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2012年1月17日(火曜日)

その街のこども、その街のはなし(6)

カテゴリー: - library @ 12時00分38秒

17回目の1.17を迎えた今年、『その街のこども』の劇場版が1/14〜1/27まで
十三・シアターセブンで上映されているので、昨年に引き続きその街のロケ地を
探訪してみる。

  美夏(佐藤江梨子)が友人「ゆっちのおっちゃん」の家へ行っている間
  勇治(森山未來)はコンビニで時間をつぶした。

『その街のこども』では、前半に福住通のセブンイレブン、後半に灘南通の
ファミリーマートという2カ所のコンビニが登場する。
全体的に暗いトーンの映像が続く中、コンビニの明るい照明が印象的だ。
どちらのコンビニも元々は酒屋で、勇治が雑誌を立ち読みする灘南通のファ
ミリーマートは元々「ナダ萬酒店」という屋号だった。
黒々とした酒屋独特の看板ははずされ、煌煌と光る明るい内照式の看板に
なったが、端っこの方に小さく昔の屋号が表記されていた。

このあたりを歩くと、スパイシーな香りが鼻腔をくすぐる。
コンビニの北にある「インドスパイス」は全国にスパイスを卸している
知る人ぞ知るスパイス卸店で、そのシェアは国内のアジア系のレストラン
の70%を占めるという。
奇しくもインドからやってきた法道仙人によって開かれた摩耶山の麓から
日本全国へスパイスが届けられているというのも興味深い。
ちなみにインドスパイス・マルヤ(都通)・橋(灘南通→現在は千旦通に移転)
の3点をむすんだ三角形は「西灘カレートライアングル」と呼ばれていた。
「インドスパイス」の建物は、昭和50年頃まで「西灘温泉」という風呂屋
だった。灘南通にはもう一カ所「富士温泉」があり、たがいに定休日をずらし、
エリアに住む人々の便宜を図っていた。
どちらも、内風呂のない古い長屋やアパートが多かったこの地域になくては
ならない施設だったが今は存在しない。

劇中、コンビニとともに鉄道をくぐる「ガード」が印象的なシーンとして
使われている。
二人が三宮から灘に向かう途中にたこ焼きを買うガードでは、高架上を走る
列車の轟音と震災の時の音が美夏の記憶の中で重ね合わされ、その次の阪神
西灘駅のガードでは、勇治がガードをくぐり抜けるとトラウマになって
いる震災の記憶が蘇った。
灘南通のコンビニを出た勇治が、六甲風の郷公園へと戻るときに抜ける薄暗い
ガードの正式名称は「森村架道橋」という。このそっけないガードは震災前
まで歩車道の区別のないトンネルだったが、平成10年に市道国魂線にあわせて
拡幅された。
灘区民でも森村という地名は聞き慣れないかと思う。
東海道本線が開通した当時、このあたりは「森」という村だった。
その後西灘村になり、昭和4年には神戸市に編入され、昭和6年に灘区に
なった。今は140年の時を越え、旧村の「森村」の地名が刻まれた銘版が、
ガード入口にひっそりと残っている。

森村はやがて灘南通という町名になった。
灘南の地名は住吉〜三宮間に明治43年に開設された貨物駅、灘駅の南に
位置することに由来する。大正6年に現在の灘駅が完成し、大正8年には
貨物駅としての灘駅は東灘駅と改称された。ということで、灘南通は本来
「東灘南通」が正しい。
「灘区にあるのに東灘とはこれいかに」などと揶揄された東灘駅(操車場)
だったが、あと1年で開業100年を迎えるという平成15年に廃止された。
平成22年、この東灘駅跡に新駅ができると発表された。
「まや駅」という仮称がつけられた新駅は、2016年に開業する予定だ。
元の灘駅があった場所に、また駅が戻ってくる。
震災をくぐり抜け、数奇な歴史が積み重なったガードをくぐって、
勇治は美夏のいる六甲風の郷公園へ急ぐ。

『その街のこども劇場版』は十三・シアターセブンで上映中。
2011/1/14〜1/27 13:10〜14:33
1月17日はプロデューサーの京田光弘氏を招いての上映+トークイベント
詳細は
十三・シアターセブン
『その街のこども』オフィシャルサイト



震災経た若者の今 ドラマ「その街のこども」映画化(神戸新聞2010/11/24)


2011年6月1日(水曜日)

