。<br />
「まや駅」という仮称がつけられた新駅は、2016年に開業する予定だ。<br />
元の灘駅があった場所に、また駅が戻ってくる。<br />
震災をくぐり抜け、数奇な歴史が積み重なったガードをくぐって、<br />
勇治は美夏のいる<a href="http://www.nadatama.com/modules/wordpress0/index.php/archives/2011/06/01/5/"target="top">六甲風の郷公園</a>へ急ぐ。</p>
	<p><img src="http://www.nadatama.com/modules/wordpress0/attach/lib120117_04.jpg" alt="" /></p>
	<p>『その街のこども劇場版』は十三・シアターセブンで上映中。<br />
2011/1/14～1/27　13:10～14:33<br />
1月17日はプロデューサーの京田光弘氏を招いての上映＋トークイベント<br />
詳細は<br />
<a href="http://www.theater-seven.com/2012/movie_sonomachi.html">十三・シアターセブン</a><br />
<a href="http://www.sonomachi.com/">『その街のこども』オフィシャルサイト</a></p>
	<p><object width="640" height="385"><br />
<param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/EEj5inOJ6sI?fs=1&#038;hl=ja_JP"></param>
<param name="allowFullScreen" value="true"></param>
<param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/EEj5inOJ6sI?fs=1&#038;hl=ja_JP" type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="640" height="385"></embed></object></p>
	<p><a href="http://www.nadatama.com/modules/xfsection/article.php?articleid=432"><br />
震災経た若者の今　ドラマ「その街のこども」映画化（神戸新聞2010/11/24）<br />
</a>
</p>
]]></content:encoded>
	</item>
		<item>
		<title>ウルトラ警備隊、摩耶へ</title>
		<link>http://www.nadatama.com/modules/wordpress0/index.php/archives/2011/12/14/post-37/</link>
		<comments>http://www.nadatama.com/modules/wordpress0/index.php/archives/2011/12/14/post-37/#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 14 Dec 2011 20:00:28 +0900</pubDate>
		<author>library &lt;n&amp;#97;da&amp;#116;&amp;#97;&amp;#109;&amp;#97;&amp;#64;n&amp;#97;data&amp;#109;a.&amp;#99;&amp;#111;&amp;#109;&gt;</author>
		
	<category>書籍</category>		<guid isPermaLink="true">http://www.nadatama.com/modules/wordpress0/index.php/archives/2011/12/14/post-37/</guid>
		<description>	
先日、神戸新聞のサブカル企画、ウルトラセブン聖地巡礼企画関連で
灘区内のウルトラセブンロケ地を巡る取材に同行させていただいた。
灘クミンにはおなじみの第14、15話「ウルトラ警備隊西へ（前・後編）」。
全編神戸、芦屋ロケの作品だが、ペダン星人とモロボシダンが話し合う
シーン、ウルトラセブンに変身するシーン、キングジョーを倒すシーン
等など多くの名シーンは摩耶埠頭で撮影された。
映像を見ながら、山の稜線、建物のシルエット等から場所を特定していく。
今回の取材は、神戸市みなと総局の「ミナトの漢（おとこ）」の皆さんに
立ち会っていただけた。
最初はうさんくさそうな顔をしていた彼らも「ウルトラセブン」「アンヌ」
と聞いて目がキラリと輝いた。
もう、いつまでたっても男の子なんだから。
	「このモロボシダンの後ろに見えるのは100トンビットちゃうか？」
「50トンビットに打ち変えたいうことか」
など、ミナト用語が飛び交う。なんかかっこいい。
	やがてキングジョーを倒す爆弾ライトンR30が発射されたシーンに
登場する倉庫がA号上屋と特定された。15話でペダン星のスーパー
ロボット、キングジョーを倒すのはウルトラセブンではなくツチダ博士
とドローシーアンダーソンが開発した爆弾だった。
「おー、ここか！」
40年の時を越え、あの感動の場所にいることをしみじみと噛み締める。
「えーっと、ポインターがこの辺にとまって、アンヌがこの辺にいて…」
目の前にあるのはまぎれもなくウルトラセブンの1シーンだった。
	A号上屋の横には港湾労働者向けの食堂がある。
「一般の人でも利用できるんですか？」とミナトの漢に尋ねると
「使えるよ。ここは労休（港湾労働者休憩所）の中でもうまいで」とのこと。
キングジョーとウルトラセブンが戦った港を見ながら食事ができるレストラン。
これは行かねばなるまい！
	食堂の名前は「ピア　ハウス　摩耶1」という、お洒落なんだか無骨なんだか
よくわからないネーミングで、正式には「港湾労働者休憩所」というらしい。
「CAFETERIA」という表記とのギャップがいい感じ。
派手さはないが、港都神戸らしい施設で素敵。
この手の港湾施設は神戸港にはいくつかあり、灘区には他に同じ摩耶埠頭内に
「ピアハウスマヤ」がある。なぜかこちらはカタカナの「マヤ」だ。
	長テーブルとパイプ椅子の大食堂然とした店内は、昼時のピークを過ぎたのか、
意外と静かだった。壁に貼られた「港湾新聞」などミナトアイテムがハード
ボイルド感を盛り上げてくれる。
食券を買うシステムなのだが、サンプルがないので内容がわからない。
Aセットというのがあったのでそれにした。食券を出すと好きなおかずを
2品取れと言われた。
システムは社食のようでもあるが、今はやりの「社食レシピでダイエット」の
対極を行く、高カロリーおかずがずらりと並ぶ。各種揚げ物と、少し濃いめの
味付けの煮魚や焼き魚、出し巻き玉子など、いかにもミナトの漢（おとこ）が
食べそうなラインアップが頼もしい。
鯖の塩焼きとコロッケを選ぶ。味噌汁とご飯、香の物がセットされて500円。
まわりを見るとカレーを食べている人が多い。
「しまった。ミナトはやっぱりカレーか？」
また今度食べに来ることにしよう。
	ウルトラセブンに登場した、A号上屋が見える場所に席を陣取った。
「いただきまーす」
	小さなカツはヒレカツだった。
ヒレカツをパクリと食べて、窓の外を見る。
「キングジョーはこの角度だよな。モグモグ」
	コロッケはクリームコロッケだった。
冬はクリームコロッケだよね～！と味わいながら窓の外を見る。
「モロボシダンがこの岸壁走ったんだよな。モグモグ」
	焼き鯖の塩分をつけあわせのキャベツで中和させながら窓の外を見る。
「ソガ隊員がマドロスのかっこしていたのはこっちだよな。モグモグ」
	味噌汁は海の香りがした。やはり摩耶埠頭は海草の香りが相応しい。
「アンヌもここにいたんだよな。会いたかったなあ。モグモグ」
	窓の外に40年前の情景を思い浮かべながら食べる飯は格別だった。
昼下がりのアンニュイな食堂を出ると、摩耶山がくっきりと見えた。
なぜこの埠頭を摩耶埠頭と名付けたのかわかるような気がした。
震災後すっかり風景が変わってしまった摩耶埠頭だが、
ウルトラ警備隊が見上げた山や空は、きっとあの頃のままだ。
	ごちそうさまでした！
 </description>
		<content:encoded><![CDATA[	<p><iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=wwwnadatamaco-22&#038;o=9&#038;p=8&#038;l=as1&#038;asins=4093872139&#038;fc1=000000&#038;IS2=1&#038;lt1=_blank&#038;lc1=0000FF&#038;bc1=000000&#038;bg1=FFFFFF&#038;f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe></p>
	<p>先日、神戸新聞のサブカル企画、<a href="http://www.imamoe.jp/?p=1780" target="top">ウルトラセブン聖地巡礼</a>企画関連で<br />
灘区内のウルトラセブンロケ地を巡る取材に同行させていただいた。<br />
<a href="http://www.nadatama.com/modules/wordpress0/index.php/archives/2006/10/24/post-3/" target="top">灘クミンにはおなじみの第14、15話「ウルトラ警備隊西へ（前・後編）」</a>。<br />
全編神戸、芦屋ロケの作品だが、ペダン星人とモロボシダンが話し合う<br />
シーン、ウルトラセブンに変身するシーン、キングジョーを倒すシーン<br />
等など多くの名シーンは摩耶埠頭で撮影された。<br />
映像を見ながら、山の稜線、建物のシルエット等から場所を特定していく。<br />
今回の取材は、神戸市みなと総局の「ミナトの漢（おとこ）」の皆さんに<br />
立ち会っていただけた。<br />
最初はうさんくさそうな顔をしていた彼らも「ウルトラセブン」「アンヌ」<br />
と聞いて目がキラリと輝いた。<br />
もう、いつまでたっても男の子なんだから。</p>
