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冬が来る前に坂
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2012年7月2日(月曜日)

甘い予感

カテゴリー: - library @ 08時55分03秒

水道筋の[月光レコード]が閉店する。
水道筋からは本屋、レコード店という「文化部門」が完全になくなることになる。
時代の流れとは言え、これでいいのか?水道筋。
というか、レコード店自体が灘区内からなくなった。
今残ってるのは六甲道の[ベスト]くらいだろうか。

初めて自分の小遣いでレコードを買ったのは、阪神大石の高架下にあった
BSショッピングセンター2階の[大石音響]だった。
小学生の頃はレコードを買うという行為がとてもオトナなような気がして、
レコードを手に取り、レジまで持っていくのに相当時間がかかったような気が
する。さらに女性アイドルのレコードを買うことなんざ、純朴な男のコにとって、
相当なハードルな訳ですよ。
なにかイケナイことをしているような気分になるわけですよ。

アン・ルイスが青谷のステラマリスインターナショナルスクールに在籍していた
ことは、海星で非常勤講師をしていた母から聞いて知っていた。
「灘区の学校に通っていたアイドル」
それだけで僕の心は海星のチャイムのようにディンドンと高鳴った。
今回ご紹介する、彼女の13枚目のシングル『甘い予感』は、後に『女はそれ
を我慢できない』『ラ・セゾン』などのロック歌謡へと向かう前のソフト路線最後の
楽曲で、作詞作曲・松任谷由実、編曲・松任谷正隆の佳曲。

 Wow Wow Wow
 ふとつけたの カーラジオ
 流れてくるのは ビーチボーイズ

それまでアカぬけない歌謡ポップスから一転してのニューミュージック。
ユーミンが思い描いたであろう湘南の空気と、アンが吸った神戸の空気が
不思議とリンクする。

 夏がゆく頃に 恋も終わるって
 だれがきめた 悲しいこと
 私 信じない

かつては夏になるとインターナショナルスクール(後カナディアンアカデミーに吸収)
の「お姉さん達」が長峰の堰堤に飛び込む姿が見られたそうだ。
そのすらりと伸びた白い肢体と青い目に、灘っ子のハートはわしづかみにされたという。
そんな灘の夏をふと思い出させてくれるフレーズだ。

35年前に戻る。
ドキドキしながらBSショッピングセンターのエスカレーターを駆け上がり大石音響へ。
摩耶山のカエデのような葉っぱを髪につけて、伏し目がちのアンのジャケットを見つ
けて手に取った。
買うのか?このレコード買っていいのか?オレ。
誰かに見つかったらどうしよう。
長い時間が経ったような気がする。
レジのおじさんにもにらまれたような気がする。
でも結局は買えずに、横にあった太川陽介の『ルイルイ』を買ってしまったのだった。
これが私のレコード購入初体験だった。
そして後に『六本木心中』を聞いた時「青谷のアン」は僕の中からいなくなった。


2011年10月31日(月曜日)

冬が来る前に坂

カテゴリー: - library @ 21時00分23秒

坂の細い道を 夏の雨にうたれ…

早いもので今年ももう秋…というか冬がそこまで来ている。
フォークデュオ、紙ふうせんのヒット曲『冬が来る前に』の歌詞に出てくる
坂道は、実は灘区内の坂道だったという灘的スクープ記事が先週末の産経新聞に
掲載された。
灘区で冬が来る前にすることといえば、六甲山小学校のストーブ火入れ式か、六甲
高山植物園の小便小僧マント着せ儀式が思い浮かぶが、そうではなかった。
『冬が来る前に』は、冬を迎える前の秋の歌だと思われがちだが、冒頭で紹介した
歌詞のように物語は夏から始まる。
記事によると、紙ふうせんの後藤悦治郎氏がパートナーの平山泰代さんに王子動物園
で結婚のプロポーズをしたが断られ、失意のうちに下りた「王子動物園と葺合高校の
間の坂道」の光景を詩にしたらしい。
王子動物園の正門は原田線に面しているので、動物園を出て西の坂道を通って帰る
という経路はいささか不自然ではあるが、そのあたりのナニな事情はよしとしよう。
そんなエピソードがある坂道なのに「王子動物園と葺合高校の間の坂道」では
あまりにも味気ないので、ナダタマでは仮にこの坂を「冬が来る前に坂」と呼ぶことにする。
ちなみに2番の歌詞は秋で、王子動物園南の市電筋の歩道に積もる落ち葉がモチーフに
なっているようだ。


昭和初期の王子公園付近の様子。赤線部が現在の「冬が来る前に坂」


「冬が来る前に坂」は昭和4年まで、神戸市の市境だった。
旧関西学院のチャペルだった灘文学館の敷地内には当時の境界石が残っている。
坂の西が神戸市、東は神戸市に編入される前の西灘村があり、坂をはさんで神戸
高等商業学校(現神戸大学)と関西学院が対峙していた。
学生街としてにぎわいを見せた界隈には学生目当てのカフェや本屋が並ぶ、文化の
香り高い街だったという。(それと比べると、現在の灘の学生街である阪急六甲
周辺の状況はいささか寂しいものがあるが)
加納町にある神戸最古のバー[アカデミー]も、実はこの坂道から少し西の上筒井
6丁目にあった。
三宮乗り入れ以前、阪急神戸線の終点だった上筒井からは「冬が来る前に坂」を
経由して摩耶ケーブル駅までバスが走っていた。