その街のこども、その街のはなし(5)

カテゴリー: - library @ 13時00分13秒

灘文化堂で紹介してきた灘ロケ作品『その街のこども 劇場版』待望のDVDが6月3日発売になる。
ということで、中断していた「その街散歩」を再開したいと思う。

  御影のおばあちゃ家からの帰り道、美夏と勇治は「きれいな公園」を横切る。
  ふと見上げると、震災で亡くなった美夏の友人ゆっちのおっちゃんが住むマンションだった。

風の郷公園

「きれいな公園」は六甲町の「六甲風の郷公園」という新しい公園だが、
名前に聞き覚えが無い方も多いかもしれない。
JR六甲道駅北地区の震災復興再開発事業の一環として5年前に完成した。
公園の計画には周辺住民も加わり、ワークショップ形式でプランニングが
進められた。
風の郷公園は六甲町1丁目と2丁目にまたがる公園で、美夏がおっちゃんに
会っている間、野球少年だった勇治が素振りをしながら美夏を待つあたり
が六甲町1丁目。ここは昭和44年以前は「辰中町一丁目」という町名だった。
六甲町は辰中町、庄屋町、前出町、花園町が統合されてできた比較的新しい
町名。
かつての町名はいずれも趣のある名称だったが「六甲町」という、茫洋と
したのっぺりと陰影のない町名になったのは残念だ。
ちなみ花園町にあった花園中学は数奇な運命をたどった学校で、昭和22年
に開校した花園中学は、わずか16年後には長峰山に移転し長峰中学と改称。
残った校舎に摩耶高校が開校するが、5年後には湊川高校と合併し赤塚山へ
移転し赤塚山高校に。校舎はそのままで、昭和45年に六甲、西灘、稗田の
3小学校から分かれ、灘小学校が開校して現在に至る。

風の郷公園に戻ろう。
以前八幡神社の前にあった「八悟」が参道を下り、公園の南に移転した。
若夫婦が切り盛りした店はもう30年経った。同じ門前にあった「栄珍」無き
あと、70年代の宮前の空気を伝える貴重な老舗だ。
公園の東には宮前商店街が南北に走る。以前あった龍の腹の中のような
アーケード「宮前マジックドラゴン」は撤去され、空が見える明るい通り
になった。

取り壊される前の宮前商店街アーケード


アーケードからは東に向かって宮前市場が伸びていた。
昭和7年にオープン、空襲でも焼け残り灘区内で唯一震災を免れた市場だっ
たが、震災後アーケードは撤去され、明るいスーパー形式の市場になった。
宮前市場
震災後建て替え前の宮前市場西入口


さらにその東には「六甲東映」があった。東映と名がつくが谷ナオミや団鬼六
などの文字が踊る成人映画館で、独特の湿度のある雰囲気をかもし出してい
たが、マンションになってしまった。そういえば団鬼六も先月亡くなった。
路地はなくなり、道が広げられ、巨大な公園ができてしまった界隈にも、ヒュー
マンスケールの風景が今も残る。
マンションの足下に、子どもたちを見守る地蔵がまつられている。
普段はひっそりとしているが、今年も夏の地蔵盆、8月24日の「おさがり」
には、この街の子どもたちがにぎやかに集まるはずだ。

地蔵尊

「様々な傷を抱えた被災者と、非被災者の溝を乗り越えることの難しさと
大切さを伝える『その街の子ども劇場版』は、今を生きるすべての「こども
たち」が決して忘れてはならない未來への希望を描いている。」
(『その街のこども劇場版』パンフレットより)
東日本大震災がおこった今こそ、このドラマが描くテーマが大事になって
くるような気がする。


2008年12月5日(金曜日)

鶴甲に機関車現る

カテゴリー: - library @ 17時00分02秒

1973年、水陸両用の蒸気機関車が日本全国を旅するという画期的なTVドラマが
放映された。
「走れ!ケー100」と題されたその子ども番組はたちまち大人気となる。
モータリゼーションの波が押し寄せ、各地から蒸気機関車が消えていった
時期に「蒸気機関車にゴムタイヤをつけて道路を走らせよう」という設定は
お見事としかいいようがない。
しかもアニメではなく実写だったのだ。
なにせ蒸気機関車が神社の階段を登ったり、沖縄の海の上を走ったりと、
信じられないパフォーマンスを見せるのだ。
子どもたちがハマらないはずがない。
そして人の言葉や感情を理解し、煙突から出る煙の色や汽笛で喜怒哀楽を表す
という芸の細かさ。
単調な勧善懲悪モノに成り下がったウルトラシリーズに飽き飽きしていた
子どもたちもこのドラマには目を輝かせた。
実は私も引き戸の戸車を車輪にし、ボディを木の板で作った一人乗りの
手作り機関車「K100号」に乗って遊んでいた。ただしドラマのケー100とは
違い坂を下ることしかできなかったが。