	<p><img src="http://www.nadatama.com/modules/wordpress0/attach/lib111214_02.jpg" alt="" /></p>
	<p>「このモロボシダンの後ろに見えるのは100トンビットちゃうか？」<br />
「50トンビットに打ち変えたいうことか」<br />
など、ミナト用語が飛び交う。なんかかっこいい。</p>
	<p>やがてキングジョーを倒す爆弾ライトンR30が発射されたシーンに<br />
登場する倉庫がA号上屋と特定された。15話でペダン星のスーパー<br />
ロボット、キングジョーを倒すのはウルトラセブンではなくツチダ博士<br />
とドローシーアンダーソンが開発した爆弾だった。<br />
「おー、ここか！」<br />
40年の時を越え、あの感動の場所にいることをしみじみと噛み締める。<br />
「えーっと、ポインターがこの辺にとまって、アンヌがこの辺にいて…」<br />
目の前にあるのはまぎれもなくウルトラセブンの1シーンだった。</p>
	<p><img src="http://www.nadatama.com/modules/wordpress0/attach/lib111214_01.jpg" alt="" /></p>
	<p>A号上屋の横には港湾労働者向けの食堂がある。<br />
「一般の人でも利用できるんですか？」とミナトの漢に尋ねると<br />
「使えるよ。ここは労休（港湾労働者休憩所）の中でもうまいで」とのこと。<br />
キングジョーとウルトラセブンが戦った港を見ながら食事ができるレストラン。<br />
これは行かねばなるまい！</p>
	<p><img src="http://www.nadatama.com/modules/wordpress0/attach/lib111214_03.jpg" alt="" /></p>
	<p>食堂の名前は「ピア　ハウス　摩耶1」という、お洒落なんだか無骨なんだか<br />
よくわからないネーミングで、正式には「港湾労働者休憩所」というらしい。<br />
「CAFETERIA」という表記とのギャップがいい感じ。<br />
派手さはないが、港都神戸らしい施設で素敵。<br />
この手の港湾施設は神戸港にはいくつかあり、灘区には他に同じ摩耶埠頭内に<br />
「ピアハウスマヤ」がある。なぜかこちらはカタカナの「マヤ」だ。</p>
	<p>長テーブルとパイプ椅子の大食堂然とした店内は、昼時のピークを過ぎたのか、<br />
意外と静かだった。壁に貼られた「港湾新聞」などミナトアイテムがハード<br />
ボイルド感を盛り上げてくれる。<br />
食券を買うシステムなのだが、サンプルがないので内容がわからない。<br />
Aセットというのがあったのでそれにした。食券を出すと好きなおかずを<br />
2品取れと言われた。<br />
システムは社食のようでもあるが、今はやりの「社食レシピでダイエット」の<br />
対極を行く、高カロリーおかずがずらりと並ぶ。各種揚げ物と、少し濃いめの<br />
味付けの煮魚や焼き魚、出し巻き玉子など、いかにもミナトの漢（おとこ）が<br />
食べそうなラインアップが頼もしい。<br />
鯖の塩焼きとコロッケを選ぶ。味噌汁とご飯、香の物がセットされて500円。<br />
まわりを見るとカレーを食べている人が多い。<br />
「しまった。ミナトはやっぱりカレーか？」<br />
また今度食べに来ることにしよう。</p>
	<p><img src="http://www.nadatama.com/modules/wordpress0/attach/lib111214_04.jpg" alt="" /></p>
	<p>ウルトラセブンに登場した、A号上屋が見える場所に席を陣取った。<br />
「いただきまーす」</p>
	<p>小さなカツはヒレカツだった。<br />
ヒレカツをパクリと食べて、窓の外を見る。<br />
「キングジョーはこの角度だよな。モグモグ」</p>
	<p>コロッケはクリームコロッケだった。<br />
冬はクリームコロッケだよね～！と味わいながら窓の外を見る。<br />
「モロボシダンがこの岸壁走ったんだよな。モグモグ」</p>
	<p>焼き鯖の塩分をつけあわせのキャベツで中和させながら窓の外を見る。<br />
「ソガ隊員がマドロスのかっこしていたのはこっちだよな。モグモグ」</p>
	<p>味噌汁は海の香りがした。やはり摩耶埠頭は海草の香りが相応しい。<br />
「アンヌもここにいたんだよな。会いたかったなあ。モグモグ」</p>
	<p>窓の外に40年前の情景を思い浮かべながら食べる飯は格別だった。<br />
昼下がりのアンニュイな食堂を出ると、摩耶山がくっきりと見えた。<br />
なぜこの埠頭を摩耶埠頭と名付けたのかわかるような気がした。<br />
震災後すっかり風景が変わってしまった摩耶埠頭だが、<br />
ウルトラ警備隊が見上げた山や空は、きっとあの頃のままだ。</p>
	<p>ごちそうさまでした！</p>
	<p><img src="http://www.nadatama.com/modules/wordpress0/attach/lib111214_05.jpg" alt="" />
</p>
]]></content:encoded>
	</item>
		<item>
		<title>冬が来る前に坂</title>
		<link>http://www.nadatama.com/modules/wordpress0/index.php/archives/2011/10/31/post-36/</link>
		<comments>http://www.nadatama.com/modules/wordpress0/index.php/archives/2011/10/31/post-36/#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 31 Oct 2011 21:00:23 +0900</pubDate>
		<author>library &lt;n&amp;#97;da&amp;#116;&amp;#97;ma&amp;#64;&amp;#110;a&amp;#100;&amp;#97;t&amp;#97;&amp;#109;a&amp;#46;c&amp;#111;m&gt;</author>
		
	<category>CD</category>		<guid isPermaLink="true">http://www.nadatama.com/modules/wordpress0/index.php/archives/2011/10/31/post-36/</guid>
		<description>	
坂の細い道を　夏の雨にうたれ…
	早いもので今年ももう秋…というか冬がそこまで来ている。
フォークデュオ、紙ふうせんのヒット曲『冬が来る前に』の歌詞に出てくる
坂道は、実は灘区内の坂道だったという灘的スクープ記事が先週末の産経新聞に
掲載された。
灘区で冬が来る前にすることといえば、六甲山小学校のストーブ火入れ式か、六甲
高山植物園の小便小僧マント着せ儀式が思い浮かぶが、そうではなかった。
『冬が来る前に』は、冬を迎える前の秋の歌だと思われがちだが、冒頭で紹介した
歌詞のように物語は夏から始まる。
記事によると、紙ふうせんの後藤悦治郎氏がパートナーの平山泰代さんに王子動物園
で結婚のプロポーズをしたが断られ、失意のうちに下りた「王子動物園と葺合高校の
間の坂道」の光景を詩にしたらしい。
王子動物園の正門は原田線に面しているので、動物園を出て西の坂道を通って帰る
という経路はいささか不自然ではあるが、そのあたりのナニな事情はよしとしよう。
そんなエピソードがある坂道なのに「王子動物園と葺合高校の間の坂道」では
あまりにも味気ないので、ナダタマでは仮にこの坂を「冬が来る前に坂」と呼ぶことにする。
ちなみに2番の歌詞は秋で、王子動物園南の市電筋の歩道に積もる落ち葉がモチーフに
なっているようだ。
	昭和初期の王子公園付近の様子。赤線部が現在の「冬が来る前に坂」
	「冬が来る前に坂」は昭和4年まで、神戸市の市境だった。
旧関西学院のチャペルだった灘文学館の敷地内には当時の境界石が残っている。
坂の西が神戸市、東は神戸市に編入される前の西灘村があり、坂をはさんで神戸
高等商業学校（現神戸大学）と関西学院が対峙していた。
学生街としてにぎわいを見せた界隈には学生目当てのカフェや本屋が並ぶ、文化の
香り高い街だったという。（それと比べると、現在の灘の学生街である阪急六甲
周辺の状況はいささか寂しいものがあるが）
加納町にある神戸最古のバー［アカデミー］も、実はこの坂道から少し西の上筒井
6丁目にあった。
三宮乗り入れ以前、阪急神戸線の終点だった上筒井からは「冬が来る前に坂」を
経由して摩耶ケーブル駅までバスが走っていた。
	上筒井～摩耶ケーブル間を結んでいたバス（写真：灘百選の会）
	稲垣足穂、竹中郁、谷崎潤一郎などの文人も闊歩したかもしれないこの坂道は、
紙ふうせんの『冬が来る前に』以外にも詩のモチーフになっている。
坂道の北にある松蔭女子出身の南野陽子の自伝的一曲『春景色』には、
「坂道を上りきり　見下ろせば　ほら船の影」
とこの坂道から見える風景とおぼしき表現があるし、松蔭の南隣の海星女子大学
出身の平松恵理の『南町から』には
「真っ赤な六甲を背に港へ続く道歩いた　黙ったまま」
というこの坂道を彷彿とさせる歌詞がある。
「冬が来る前に坂」は、昔も今も詩的で絵になる坂道なのかもしれない。
	［参考記事］
紙ふうせん「冬が来る前に」　神戸・王子動物園界隈（産経新聞　2011.10.29夕刊）

 </description>
		<content:encoded><![CDATA[	<p><iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=wwwnadatamaco-22&#038;o=9&#038;p=8&#038;l=as1&#038;asins=B00005NYOC&#038;fc1=000000&#038;IS2=1&#038;lt1=_blank&#038;lc1=0000FF&#038;bc1=000000&#038;bg1=FFFFFF&#038;f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe></p>
	<p>坂の細い道を　夏の雨にうたれ…</p>
	<p>早いもので今年ももう秋…というか冬がそこまで来ている。<br />