上筒井〜摩耶ケーブル間を結んでいたバス(写真:灘百選の会)


稲垣足穂、竹中郁、谷崎潤一郎などの文人も闊歩したかもしれないこの坂道は、
紙ふうせんの『冬が来る前に』以外にも詩のモチーフになっている。
坂道の北にある松蔭女子出身の南野陽子の自伝的一曲『春景色』には、
「坂道を上りきり 見下ろせば ほら船の影」
とこの坂道から見える風景とおぼしき表現があるし、松蔭の南隣の海星女子大学
出身の平松恵理の『南町から』には
「真っ赤な六甲を背に港へ続く道歩いた 黙ったまま」
というこの坂道を彷彿とさせる歌詞がある。
「冬が来る前に坂」は、昔も今も詩的で絵になる坂道なのかもしれない。

区界の坂道


[参考記事]
紙ふうせん「冬が来る前に」 神戸・王子動物園界隈(産経新聞 2011.10.29夕刊)


2011年6月6日(月曜日)

6月5日 中郷町

カテゴリー: - library @ 13時00分15秒

昭和20年6月5日。神戸、そして灘区が猛火に包まれた日。
8月5日の空襲と合わせて灘区の被害は、死者808人、全焼・
全壊家屋18068戸、罹災者74102人とされているが、届け出
のあったものだけに限られているので、実数はさらにこれ
を上回る凄惨なものだった。
当時、中郷町3丁目に住んでいた野坂昭如はこの時の空襲
体験をもとに戦争文学の名作『火垂の墓』を書いたのは、
灘クミンならよくご存知のことと思う。
この時、同じ中郷町にもう一人の少年がいた。
野坂の家(養父張満谷家)から目と鼻の先の中郷町2丁目
に住んでいた少年が、後の桂枝雀となる前田達少年だった。
神戸空襲のとき、野坂は15歳でが前田少年は5歳。
その時の記憶を野坂は小説にしたが、枝雀師匠は落語の枕
にした。「貧乏神」という気の弱い神様の話の枕が『上方
落語 桂枝雀爆笑コレクション〈4〉萬事気嫌よく』(ちく
ま文庫)に収録されている。

  エー、昭和20年に大空襲がございます。
  神戸は6月でございました。
  大阪は、エー6月ではなかったのかと思いますが、えらい
  空襲でございました。
  ご承知の方はご承知でしょうが、親父がブリキ職でござい
  まして、まあ、職人でございますから、仕事場にでござい
  ますね。神棚がしつらえてございまして…

前田家は灘区中郷町2丁目でブリキ店を営んでいた。
仕事場には神棚があり、朝に夕べに祈りをささげていたという。
近所の徳井神社の氏子だったのかもしれない。
6月5日、中郷町にも空襲警報が鳴り響く。
いつもは警戒警報だったのが、この日は違った。

  「今日も大丈夫やろう」言うてましたら、その日に
   限って、「空襲警報ォ!」
   ダルゥドゥズバババババババババァー…
   「えらいこっちゃー!お母ちゃん、空襲やー」
   言うたらね、そのね、朝晩拝み上げていた神棚の
   神さんね、一番にドタッ。
   落ちてこられたんでございますねえ。
   嘘でもねえ、朝晩拝み上げている神さんでござい
   ますから、もーちょっと頑張ってもらいたかたん
   ですが、ねえ…

神様が先に落ちてきて、その後に実の姉が落ちてきて、
「姉はようがんばったのに、神様は…」というオチ。
灘区を焦土と化した空襲だから、もっと緊迫感があった
に違いないが、枝雀師匠は「頼んない神さんでございま
してね。」とおどけてみせる。
悲惨な状況を笑いへと転化するという、彼の落語理論だった
「緊張と緩和」の実践。
そして戦時下の「神への妄信」を、軽やかに揶揄する批評
精神。

同じ神戸大空襲を描きながら、方や悲劇的な物語を、方や
喜劇的な噺を。
灘区中郷町という小さな街の小さな奇跡だ。

桂枝雀の生家があった中郷町2丁目から野坂昭如が暮らしていた中郷町3丁目を望む



2008年11月29日(土曜日)

真夜中の福住ギター

カテゴリー: - library @ 20時00分38秒


『真夜中のギター』という昭和のヒット曲を覚えていらっしゃるだろうか。
この曲がリリースされたのは昭和44年、灘区ができて40年目の節目の年だった。
どんなことが起こっていたか当時の灘ニュースをひもといてみよう。