そしてこのドラマのもう一つの魅力は、全国を行脚するロードムービー
(といっても過言ではない)だったことであろう。
鹿児島を出発したケー100は北海道にいる老機関士に会うために日本列島を
縦断する。そして北海道で折り返し、復帰間もない沖縄を目指し、また旅に
出る。
4万キロを走破し、ついに最終回の沖縄へ。
沖縄ロケ回のうち1回は、ウルトラシリーズの脚本家で沖縄出身の脚本家
上原正三作品だった。医者役でウルトラセブン灘ロケ作品の脚本を書いた
「キングジョー」こと金城哲夫氏が登場するのも見逃せない。
ハブにタイヤを噛まれたケー100は血清で命を吹き返す。
ツボを心得た演出だ。
そして感動のラストシーン。
ケー100が夕陽にきらめく海に入っていく。
汽笛を鳴らしながらニライカナイに向かって消えていくケー100。
さよなら、ケー100。

そしてケー100は灘区も訪れていた。
第9話「煙モクモクなんだ坂、こんな坂〜兵庫の巻」である。
姫路から神戸に入ったケー100は少年ケンイチの父を捜すためになんと
六甲登山口経由で六甲山に登る。
「六甲山や摩耶山はケーブルで登るもの」と思っていた灘っ子たちに
とって、六甲山を登る蒸気機関車の映像はさぞ衝撃的だっただろう。
残念ながら私はこの回を覚えていない。
ひょっとしたら見逃したのかもしれない。
しかし、何人かの灘区民から「鶴甲公園でケー100を見た」など、
鶴甲近辺での目撃情報がいくつか寄せられている。
当時のロケを覚えている方がいらっしゃいましたら、
是非情報をお寄せください。
そして誰かこのDVDボックスを買ってください。
上映会をしますので(笑)



参考サイト
「発車オーライ!走れ!ケー100」


2007年3月2日(金曜日)

ニシナダ春景色

カテゴリー: - library @ 17時00分42秒

『南野陽子 ナンノ・ボックス(DVD付)』

灘も卒業式シーズンを迎えた。
区内の各学校でも悲喜こもごもの別れの風景が繰り広げられる。
やはり灘の卒業式シーズンには「灘の卒業ソング」をご紹介したい。
また南野陽子かよ、という声が聞こえてきそうであるがお許し願いたい。
扇千景も八千草薫も山田スミ子も楠本美枝子も朱里エイコもアンルイスも網浜直子も
鈴木杏樹も藤原紀香も戸田恵梨香も卒業ソングは歌っていないのだから。
今回紹介する13枚組の「ナンノ・ボックス」のDISK1のタイトルは「春景色」
おそらく彼女の灘時代(松蔭高時代) を歌った、ファーストアルバム『ジェラート』の
一曲目「春景色」からの命名。
ちなみにこの曲の作詞はナンノ本人ではなくイノ・ブランシュこと平中悠一氏。
余談だが、彼は関学出身で大江千里の後輩にあたり、阪神間の雰囲気を良く知る作家である。
彼の代表作「She’s Rain」は、芦屋出身の白羽弥仁監督(彼は灘にもゆかりがある)
によって映画化された。
震災前の阪急沿線で撮影され、今となっては貴重な作品だ。
またまた余談だが主役の小松千春の通う学校の制服は松蔭ライクな白のワンピース。
しかしロケ地は甲南女子大学(東灘区)。
脱線しすぎた。このあたりはまた別の機会に。

『春景色』

「あなた待つホームから見える景色は遠い海
 春めく風に誘われる神戸線 のどかに 」
   >もちろんこののどかな神戸線のホームは阪急西灘駅(当時)。
    ナンノが眺めた海は、ビルの海に隠れて本当に遠くなってしまった。
    阪急西灘駅で待つ彼氏というと神戸高か葺合高生だが、その辺りの
    男子は相手にされるわけがない。