フォークデュオ、紙ふうせんのヒット曲『冬が来る前に』の歌詞に出てくる<br />
坂道は、実は灘区内の坂道だったという灘的スクープ記事が先週末の産経新聞に<br />
掲載された。<br />
灘区で冬が来る前にすることといえば、六甲山小学校のストーブ火入れ式か、六甲<br />
高山植物園の小便小僧マント着せ儀式が思い浮かぶが、そうではなかった。<br />
『冬が来る前に』は、冬を迎える前の秋の歌だと思われがちだが、冒頭で紹介した<br />
歌詞のように物語は夏から始まる。<br />
記事によると、紙ふうせんの後藤悦治郎氏がパートナーの平山泰代さんに王子動物園<br />
で結婚のプロポーズをしたが断られ、失意のうちに下りた「王子動物園と葺合高校の<br />
間の坂道」の光景を詩にしたらしい。<br />
王子動物園の正門は原田線に面しているので、動物園を出て西の坂道を通って帰る<br />
という経路はいささか不自然ではあるが、そのあたりのナニな事情はよしとしよう。<br />
そんなエピソードがある坂道なのに「王子動物園と葺合高校の間の坂道」では<br />
あまりにも味気ないので、ナダタマでは仮にこの坂を「冬が来る前に坂」と呼ぶことにする。<br />
ちなみに2番の歌詞は秋で、王子動物園南の市電筋の歩道に積もる落ち葉がモチーフに<br />
なっているようだ。</p>
	<p><img src="http://www.nadatama.com/modules/wordpress0/attach/lib111031_01.jpg" alt="" /><br />
<font size="1"><font color="#800000">昭和初期の王子公園付近の様子。赤線部が現在の「冬が来る前に坂」</font><br />
<br />
<font size="2"><font color="#000000"><br />
</font></p>
	<p>「冬が来る前に坂」は昭和4年まで、神戸市の市境だった。<br />
旧関西学院のチャペルだった灘文学館の敷地内には当時の境界石が残っている。<br />
坂の西が神戸市、東は神戸市に編入される前の西灘村があり、坂をはさんで神戸<br />
高等商業学校（現神戸大学）と関西学院が対峙していた。<br />
学生街としてにぎわいを見せた界隈には学生目当てのカフェや本屋が並ぶ、文化の<br />
香り高い街だったという。（それと比べると、現在の灘の学生街である阪急六甲<br />
周辺の状況はいささか寂しいものがあるが）<br />
加納町にある神戸最古のバー［アカデミー］も、実はこの坂道から少し西の上筒井<br />
6丁目にあった。<br />
三宮乗り入れ以前、阪急神戸線の終点だった上筒井からは「冬が来る前に坂」を<br />
経由して摩耶ケーブル駅までバスが走っていた。</p>
	<p><img src="http://www.nadatama.com/modules/wordpress0/attach/lib111031_02.jpg" alt="" /></p>
	<p><font size="1"><font color="#800000">上筒井～摩耶ケーブル間を結んでいたバス（写真：灘百選の会）</font><br />
<br />
<font size="2"><font color="#000000"><br />
</font></p>
	<p>稲垣足穂、竹中郁、谷崎潤一郎などの文人も闊歩したかもしれないこの坂道は、<br />
紙ふうせんの『冬が来る前に』以外にも詩のモチーフになっている。<br />
坂道の北にある松蔭女子出身の<a href="http://www.nadatama.com/modules/wordpress0/index.php/archives/2007/03/02/post-13/" target="top">南野陽子の自伝的一曲『春景色』</a>には、<br />
「坂道を上りきり　見下ろせば　ほら船の影」<br />
とこの坂道から見える風景とおぼしき表現があるし、松蔭の南隣の海星女子大学<br />
出身の平松恵理の『南町から』には<br />
「真っ赤な六甲を背に港へ続く道歩いた　黙ったまま」<br />
というこの坂道を彷彿とさせる歌詞がある。<br />
「冬が来る前に坂」は、昔も今も詩的で絵になる坂道なのかもしれない。</p>
	<p><img src="http://www.nadatama.com/modules/wordpress0/attach/nishinada02.jpg" alt="区界の坂道" /><br clear="all"><br />
<br />
</font></font></font></font></p>
	<p>［参考記事］<br />
紙ふうせん「冬が来る前に」　神戸・王子動物園界隈（産経新聞　2011.10.29夕刊）
</p>
]]></content:encoded>
	</item>
		<item>
		<title>灘区に舞った奇跡の蛍</title>
		<link>http://www.nadatama.com/modules/wordpress0/index.php/archives/2011/06/27/post-35/</link>
		<comments>http://www.nadatama.com/modules/wordpress0/index.php/archives/2011/06/27/post-35/#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 27 Jun 2011 20:30:08 +0900</pubDate>
		<author>library &lt;&amp;#110;&amp;#97;da&amp;#116;am&amp;#97;&amp;#64;nadat&amp;#97;&amp;#109;&amp;#97;&amp;#46;co&amp;#109;&gt;</author>
		
	<category>書籍</category>		<guid isPermaLink="true">http://www.nadatama.com/modules/wordpress0/index.php/archives/2011/06/27/post-35/</guid>
		<description>	
今年は、青谷川のホタルにすっかりはまってしまった。
もちろん、佐用や西脇のようにホタルの乱舞が見られるわけではなく、
7～8匹、多くて20匹程度で、派手さはないが滋味あふれる光は、灘区
らしいといえば灘区らしい光景だ。
ともかく数よりも街なかから数分でホタルに会えることがステキなのだ。
ホタルが乱舞する川がAKB48劇場だとすれば、空き家になった古びた
文化住宅をバックにをホタルが舞う青谷川は、三朝温泉あたりの場末の
ストリップ劇場の風情に近い。
そう、ホタルのあかりは切なさがないといけない。
青谷川のホタルのステージは8時半、11時、夜中の2時の1日3回。
定刻になると川に架かる橋の上には一人、二人と人が集まってくる。
やがて線香花火に通じる淡く切ない光が川面をゆっくりと漂い始める。
	。
	「なんで蛍はすぐ死んでしまうん？」
ホタルと言えば、灘区中郷町に住んでいた野坂昭如の『火垂の墓』の
シーンが思い浮かぶが、実は「ホタル」を題材にした作品を書いた
灘区出身の作家がもう一人いる。
作家、宮本輝は3歳まで石屋川のほとりで過ごした。
『泥の川』『道頓堀川』とともに川三部作と言われる『蛍川』に描か
れている蛍は灘の蛍ではなく富山の蛍だ。
宮本が描くホタルは、野坂が描いた『火垂の墓』のホタルとは全く違う
妖しい光を放つ。しかもその数は何千匹にもなり光の川のごとく光る。
	宮本は、灘区にいた少年時代に進駐軍の将校からコーラをもらったこと
を述懐している。当時進駐軍の将校ハウス、通称「チューリップ村」が
六甲台にあり、山手幹線の一部は物資を運ぶ「六甲飛行場」だった。
石屋川の土手に向かって米軍の輸送機が飛び立っていくのを、宮本少年
も見上げていたに違いない。
そして、むっとするような梅雨の夜には、石屋川に舞うホタルを見た
かもしれない。
日本を代表する「蛍文学」の2作品が、灘区民の手によるという奇跡に
思いを巡らせるとき、青谷川や六甲川のホタルの輝きが一段と増す。
間もなく灘区のホタルの季節は終わるが、この夏は2人の描く対照的な
ホタルのあかりを味わってみてはいかがだろうか。

 </description>
		<content:encoded><![CDATA[	<p><iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=wwwnadatamaco-22&#038;o=9&#038;p=8&#038;l=as1&#038;asins=4041469015&#038;fc1=000000&#038;IS2=1&#038;lt1=_blank&#038;lc1=0000FF&#038;bc1=000000&#038;bg1=FFFFFF&#038;f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe></p>
	<p>今年は、青谷川のホタルにすっかりはまってしまった。<br />
もちろん、佐用や西脇のようにホタルの乱舞が見られるわけではなく、<br />
7～8匹、多くて20匹程度で、派手さはないが滋味あふれる光は、灘区<br />
らしいといえば灘区らしい光景だ。<br />
ともかく数よりも街なかから数分でホタルに会えることがステキなのだ。<br />
ホタルが乱舞する川がAKB48劇場だとすれば、空き家になった古びた<br />
文化住宅をバックにをホタルが舞う青谷川は、三朝温泉あたりの場末の<br />
ストリップ劇場の風情に近い。<br />
そう、ホタルのあかりは切なさがないといけない。<br />
青谷川のホタルのステージは8時半、11時、夜中の2時の1日3回。<br />
定刻になると川に架かる橋の上には一人、二人と人が集まってくる。<br />
やがて線香花火に通じる淡く切ない光が川面をゆっくりと漂い始める。</p>
	<p>。<img src="http://www.nadatama.com/modules/wordpress0/attach/lib110627_01.jpg" alt="" /></p>
	<p>「なんで蛍はすぐ死んでしまうん？」<br />
ホタルと言えば、<a href=http://www.nadatama.com/modules/wordpress0/index.php/archives/2011/06/06/65/" target="top">灘区中郷町に住んでいた野坂昭如の『火垂の墓』</a>の<br />
シーンが思い浮かぶが、実は「ホタル」を題材にした作品を書いた<br />
灘区出身の作家がもう一人いる。<br />
作家、宮本輝は3歳まで石屋川のほとりで過ごした。<br />
『泥の川』『道頓堀川』とともに川三部作と言われる『蛍川』に描か<br />
れている蛍は灘の蛍ではなく富山の蛍だ。<br />
宮本が描くホタルは、野坂が描いた『火垂の墓』のホタルとは全く違う<br />
妖しい光を放つ。しかもその数は何千匹にもなり光の川のごとく光る。</p>
	<p>宮本は、灘区にいた少年時代に進駐軍の将校からコーラをもらったこと<br />
を述懐している。当時進駐軍の将校ハウス、通称「チューリップ村」が<br />
六甲台にあり、山手幹線の一部は物資を運ぶ<a href=http://www.nadatama.com/modules/xwords/entry.php?entryID=63&#038;categoryID=1" target="top">「六甲飛行場」</a>だった。<br />
石屋川の土手に向かって米軍の輸送機が飛び立っていくのを、宮本少年<br />
も見上げていたに違いない。<br />
そして、むっとするような梅雨の夜には、石屋川に舞うホタルを見た<br />
かもしれない。<br />
日本を代表する「蛍文学」の2作品が、灘区民の手によるという奇跡に<br />
思いを巡らせるとき、青谷川や六甲川のホタルの輝きが一段と増す。<br />
間もなく灘区のホタルの季節は終わるが、この夏は2人の描く対照的な<br />
ホタルのあかりを味わってみてはいかがだろうか。
</p>
]]></content:encoded>
	</item>
		<item>
		<title>6月5日　中郷町</title>
		<link>http://www.nadatama.com/modules/wordpress0/index.php/archives/2011/06/06/65/</link>
		<comments>http://www.nadatama.com/modules/wordpress0/index.php/archives/2011/06/06/65/#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 06 Jun 2011 13:00:15 +0900</pubDate>
		<author>library &lt;n&amp;#97;datam&amp;#97;&amp;#64;&amp;#110;&amp;#97;da&amp;#116;a&amp;#109;a.c&amp;#111;&amp;#109;&gt;</author>
		
	<category>CD</category>		<guid isPermaLink="true">http://www.nadatama.com/modules/wordpress0/index.php/archives/2011/06/06/65/</guid>
		<description>	
昭和20年6月5日。神戸、そして灘区が猛火に包まれた日。
8月5日の空襲と合わせて灘区の被害は、死者808人、全焼・
全壊家屋18068戸、罹災者74102人とされているが、届け出
のあったものだけに限られているので、実数はさらにこれ
を上回る凄惨なものだった。
当時、中郷町3丁目に住んでいた野坂昭如はこの時の空襲
体験をもとに戦争文学の名作『火垂の墓』を書いたのは、
灘クミンならよくご存知のことと思う。
この時、同じ中郷町にもう一人の少年がいた。
野坂の家（養父張満谷家）から目と鼻の先の中郷町2丁目
に住んでいた少年が、後の桂枝雀となる前田達少年だった。
神戸空襲のとき、野坂は15歳でが前田少年は5歳。
その時の記憶を野坂は小説にしたが、枝雀師匠は落語の枕
にした。「貧乏神」という気の弱い神様の話の枕が『上方
落語 桂枝雀爆笑コレクション〈4〉萬事気嫌よく』（ちく
ま文庫）に収録されている。
	　　エー、昭和20年に大空襲がございます。
　　神戸は6月でございました。
　　大阪は、エー6月ではなかったのかと思いますが、えらい
　　空襲でございました。
　　ご承知の方はご承知でしょうが、親父がブリキ職でござい
　　まして、まあ、職人でございますから、仕事場にでござい
　　ますね。神棚がしつらえてございまして…
	前田家は灘区中郷町2丁目でブリキ店を営んでいた。
仕事場には神棚があり、朝に夕べに祈りをささげていたという。
近所の徳井神社の氏子だったのかもしれない。
6月5日、中郷町にも空襲警報が鳴り響く。
いつもは警戒警報だったのが、この日は違った。
	　　「今日も大丈夫やろう」言うてましたら、その日に
　　　限って、「空襲警報ォ！」
　　　ダルゥドゥズバババババババババァー…
　　　「えらいこっちゃー！お母ちゃん、空襲やー」
　　　言うたらね、そのね、朝晩拝み上げていた神棚の
　　　神さんね、一番にドタッ。
　　　落ちてこられたんでございますねえ。
　　　嘘でもねえ、朝晩拝み上げている神さんでござい
　　　ますから、もーちょっと頑張ってもらいたかたん
　　　ですが、ねえ…
	神様が先に落ちてきて、その後に実の姉が落ちてきて、
「姉はようがんばったのに、神様は…」というオチ。
灘区を焦土と化した空襲だから、もっと緊迫感があった
に違いないが、枝雀師匠は「頼んない神さんでございま
してね。」とおどけてみせる。
悲惨な状況を笑いへと転化するという、彼の落語理論だった
「緊張と緩和」の実践。
そして戦時下の「神への妄信」を、軽やかに揶揄する批評
精神。
	同じ神戸大空襲を描きながら、方や悲劇的な物語を、方や
喜劇的な噺を。
灘区中郷町という小さな街の小さな奇跡だ。
	桂枝雀の生家があった中郷町2丁目から野坂昭如が暮らしていた中郷町3丁目を望む
 </description>
		<content:encoded><![CDATA[	<p><iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=wwwnadatamaco-22&#038;o=9&#038;p=8&#038;l=as1&#038;asins=4480422048&#038;fc1=000000&#038;IS2=1&#038;lt1=_blank&#038;lc1=0000FF&#038;bc1=000000&#038;bg1=FFFFFF&#038;f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe></p>
	<p><iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=wwwnadatamaco-22&#038;o=9&#038;p=8&#038;l=as1&#038;asins=4198613796&#038;fc1=000000&#038;IS2=1&#038;lt1=_blank&#038;lc1=0000FF&#038;bc1=000000&#038;bg1=FFFFFF&#038;f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe></p>
	<p>昭和20年6月5日。神戸、そして灘区が猛火に包まれた日。<br />
8月5日の空襲と合わせて灘区の被害は、死者808人、全焼・<br />
全壊家屋18068戸、罹災者74102人とされているが、届け出<br />
のあったものだけに限られているので、実数はさらにこれ<br />
を上回る凄惨なものだった。<br />
当時、中郷町3丁目に住んでいた野坂昭如はこの時の空襲<br />
体験をもとに戦争文学の名作『火垂の墓』を書いたのは、<br />
灘クミンならよくご存知のことと思う。<br />
この時、同じ中郷町にもう一人の少年がいた。<br />
野坂の家（養父張満谷家）から目と鼻の先の中郷町2丁目<br />
に住んでいた少年が、後の桂枝雀となる前田達少年だった。<br />
神戸空襲のとき、野坂は15歳でが前田少年は5歳。<br />
その時の記憶を野坂は小説にしたが、枝雀師匠は落語の枕<br />
にした。「貧乏神」という気の弱い神様の話の枕が『上方<br />
落語 桂枝雀爆笑コレクション〈4〉萬事気嫌よく』（ちく<br />
ま文庫）に収録されている。</p>
	<p>　　エー、昭和20年に大空襲がございます。<br />
　　神戸は6月でございました。<br />
　　大阪は、エー6月ではなかったのかと思いますが、えらい<br />
　　空襲でございました。<br />
　　ご承知の方はご承知でしょうが、親父がブリキ職でござい<br />
　　まして、まあ、職人でございますから、仕事場にでござい<br />
　　ますね。神棚がしつらえてございまして…</p>
	<p>前田家は灘区中郷町2丁目でブリキ店を営んでいた。<br />
仕事場には神棚があり、朝に夕べに祈りをささげていたという。<br />
近所の徳井神社の氏子だったのかもしれない。<br />
6月5日、中郷町にも空襲警報が鳴り響く。<br />
いつもは警戒警報だったのが、この日は違った。</p>
	<p>　　「今日も大丈夫やろう」言うてましたら、その日に<br />
　　　限って、「空襲警報ォ！」<br />
　　　ダルゥドゥズバババババババババァー…<br />
　　　「えらいこっちゃー！お母ちゃん、空襲やー」<br />
　　　言うたらね、そのね、朝晩拝み上げていた神棚の<br />
　　　神さんね、一番にドタッ。<br />
　　　落ちてこられたんでございますねえ。<br />
　　　嘘でもねえ、朝晩拝み上げている神さんでござい<br />
　　　ますから、もーちょっと頑張ってもらいたかたん<br />
　　　ですが、ねえ…</p>
	<p>神様が先に落ちてきて、その後に実の姉が落ちてきて、<br />
「姉はようがんばったのに、神様は…」というオチ。<br />
灘区を焦土と化した空襲だから、もっと緊迫感があった<br />
に違いないが、枝雀師匠は「頼んない神さんでございま<br />
してね。」とおどけてみせる。<br />
悲惨な状況を笑いへと転化するという、彼の落語理論だった<br />
「緊張と緩和」の実践。<br />
そして戦時下の「神への妄信」を、軽やかに揶揄する批評<br />