王子公園ホームより

「紺色の詰め襟のあなたは少し照れた風
 ドキドキするわ生意気なあなたなの いつもは」
   >紺色の詰め襟といえば灘区的には(私)六甲高校でろうか。
    やはりアカぬけない公立校生では詩にならない。  
    ちなみに文化祭でナンノと知り合い、いっしょに映画を見に行ったことがある
    という滝川高生は灘クミン(烏帽子中卒)である。

「坂道を上りきり 見下ろせば ほら船の影
 優しくわたし包んでる この街 いつでも 」
   >のどかな春の灘が感じられるくだり。
    ちょうど葺合区との区界の坂道あたりであろう。

区界の坂道

「ジェラートをなめても やっぱり あなた元気ない。
 『嫌われても仕方ない』と思ってる ばかなの」
   >本来はジェラートではなく「ぷらっとむ」のクレープか
    「青べー」のタマゴロールかと思われる。
    この歌詞中の『ジェラート』がファーストアルバムのタイトルになるのだが、
    灘的に忠実にいけば『タマゴロール』というアイドルとしてはとんでもない
    アルバム名になっていたかもしれない。

「制服にさよならして 電車の駅が変わって
 4月からあなたより1つ上級生になる 」
   >彼女が芸能界入りして堀越に転校した後、阪急西灘は
    阪急王子公園という味も素っ気もない名前に変わる。
    阪神西灘との混用を避けるためだというが、やはりこの駅は
    王子公園などという官製の名前ではなく「ニシナダ」であって欲しいと思う。

昨日3月1日、松蔭高校では卒業式が行われた。
灘の春はもうそこまで来ている。



2006年12月6日(水曜日)

貧乏神は照れ屋さん

カテゴリー: - library @ 11時05分24秒

「桂 枝雀 落語大全 第八集」
「上方落語 桂枝雀爆笑コレクション〈4〉萬事気嫌よく 」

天才落語家、桂枝雀こと前田達さんは灘区中郷町のブリキ店で生まれた。
疎開を機に灘区を離れるも、彼はまた灘区に戻ってくる。
神戸大学文学部入学。
しかし、
「大学いうところがだいたい分かりました」
といって1年で灘区を去り、桂米朝師に入門。
前田さんが灘区にいたのは合計7〜8年くらいかもしれない。
でも彼の体の中には脈々と灘DNAが流れていたはずだ。

六甲山麓の明るい坂道を転げ落ちるかのような楽しげな仕種。
急斜面を流れる川のように突然あふれ出す切れ目のないまくしたて。
破天荒と言われ、賛否両論だったオーバーパフォーマンスは、
伝統の浅い港町特有の軽やかなモダンさに通じる。
定評のある酒噺は、灘の杜氏の霊が降りてきたとしか思えない。
でも、本当は控えめで照れ屋さん。
前田さんはやはり灘区が産んだ偉大な落語家、いやパフォーマー
だったんだと、あらためて思う。

奥ゆかしい前田さんが、唯一自分の出生をマクラにした噺が
今回紹介する書籍、DVDに収録されている「貧乏神」。

「ご承知であろうと思いますが、神戸市灘区中郷町2丁目3番地に、
 エー、私が生まれたんでございます。
 昭和14年8月13日でございますがね…」

前田さんには灘の街は、どう映っていたのだろう?
やはり買い物は八幡市場なのか、それとも地蔵市場なのか?
水道筋には行ったのだろうか?
「貧乏神」に出てくる実家の神棚の神さんはどこの神様なのか?
やはり徳井神社だったのか?
ご存命であれば是非一度いろんなことを尋ねてみたかった。

「徳井には『こぉ〜〜んな』大きなだんじりがありましたのでございます。
 お祭りの日ィは、朝から『コンチキチ〜ンコンチキチ〜ン』いいましてェ、
 その道中の陽気なことォ〜!」

少し照れながら、坊主頭を撫でつつ、
いつものオーバーパフォーマンスで灘噺を語ってくれたに違いない。


2006年10月24日(火曜日)

ウルトラ警備隊、灘へ

カテゴリー: - library @ 16時11分57秒

「たいへんや!たいへんや!」
「どないしたん?」
「タ、タカバシでポ、ポインター見てん!」
「うそつけ〜」
「ほんまや!ダンもアマギものっとったんや!」
「ホンマか!で、どっち行った!?」
「海の方に行った!」
「どこにかいじゅう出んのやろ!」
「まや山の地下から出てくるんちゃう?」
「いや、なだ浜やで!海からゴボゴボって!
 あっこ石油タンクあるで!コワー!」
「コワーコワー!」
「コワーコワーコワー!」