精神。</p>
	<p>同じ神戸大空襲を描きながら、方や悲劇的な物語を、方や<br />
喜劇的な噺を。<br />
灘区中郷町という小さな街の小さな奇跡だ。</p>
	<p><img src="http://www.nadatama.com/modules/wordpress0/attach/lib110606_01.jpg" alt="" /></p>
	<p><font size="1"><font color="#800000">桂枝雀の生家があった中郷町2丁目から野坂昭如が暮らしていた中郷町3丁目を望む</font><br />
<br />
<font size="2"><font color="#000000"><br />
</font></p>
	<p></font></font>
</p>
]]></content:encoded>
	</item>
		<item>
		<title>その街のこども、その街のはなし（5）</title>
		<link>http://www.nadatama.com/modules/wordpress0/index.php/archives/2011/06/01/5/</link>
		<comments>http://www.nadatama.com/modules/wordpress0/index.php/archives/2011/06/01/5/#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 01 Jun 2011 13:00:13 +0900</pubDate>
		<author>library &lt;&amp;#110;&amp;#97;&amp;#100;a&amp;#116;a&amp;#109;a&amp;#64;na&amp;#100;a&amp;#116;a&amp;#109;a&amp;#46;&amp;#99;om&gt;</author>
		
	<category>DVD</category>		<guid isPermaLink="true">http://www.nadatama.com/modules/wordpress0/index.php/archives/2011/06/01/5/</guid>
		<description>	
灘文化堂で紹介してきた灘ロケ作品『その街のこども　劇場版』待望のDVDが6月3日発売になる。
ということで、中断していた「その街散歩」を再開したいと思う。
	　　御影のおばあちゃ家からの帰り道、美夏と勇治は「きれいな公園」を横切る。
　　ふと見上げると、震災で亡くなった美夏の友人ゆっちのおっちゃんが住むマンションだった。
	「きれいな公園」は六甲町の「六甲風の郷公園」という新しい公園だが、
名前に聞き覚えが無い方も多いかもしれない。
ＪＲ六甲道駅北地区の震災復興再開発事業の一環として5年前に完成した。
公園の計画には周辺住民も加わり、ワークショップ形式でプランニングが
進められた。
風の郷公園は六甲町1丁目と2丁目にまたがる公園で、美夏がおっちゃんに
会っている間、野球少年だった勇治が素振りをしながら美夏を待つあたり
が六甲町1丁目。ここは昭和44年以前は「辰中町一丁目」という町名だった。
六甲町は辰中町、庄屋町、前出町、花園町が統合されてできた比較的新しい
町名。
かつての町名はいずれも趣のある名称だったが「六甲町」という、茫洋と
したのっぺりと陰影のない町名になったのは残念だ。
ちなみ花園町にあった花園中学は数奇な運命をたどった学校で、昭和22年
に開校した花園中学は、わずか16年後には長峰山に移転し長峰中学と改称。
残った校舎に摩耶高校が開校するが、5年後には湊川高校と合併し赤塚山へ
移転し赤塚山高校に。校舎はそのままで、昭和45年に六甲、西灘、稗田の
3小学校から分かれ、灘小学校が開校して現在に至る。
	風の郷公園に戻ろう。
以前八幡神社の前にあった「八悟」が参道を下り、公園の南に移転した。
若夫婦が切り盛りした店はもう30年経った。同じ門前にあった「栄珍」無き
あと、70年代の宮前の空気を伝える貴重な老舗だ。
公園の東には宮前商店街が南北に走る。以前あった龍の腹の中のような
アーケード「宮前マジックドラゴン」は撤去され、空が見える明るい通り
になった。
	取り壊される前の宮前商店街アーケード
	アーケードからは東に向かって宮前市場が伸びていた。
昭和7年にオープン、空襲でも焼け残り灘区内で唯一震災を免れた市場だっ
たが、震災後アーケードは撤去され、明るいスーパー形式の市場になった。
	震災後建て替え前の宮前市場西入口
	さらにその東には「六甲東映」があった。東映と名がつくが谷ナオミや団鬼六
などの文字が踊る成人映画館で、独特の湿度のある雰囲気をかもし出してい
たが、マンションになってしまった。そういえば団鬼六も先月亡くなった。
路地はなくなり、道が広げられ、巨大な公園ができてしまった界隈にも、ヒュー
マンスケールの風景が今も残る。
マンションの足下に、子どもたちを見守る地蔵がまつられている。
普段はひっそりとしているが、今年も夏の地蔵盆、8月24日の「おさがり」
には、この街の子どもたちがにぎやかに集まるはずだ。
	「様々な傷を抱えた被災者と、非被災者の溝を乗り越えることの難しさと
大切さを伝える『その街の子ども劇場版』は、今を生きるすべての「こども
たち」が決して忘れてはならない未來への希望を描いている。」
（『その街のこども劇場版』パンフレットより）
東日本大震災がおこった今こそ、このドラマが描くテーマが大事になって
くるような気がする。

 </description>
		<content:encoded><![CDATA[	<p><iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=wwwnadatamaco-22&#038;o=9&#038;p=8&#038;l=as1&#038;asins=B004UNGJSA&#038;fc1=000000&#038;IS2=1&#038;lt1=_blank&#038;lc1=0000FF&#038;bc1=000000&#038;bg1=FFFFFF&#038;f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe></p>
	<p>灘文化堂で紹介してきた灘ロケ作品『その街のこども　劇場版』待望のDVDが6月3日発売になる。<br />
ということで、中断していた「その街散歩」を再開したいと思う。</p>
	<p>　　御影のおばあちゃ家からの帰り道、美夏と勇治は「きれいな公園」を横切る。<br />
　　ふと見上げると、震災で亡くなった美夏の友人ゆっちのおっちゃんが住むマンションだった。</p>
	<p><img src="http://www.nadatama.com/modules/wordpress0/attach/lib110601_03.jpg" alt="風の郷公園" /></p>
	<p>「きれいな公園」は六甲町の「六甲風の郷公園」という新しい公園だが、<br />
名前に聞き覚えが無い方も多いかもしれない。<br />
ＪＲ六甲道駅北地区の震災復興再開発事業の一環として5年前に完成した。<br />
公園の計画には周辺住民も加わり、ワークショップ形式でプランニングが<br />
進められた。<br />
風の郷公園は六甲町1丁目と2丁目にまたがる公園で、美夏がおっちゃんに<br />
会っている間、野球少年だった勇治が素振りをしながら美夏を待つあたり<br />
が六甲町1丁目。ここは昭和44年以前は「辰中町一丁目」という町名だった。<br />
六甲町は辰中町、庄屋町、前出町、花園町が統合されてできた比較的新しい<br />
町名。<br />
かつての町名はいずれも趣のある名称だったが「六甲町」という、茫洋と<br />
したのっぺりと陰影のない町名になったのは残念だ。<br />
ちなみ花園町にあった花園中学は数奇な運命をたどった学校で、昭和22年<br />
に開校した花園中学は、わずか16年後には長峰山に移転し長峰中学と改称。<br />
残った校舎に摩耶高校が開校するが、5年後には湊川高校と合併し赤塚山へ<br />
移転し赤塚山高校に。校舎はそのままで、昭和45年に六甲、西灘、稗田の<br />
3小学校から分かれ、灘小学校が開校して現在に至る。</p>
	<p>風の郷公園に戻ろう。<br />
以前八幡神社の前にあった「八悟」が参道を下り、公園の南に移転した。<br />
若夫婦が切り盛りした店はもう30年経った。同じ門前にあった「栄珍」無き<br />
あと、70年代の宮前の空気を伝える貴重な老舗だ。<br />
公園の東には宮前商店街が南北に走る。以前あった龍の腹の中のような<br />
アーケード「宮前マジックドラゴン」は撤去され、空が見える明るい通り<br />
になった。<br />
<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/9oxPyItIVBw" frameborder="0" allowfullscreen></iframe><br />
<font size="1"><font color="#800000">取り壊される前の宮前商店街アーケード</font><br />
<br />
<font size="2"><font color="#000000"><br />
</font></p>
	<p>アーケードからは東に向かって宮前市場が伸びていた。<br />
昭和7年にオープン、空襲でも焼け残り灘区内で唯一震災を免れた市場だっ<br />
たが、震災後アーケードは撤去され、明るいスーパー形式の市場になった。<br />
<img src="http://www.nadatama.com/modules/wordpress0/attach/lib110601_01.jpg" alt="宮前市場" /><br />
<font size="1"><font color="#800000">震災後建て替え前の宮前市場西入口</font><br />
<br />
<font size="2"><font color="#000000"><br />
</font></p>
	<p>さらにその東には「六甲東映」があった。東映と名がつくが谷ナオミや団鬼六<br />
などの文字が踊る成人映画館で、独特の湿度のある雰囲気をかもし出してい<br />
たが、マンションになってしまった。そういえば団鬼六も先月亡くなった。<br />
路地はなくなり、道が広げられ、巨大な公園ができてしまった界隈にも、ヒュー<br />
マンスケールの風景が今も残る。<br />
マンションの足下に、子どもたちを見守る地蔵がまつられている。<br />
普段はひっそりとしているが、今年も夏の地蔵盆、8月24日の「おさがり」<br />
には、この街の子どもたちがにぎやかに集まるはずだ。</p>
	<p><img src="http://www.nadatama.com/modules/wordpress0/attach/lib110601_02.jpg" alt="地蔵尊" /></p>
	<p>「様々な傷を抱えた被災者と、非被災者の溝を乗り越えることの難しさと<br />
大切さを伝える『その街の子ども劇場版』は、今を生きるすべての「こども<br />
たち」が決して忘れてはならない未來への希望を描いている。」<br />
（『その街のこども劇場版』パンフレットより）<br />
東日本大震災がおこった今こそ、このドラマが描くテーマが大事になって<br />
くるような気がする。</font></font></font></font>
</p>
]]></content:encoded>
	</item>
		<item>
		<title>その街のこども、その街のはなし（4）</title>
		<link>http://www.nadatama.com/modules/wordpress0/index.php/archives/2011/01/24/4/</link>
		<comments>http://www.nadatama.com/modules/wordpress0/index.php/archives/2011/01/24/4/#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 24 Jan 2011 16:00:45 +0900</pubDate>
		<author>library &lt;&amp;#110;ad&amp;#97;&amp;#116;a&amp;#109;&amp;#97;&amp;#64;n&amp;#97;dat&amp;#97;&amp;#109;a&amp;#46;&amp;#99;o&amp;#109;&gt;</author>
		
	<category>イベント</category>		<guid isPermaLink="true">http://www.nadatama.com/modules/wordpress0/index.php/archives/2011/01/24/4/</guid>
		<description>	
水道筋を抜け、御影の山手にある美夏（佐藤江梨子）の「おばあちゃん家」を目指す二人が登る
坂道は、天神筋もしくは天神坂と呼ばれている。
坂の上に五毛天神（河内國魂神社）があることから名付けられた。
灘区は南北をまっすぐに結ぶ道が意外と少ない。
水道筋から摩耶山麓に向かって、一直線にナイフで街を切り裂いたかのような道の両側には、
中の手から山の手までの「街の断面」が露出する。
この断面を味わいながら歩くのも天神筋の楽しみ方の一つだ。
	阪急電車の天神湯踏切周辺は「むかで屋コンツェルン」の施設群が占める。
勇治（森山未來）と美夏が豚まんを買うセブンイレブンは、かつては「むかでや酒店」という
酒屋だった。現在は焼鳥の「百足屋」、クリーニングの「ムカデヤ」「むかでや不動産」などに、
その不思議な屋号が受け継がれている。
コンビニを出た二人が豚まんを頬張るあたりには、震災前まで市場の入口があった。
元々昭和22年に奄美廉売市場として発足した西灘市場。
このあたりの路地の奥には南島のコミュニティが息づいていた。
水道筋という巨大集積地に隣接しながらも、山の手の固定客が多く客筋のいい市場として
知られたが、阪神淡路大震災後にマンションに建て替えられた。
「ベーカリーハウスほてい堂」の南に路地に市場の通路の痕跡がかろうじて確認できる。
市場の西入口は、摩耶商店街の小さなアーケードが残り、震災前の風情を残している貴重な空間だ。
	天神筋にはもう一つ忘れてはならない道の「断面」がある。
勇治に荷物を持たされ美夏がよろめいた先、福住通と天城通の町境にある東向き一方通行の道は、
市電の終点上筒井から阪神大石、篠原手崎（灘公設市場前）に向けて市バスが走る、灘の東西を結ぶ
中の手の幹線道路だった。
少しベテランの灘クミンは2系統が走る「上のバス道」に対してこの道を「下のバス道」と呼んだ。
山手幹線を下のバス道と呼ぶ人もいるようだが、歴史的には「市電道」と呼ぶのが正しい。
	二人は暗い坂道を山手方向へ歩き始める。
いつもは静かな山の手の坂道だが、1年で2日間だけ人があふれる日がある。
毎年5月2日、3日に開かれる、坂の上にある五毛天神の「春祭」では、道の両側に屋台がずらりと並ぶ。
夕闇迫るころ、屋台の間を五毛、上野、畑原、篠原のだんじりが提灯を揺らせ、喘ぎながら坂を登って
いく勇壮な道に変わる。
	だんじりと同じようにぐいぐいと坂道を登って振り向くと、海が見える。
美夏の「おばあちゃん家」はもうすぐだ。（つづく）
	ほぼ灘ロケ作品『その街のこども劇場版』は1月15日からいよいよ
全国で上映。日本各地の灘クミンの皆さまは是非！
	劇場情報ははこちら
http://sonomachi.com/theater/index.html
	神戸での上映は1月25日まで
神戸映画資料館　http://kobe-eiga.net/
1/24（月）・25（火）　19:00
	『その街のこども』オフィシャルサイト
http://www.sonomachi.com/
 </description>
		<content:encoded><![CDATA[	<p><img src="http://www.nadatama.com/modules/wordpress0/attach/lib110124_01.jpg" alt="" /></p>
	<p>水道筋を抜け、御影の山手にある美夏（佐藤江梨子）の「おばあちゃん家」を目指す二人が登る<br />
坂道は、天神筋もしくは天神坂と呼ばれている。<br />
坂の上に五毛天神（河内國魂神社）があることから名付けられた。<br />
灘区は南北をまっすぐに結ぶ道が意外と少ない。<br />
水道筋から摩耶山麓に向かって、一直線にナイフで街を切り裂いたかのような道の両側には、<br />
中の手から山の手までの「街の断面」が露出する。<br />
この断面を味わいながら歩くのも天神筋の楽しみ方の一つだ。</p>
	<p><img src="http://www.nadatama.com/modules/wordpress0/attach/lib110124_02.jpg" alt="" /></p>
	<p>阪急電車の天神湯踏切周辺は「むかで屋コンツェルン」の施設群が占める。<br />
勇治（森山未來）と美夏が豚まんを買うセブンイレブンは、かつては「むかでや酒店」という<br />
酒屋だった。現在は焼鳥の「百足屋」、クリーニングの「ムカデヤ」「むかでや不動産」などに、<br />
その不思議な屋号が受け継がれている。<br />
コンビニを出た二人が豚まんを頬張るあたりには、震災前まで市場の入口があった。<br />
元々昭和22年に奄美廉売市場として発足した西灘市場。<br />
このあたりの路地の奥には南島のコミュニティが息づいていた。<br />
水道筋という巨大集積地に隣接しながらも、山の手の固定客が多く客筋のいい市場として<br />
知られたが、阪神淡路大震災後にマンションに建て替えられた。<br />
「ベーカリーハウスほてい堂」の南に路地に市場の通路の痕跡がかろうじて確認できる。<br />
市場の西入口は、摩耶商店街の小さなアーケードが残り、震災前の風情を残している貴重な空間だ。</p>
	<p><img src="http://www.nadatama.com/modules/wordpress0/attach/lib110124_03.jpg" alt="" /></p>
	<p>天神筋にはもう一つ忘れてはならない道の「断面」がある。<br />
勇治に荷物を持たされ美夏がよろめいた先、福住通と天城通の町境にある東向き一方通行の道は、<br />
市電の終点上筒井から阪神大石、篠原手崎（灘公設市場前）に向けて市バスが走る、灘の東西を結ぶ<br />
中の手の幹線道路だった。<br />
少しベテランの灘クミンは2系統が走る「上のバス道」に対してこの道を「下のバス道」と呼んだ。<br />
山手幹線を下のバス道と呼ぶ人もいるようだが、歴史的には「市電道」と呼ぶのが正しい。</p>
	<p><img src="http://www.nadatama.com/modules/wordpress0/attach/lib110124_04.jpg" alt="" /></p>
	<p>二人は暗い坂道を山手方向へ歩き始める。<br />
いつもは静かな山の手の坂道だが、1年で2日間だけ人があふれる日がある。<br />
毎年5月2日、3日に開かれる、坂の上にある五毛天神の「春祭」では、道の両側に屋台がずらりと並ぶ。<br />
夕闇迫るころ、屋台の間を五毛、上野、畑原、篠原のだんじりが提灯を揺らせ、喘ぎながら坂を登って<br />
いく勇壮な道に変わる。</p>
	<p>だんじりと同じようにぐいぐいと坂道を登って振り向くと、海が見える。<br />
美夏の「おばあちゃん家」はもうすぐだ。（つづく）</p>
	<p><img src="http://www.nadatama.com/modules/wordpress0/attach/lib110124_05.jpg" alt="" /></p>
	<p>ほぼ灘ロケ作品『その街のこども劇場版』は1月15日からいよいよ<br />
全国で上映。日本各地の灘クミンの皆さまは是非！</p>
	<p>劇場情報ははこちら<br />
http://sonomachi.com/theater/index.html</p>
	<p>神戸での上映は1月25日まで<br />
神戸映画資料館　http://kobe-eiga.net/<br />
1/24（月）・25（火）　19:00</p>
	<p>『その街のこども』オフィシャルサイト<br />
http://www.sonomachi.com/</p>
	<p><object width="640" height="385"><br />
<param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/EEj5inOJ6sI?fs=1&#038;hl=ja_JP"></param>