昭和43年のある日、灘っ子たちに衝撃が走った。

ウルトラ警備隊が灘の街に…

当時、子ども達のハートをしっかりつかんでいた、超人気番組
「ウルトラセブン」。その中に出てくる「ウルトラ警備隊」は
灘っ子達にとっても憧れの的であった。
「ポインター」はウルトラ警備隊の誇る水陸両用高性能カー。
日本中の子ども達の人気を一身に受けた、超人気スーパーカーで
ある。
そのポインターが、なんと灘の街を走ったのだった。

ウルトラセブン第14・15話「ウルトラ警備隊西へ」は昭和42年頃
神戸でロケが行われた。もちろん灘区でも。

=地球がペダン星へ観測用ロケットを打ち上げた。
=侵略と勘違いしたペダン星人は地球へスパイを送り込んだ。
=それに気付いた地球防衛軍は、
=六甲山にある防衛センターで国際会議を行うことになった。
=ウルトラ警備隊もポインターで西へ向かった。
=シークレットハイウェイルート9を通って。
=♪ワンツー、スリフォ、ワンツー、スリフォ…

「シークレットハイウェイルート9」を疾走するポインターの撮影
は開通間もない六甲トンネルで行われた。
六甲トンネルの開通は昭和42年3月25日。まだ真新しく未来的な六甲
トンネルは日本を縦貫するシークレットハイウェイと呼んでもおか
しくない最新鋭のトンネルであった。そして基地の手前にあるこれ
また完成ホヤホヤの「新六甲大橋」をポインターは颯爽と駆け抜け
て行った。

=ペダン星のスパイは神戸に潜入した。
=ウルトラ警備隊の隊員達は灘区内に配備についた。
=アマギ隊員は「神戸つくばね会」に扮装し、六甲山へ。
=ソガ隊員は「マドロス」に扮装し、摩耶埠頭・摩耶大橋へ。
=アンヌ隊員は「ミカゲレーヌ」に扮装し…残念ながら北野町へ。

摩耶大橋は昭和41年6月2日、その後42年3月に摩耶埠頭が完成した。
もうおわかりだろうが、先ほどの「六甲トンネル」「新六甲大橋」
「摩耶大橋」「摩耶埠頭」、完成がすべて昭和41〜42年に集中して
いる。当時の助役(後市長)宮崎辰雄氏がTBS、いや円谷プロと癒
着があったかどうか定かではないが、ポートアイランド建設の序奏
として、神戸市が最新土木技術のプレゼンテーションのためにタイ
アップしたとも考えられる。
円谷プロ側としても、神戸が、いや灘区が世界に誇る、できたて
ほやほやの近代的土木構造物が、ウルトラセブンの近未来的設定に
ぴったり合致したので、ロケ地として選んだのであろう。

そして、作品中最も印象深いシーンへ。

=地球人が悪いのか?ペダン星人が悪いのか?
=侵略とは?平和とは?悪とは?正義とは?
=ついに、ペダン星の英知の結晶、
=スーパーロボット「キングジョー」が神戸港に現われる。
=目の前にはポートタワーが…。
=危うし!神戸…いや、灘区!
=セブン!頑張れ!神戸…いや、灘区のために!!

この作品が放映されたのは昭和43年。
アメリカのベトナム侵攻、沖縄の日本返還問題…。
とても子ども向け作品とは思えない、ぶ厚く重いテーマがシナリオ
の底辺を流れる。

…しかし、灘っ子達はそんな大人達の思い入れなんておかまいなし
なのだった。
ロケの次の日…

「見たで!見たで!ポインター近くで見てきたで〜!」
「うそ!ええなあ!どんなんどんなん?!」
「ポインターなぁ…近くでみたらなぁ…ブリキでできとったで」
「ブリキ?ポインターはブリキなん?」
「そうや、ポインターはブリキやねん」
「なんや、ブリキ…か…」
「そうや…」
「そうか…」

明けの明星が輝く頃…
灘っ子の見果てぬ近未来の夢は、アイスラッガーでぶち切られ、
灘の空に散っていった。


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