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</p>
]]></content:encoded>
	</item>
		<item>
		<title>その街のこども、その街のはなし（3）</title>
		<link>http://www.nadatama.com/modules/wordpress0/index.php/archives/2011/01/14/3/</link>
		<comments>http://www.nadatama.com/modules/wordpress0/index.php/archives/2011/01/14/3/#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 14 Jan 2011 11:00:21 +0900</pubDate>
		<author>library &lt;&amp;#110;a&amp;#100;atam&amp;#97;&amp;#64;nad&amp;#97;&amp;#116;&amp;#97;&amp;#109;a.c&amp;#111;&amp;#109;&gt;</author>
		
	<category>イベント</category>		<guid isPermaLink="true">http://www.nadatama.com/modules/wordpress0/index.php/archives/2011/01/14/3/</guid>
		<description>	『その街のこども劇場版』予告編より「水道筋商店街往路」
	勇治と美夏の胸の内を表しているかのような、照明が落とされた暗い
水道筋商店街のアーケードを二人は歩く。
スクリーンで薄暗いアーケードを見ていると、震災前の水道筋にタイム
スリップしたような感覚になった。リニューアルされた現在のアー
ケードに比べると薄暗かった震災前のアーケードの暗さに近いのかも
しれない。
震災後、壊れたアーケードは新しく改装するため撤去された。
アーケードが完成した1958年（昭和33）以来、実に37年振りに水道筋
から青空が見えた。
アーケードのない水道筋を歩いた。
どこか、初めて来た場所を歩いているような気がした。
	昭和40年代の水道筋商店街（写真：灘中央地区まちづくり協議会）
	アーケードの東端で立ち止まる二人。
「TUBOMAN」の看板がある一角はたこ焼き屋、小鳥屋、模型屋兼
駄菓子屋が軒を連ね、連日子どもたちでぎわった。
このあたりは「6丁目のアマゾン」とともに、「その街の子どもたち」
のプレイスポットだったのだ。
木製の引き戸を開けると、猫の匂いがする、数人入ると満員になる
模型屋のショーケースには、精巧な戦車や戦艦の模型の完成品が並
べられていた。ミリタリーもの以外にも、骸骨の手が硬貨をつかむ
貯金箱や、『ドボチョン一家』のフランケンなどの、ちょっとおど
ろおどろしい物も子どもたちの羨望の的だった。
「大人になったら、あの戦車売ってもらうねん！」
そう心に誓った子ども多かったに違いない。
おそらく誰もその願いが叶わないまま、2008年に模型屋は跡形も無く
なくなった。
	模型屋の南隣には、水道筋最後の映画館があった。
水道筋は中央劇場、西灘東映、西灘第一、第二、摩耶劇場、灘松竹
など6つの映画館が並ぶ、神戸東部随一の「映画の街」だったのだが、
次々と閉館し、かろうじて西灘第一、第二劇場が「西灘シネマ・西灘
劇場」として生き残った。
「西灘シネマ・西灘劇場」は2つの顔を持つ。
成人系のシネマでは「馬を愛した牧場娘」「和服妻陵辱」などの成人
映画が、後期にはアート系作品を上映するようになった西灘劇場では
「12人の怒れる男」「草ぶきの学校」など文学的タイトルが並んだ。
まさに聖と俗。ジキルとハイド、あるいはアシュラ男爵的な映画館。
買い物帰りに、灘温泉帰りに、下駄履きで立ち寄れる映画館として、
神戸市内でも貴重な存在だったが、2004年5月31日に惜しまれながら
「水道筋の映画館」は閉館した。
跡地には何事も無かったかのように瀟洒なマンションが建った。
	奇しくもこのドラマのロケが行われ、森山未來と佐藤江梨子が、映画
館跡近くで足を止めたのは、西灘劇場の地霊が彼らを呼び寄せたのか
もしれない。
	『その街のこども劇場版』予告編より「水道筋商店街復路」
	御影山手にある「美夏のおばあちゃん家」から、東遊園地を目指す二人
は再び水道筋へ。
行きは真っ暗だったアーケードは、明るくまばゆいばかりの光のトンネル
になっていた。
勇治と美夏は何かに吹っ切れたように水道筋を駆け抜ける。
もう立ち止まったりしなかった。
画面に映った「汽笛亭」がもともと瓦せんべい屋だったことも、子ども
であふれた模型屋があったことも、そしてこの地に映画館があったこと
も忘れるように。
	無数の記憶と歴史が積層する水道筋も16回目の1.17を迎える。
（つづく）
	劇場版『その街のこども』のシネ・リーブル神戸での上映は終了しましたが、
1月15日（土）～1月18日（火）まで長田区の神戸映画資料館で上映されます。
1/15（土）19:30
1/16（日）19:30
1/17（月）・18日（火）　11:00、13:00、19:00
	神戸映画資料館
http://kobe-eiga.net/
 </description>
		<content:encoded><![CDATA[	<p><img src="http://www.nadatama.com/modules/wordpress0/attach/lib110114_01.jpg" alt="" /><br />
<font size="1"><font color="#800000">『その街のこども劇場版』予告編より「水道筋商店街往路」</font><br />
<br />
<font size="2"><font color="#000000"><br />
</font><br />
勇治と美夏の胸の内を表しているかのような、照明が落とされた暗い<br />
水道筋商店街のアーケードを二人は歩く。<br />
スクリーンで薄暗いアーケードを見ていると、震災前の水道筋にタイム<br />
スリップしたような感覚になった。リニューアルされた現在のアー<br />
ケードに比べると薄暗かった震災前のアーケードの暗さに近いのかも<br />
しれない。<br />
震災後、壊れたアーケードは新しく改装するため撤去された。<br />
アーケードが完成した1958年（昭和33）以来、実に37年振りに水道筋<br />
から青空が見えた。<br />
アーケードのない水道筋を歩いた。<br />
どこか、初めて来た場所を歩いているような気がした。</p>
	<p><img src="http://www.nadatama.com/modules/wordpress0/attach/lib110114_02.jpg" alt="" /><br />
<font size="1"><font color="#800000">昭和40年代の水道筋商店街（写真：灘中央地区まちづくり協議会）</font><br />
<br />
<font size="2"><font color="#000000"><br />
</font></p>
	<p>アーケードの東端で立ち止まる二人。<br />
「TUBOMAN」の看板がある一角はたこ焼き屋、小鳥屋、模型屋兼<br />
駄菓子屋が軒を連ね、連日子どもたちでぎわった。<br />
このあたりは「6丁目のアマゾン」とともに、「その街の子どもたち」<br />
のプレイスポットだったのだ。<br />
木製の引き戸を開けると、猫の匂いがする、数人入ると満員になる<br />
模型屋のショーケースには、精巧な戦車や戦艦の模型の完成品が並<br />
べられていた。ミリタリーもの以外にも、骸骨の手が硬貨をつかむ<br />
貯金箱や、『ドボチョン一家』のフランケンなどの、ちょっとおど<br />
ろおどろしい物も子どもたちの羨望の的だった。<br />
「大人になったら、あの戦車売ってもらうねん！」<br />
そう心に誓った子ども多かったに違いない。<br />
おそらく誰もその願いが叶わないまま、2008年に模型屋は跡形も無く<br />
なくなった。</p>
	<p><img src="http://www.nadatama.com/modules/wordpress0/attach/lib110114_03.jpg" alt="" /></p>
	<p>模型屋の南隣には、水道筋最後の映画館があった。<br />
水道筋は中央劇場、西灘東映、西灘第一、第二、摩耶劇場、灘松竹<br />
など6つの映画館が並ぶ、神戸東部随一の「映画の街」だったのだが、<br />
次々と閉館し、かろうじて西灘第一、第二劇場が「西灘シネマ・西灘<br />
劇場」として生き残った。<br />
「西灘シネマ・西灘劇場」は2つの顔を持つ。<br />
成人系のシネマでは「馬を愛した牧場娘」「和服妻陵辱」などの成人<br />
映画が、後期にはアート系作品を上映するようになった西灘劇場では<br />
「12人の怒れる男」「草ぶきの学校」など文学的タイトルが並んだ。<br />
まさに聖と俗。ジキルとハイド、あるいはアシュラ男爵的な映画館。<br />
買い物帰りに、灘温泉帰りに、下駄履きで立ち寄れる映画館として、<br />
神戸市内でも貴重な存在だったが、2004年5月31日に惜しまれながら<br />
「水道筋の映画館」は閉館した。<br />
跡地には何事も無かったかのように瀟洒なマンションが建った。</p>
	<p>奇しくもこのドラマのロケが行われ、森山未來と佐藤江梨子が、映画<br />
館跡近くで足を止めたのは、西灘劇場の地霊が彼らを呼び寄せたのか<br />
もしれない。</p>
	<p><img src="http://www.nadatama.com/modules/wordpress0/attach/lib110114_04.jpg" alt="" /><br />
<font size="1"><font color="#800000">『その街のこども劇場版』予告編より「水道筋商店街復路」</font><br />
<br />
<font size="2"><font color="#000000"><br />
</font></p>
	<p>御影山手にある「美夏のおばあちゃん家」から、東遊園地を目指す二人<br />
は再び水道筋へ。<br />
行きは真っ暗だったアーケードは、明るくまばゆいばかりの光のトンネル<br />
になっていた。<br />
勇治と美夏は何かに吹っ切れたように水道筋を駆け抜ける。<br />
もう立ち止まったりしなかった。<br />
画面に映った「汽笛亭」がもともと瓦せんべい屋だったことも、子ども<br />
であふれた模型屋があったことも、そしてこの地に映画館があったこと<br />
も忘れるように。</p>
	<p>無数の記憶と歴史が積層する水道筋も16回目の1.17を迎える。<br />
（つづく）<br />
<img src="http://www.nadatama.com/modules/wordpress0/attach/lib110114_05.jpg" alt="" /></font></font></font></font></font></font></p>
	<p>劇場版『その街のこども』のシネ・リーブル神戸での上映は終了しましたが、<br />
1月15日（土）～1月18日（火）まで長田区の神戸映画資料館で上映されます。<br />
1/15（土）19:30<br />
1/16（日）19:30<br />
1/17（月）・18日（火）　11:00、13:00、19:00</p>
	<p>神戸映画資料館<br />
http://kobe-eiga.net/</p>
	<p><object width="640" height="385"><br />
<param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/EEj5inOJ6sI?fs=1&#038;hl=ja_JP"></param>
<param name="allowFullScreen" value="true"></param>
<param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/EEj5inOJ6sI?fs=1&#038;hl=ja_JP" type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="640" height="385"></embed></object>
</p>
]]></content:encoded>
	</item>
		<item>
		<title>その街のこども、その街のはなし（2）</title>
		<link>http://www.nadatama.com/modules/wordpress0/index.php/archives/2011/01/06/2/</link>
		<comments>http://www.nadatama.com/modules/wordpress0/index.php/archives/2011/01/06/2/#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 06 Jan 2011 11:00:49 +0900</pubDate>
		<author>library &lt;nadat&amp;#97;&amp;#109;a&amp;#64;nada&amp;#116;a&amp;#109;a&amp;#46;c&amp;#111;&amp;#109;&gt;</author>
		
	<category>イベント</category>		<guid isPermaLink="true">http://www.nadatama.com/modules/wordpress0/index.php/archives/2011/01/06/2/</guid>
		<description>	
「西灘のガード」を越えたところで勇治の足が止まる。
通りの突き当たり、JR東海道線の下には「赤トンネル」と呼ばれた
長いトンネルが明治時代から街の南北を結ぶ。
その重厚な断面は歴史的建造物と呼んでもおかしくないオーラを放つ。
実は初代の灘駅はこのあたりに開業した。
神戸港方面への貨物をさばくために貨物専用駅として初代「灘駅」
が開設されたのは1907年（明治40）。
その後、西灘村、西郷町の有志が旅客扱いを鉄道省に要望し、1917年
（大正6年）に現在の場所に旅客駅として灘駅がつくられ、元の貨物
取り扱い駅は灘駅の東なので「東灘駅」と改称された。
	赤トンネルの遥か先には摩耶山がそびえ、「傷」のように見える
ケーブルカーの軌道が山腹に走る。
かつては夜になると軌道沿いに照明が灯り、ちょうど摩耶山にかけ
られたネックレスのように見えた。今は深い緑に覆われてしまった
「軍艦ホテル」の威容と合わせて、美しい摩耶山のオブジェだった。
山に向かって真っ直ぐ延びるこの道は、天上寺の参詣道だった道で、
参詣道と西国街道などの幹線との交差部には山門が設置された。
	高度経済成長期になると、この道の両側にはパン屋、八百屋、下駄屋、
本屋、豆腐屋、うどん屋、たこ焼き屋など小さな商店が軒を連ねた。
ガレージを改造したゲームコーナーには、ピンボールに興じる「その
街のこども」たちの声が響いた。
通りの西には「富士温泉」もあり、灘南部の下町らしい小さなにぎわ
いを見せていた。
	平成7年1月17日、「トラウマ地帯や…」と勇治がつぶやくいたこの
街角も大きく揺れる。
倒壊した家屋が街路を塞いだ。実に地域内の半数が全壊という激震地
だった。
長い赤トンネルはシェルターとなって、何人かの命を救った。
このエリアも間もなく16年目の1.17を迎える。
赤トンネルの上の広大な東灘操車場は震災後その任を解かれ、皮肉
なことにかつての灘駅発祥の地にはJRの新駅ができることになった。
駅周辺には700戸余のマンション群が建つという。
この道から望めた、摩耶山の麗峰もやがて見えなくなるのだろう。
	「西灘のトラウマ地帯」を越えた勇治と美華は水道筋へと向かう。
（つづく）
	その街のこども劇場版』はシネ・リーブル神戸で上映中。
神戸の上映はいよいよ明日まで！
	詳細は
シネ・リーブル神戸
『その街のこども』オフィシャルサイト

 </description>
		<content:encoded><![CDATA[	<p><img src="http://www.nadatama.com/modules/wordpress0/attach/lib110106_01.jpg" alt="" /></p>
	<p>「西灘のガード」を越えたところで勇治の足が止まる。<br />
通りの突き当たり、JR東海道線の下には「赤トンネル」と呼ばれた<br />
長いトンネルが明治時代から街の南北を結ぶ。<br />
その重厚な断面は歴史的建造物と呼んでもおかしくないオーラを放つ。<br />
実は初代の灘駅はこのあたりに開業した。<br />
神戸港方面への貨物をさばくために貨物専用駅として初代「灘駅」<br />
が開設されたのは1907年（明治40）。<br />
その後、西灘村、西郷町の有志が旅客扱いを鉄道省に要望し、1917年<br />
（大正6年）に現在の場所に旅客駅として灘駅がつくられ、元の貨物<br />
取り扱い駅は灘駅の東なので「東灘駅」と改称された。</p>
	<p>赤トンネルの遥か先には摩耶山がそびえ、「傷」のように見える<br />
ケーブルカーの軌道が山腹に走る。<br />
かつては夜になると軌道沿いに照明が灯り、ちょうど摩耶山にかけ<br />
られたネックレスのように見えた。今は深い緑に覆われてしまった<br />
「軍艦ホテル」の威容と合わせて、美しい摩耶山のオブジェだった。<br />
山に向かって真っ直ぐ延びるこの道は、天上寺の参詣道だった道で、<br />
参詣道と西国街道などの幹線との交差部には山門が設置された。</p>
	<p>高度経済成長期になると、この道の両側にはパン屋、八百屋、下駄屋、<br />
本屋、豆腐屋、うどん屋、たこ焼き屋など小さな商店が軒を連ねた。<br />
ガレージを改造したゲームコーナーには、ピンボールに興じる「その<br />
街のこども」たちの声が響いた。<br />
通りの西には「富士温泉」もあり、灘南部の下町らしい小さなにぎわ<br />
いを見せていた。</p>
	<p>平成7年1月17日、「トラウマ地帯や…」と勇治がつぶやくいたこの<br />
街角も大きく揺れる。<br />
倒壊した家屋が街路を塞いだ。実に地域内の半数が全壊という激震地<br />
だった。<br />
長い赤トンネルはシェルターとなって、何人かの命を救った。<br />
このエリアも間もなく16年目の1.17を迎える。<br />
赤トンネルの上の広大な東灘操車場は震災後その任を解かれ、皮肉<br />
なことにかつての灘駅発祥の地にはJRの新駅ができることになった。<br />
駅周辺には700戸余のマンション群が建つという。<br />
この道から望めた、摩耶山の麗峰もやがて見えなくなるのだろう。</p>
	<p>「西灘のトラウマ地帯」を越えた勇治と美華は水道筋へと向かう。<br />
（つづく）</p>
	<p><object width="640" height="385"><br />
<param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/EEj5inOJ6sI?fs=1&#038;hl=ja_JP"></param>
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<param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/EEj5inOJ6sI?fs=1&#038;hl=ja_JP" type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="640" height="385"></embed></object></p>
	<p>その街のこども劇場版』はシネ・リーブル神戸で上映中。<br />
神戸の上映はいよいよ明日まで！</p>
	<p>詳細は<br />
<a href="http://www.ttcg.jp/cinelibre_kobe/">シネ・リーブル神戸</a><br />
<a href="http://www.sonomachi.com/">『その街のこども』オフィシャルサイト</a>
</p>
]]></content:encoded>
	</item>
	</channel>
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