[市電石屋川線が廃止]
現在の山手幹線は当時「市電筋」と呼ばれていたが、
この年を境にヤマカンという呼称に変わっていった。

[阪国電車 東神戸〜西灘間が廃止]
大阪・野田と東神戸(現在のBBプラザ南)を結んでいたちんちん電車が一部廃止になり西灘止まりに。
これにより市電の乗り入れがなくなり、ルミナリエのルーツとも称される国道2号の花電車も消えた。

[鶴甲団地の造成完成]
神戸有数のマンモス団地が完成。
灘にも団地妻が急増。

[歩道橋ラッシュ]
高羽歩道橋、友田歩道橋など小学校の近くに歩道橋が設置された。交通戦争といった言葉も使われ
るようになった。初恋の女の子が交通事故で死んでしまうという、衝撃の灘っ子トラウマ合唱組曲
「チコタン」が芸術祭優秀賞を受賞したのもこの年。

万博前夜の昭和44年、灘区も大きく都市基盤が変わっていった年だったのだ…って、そんなことが
言いたいのではなく、なんでこの曲を灘文化堂で紹介するかというと『真夜中のギター』を唄って
いた千賀かほるが元灘クミンだった「らしい」のだ。
しかも福住小出身だったという。
彼女は神戸出身で故郷が沖永良部島らしい。
だとすれば南島出身者の多い神戸・灘に彼女が住んでいてもおかしくない。
しかも福住小学校区には「奄美廉売市場(後の西灘市場)」がある。
もし千賀かほるが灘クミンであったなら『真夜中のギター』は沖灘区民が唄っていたと
いうことになる。
沖縄・南島ブームの今なら『真夜中の三線』としてリリースされたかもしれないのだ。

今でも南島系スナックが残る福住〜中原界隈。
耳をすませばこんな歌が聞こえてくるかもしれない。

 ♪街のどこかに さみしがりやが一人
  今にも泣きそうに ギターを弾いている♪

ん?
え?
あれ?
ホントに真夜中にギターの音がしてくるではないか!
これはきっと千賀かほるさんの音魂に違いない。

摩耶商店街付近

ナダタマ読者の皆さんの中に
「千賀かほるさんと同級生だった」
「千賀かほるさんの隣に住んでいた」
「千賀かほるさんとギターを弾いた」という方がいらっしゃったら
是非とも情報をお寄せください。
灘文化堂店主からのお願いです。


2007年3月14日(水曜日)

ホワイトアルバム

カテゴリー: - mj-soul @ 15時00分00秒

BASS & VOICE
Music / 発売: 2004/09 / 定価: ¥2500
SALLY’S RECORDS
   ※Amazonでの取り扱いはないようなので、
    オフィシャルサイトにリンクしています。

すでに死語かもしれないが、きょう3月14日はホワイトデーだ。
バレンタインにチョコをもらったら、白いもの(マシュマロとか)をお返しすればいいといわれていて、
ロック聴き始めの、東北に住む12歳だった僕の周りでは
「ホワイトアルバムをあげたらいいっちゃ」などと、お返しする相手もいないくせに、おませなことを言うやつがいた。
ちなみに自分のことではない。僕はひそかにチョコをもらっていた。遠い過去のささやかな栄光であるが。
ホワイトアルバムとはもちろん、ビートルズが1968年に発表した真っ白なジャケの2枚組アルバムのこと。
名盤である。いや違うな。名曲満載の問題作というべきか。まあ、この際どっちでもいい。
こんな牧歌的な少年時代を思い起こしたのには理由がある。
“灘のホワイトアルバム”があった、と気付いたのだ。

天野SHO『BASS & VOICE』。
2004年秋に発表されたSHOさんのソロアルバム。
初の単独名義というだけでなく、文字通り「ソロ」作なのであって、
ここにはSHOさんの弾くベースと、SHOさんの歌しか基本的に入っていない。(※1)
ベース弾き語りという、ほかに類を見ないスタイルを震災の年から始めたSHOさんの
10年の歩みを刻む、愛と祈りに満ちたアルバムである。
太くまろやかな響きのアルペジオが、ゆるやかな大河のような音風景をつくる。
その水面を、抑えた歌い口の、しかし、熱情を奥深く湛えた歌がたゆたう。
編成はたしかにシンプル。けれどもそれだけでは語れない豊かなサウンドがある。
夜風に揺れるロウソクの灯が、煌々と輝く照明よりもずっとあたたかな幸福をもたらすように。

収録曲は、SHOさんがたびたびステージで演奏してきた、ロックやブルース、ポップスの名曲ばかり。
クラプトン・クラシックの「Wonderful Tonight」。B.B.キングのブルースバラード「Guess Who」。
ベイビーフェイスのスウィートな「Slow Jam」。映画『バグダッド・カフェ』のテーマ「Calling You」……(※2)
強力なイメージを持つ原曲をすべて「SHO’s World」として聴かせることができるのは、
“ベースと声だけ”という珍しさによるものだけでは決してない。
灘で生まれ育ち、40年近くベース1本、ロックやブルースに根ざした音を創り出してきた、
天野SHOその人の歩みがまるごと音に刻印されているからだ。

レコーディング場所を見てハッとした。「BLUE VALLEY STUDIO」とある。
ブルー・ヴァレイ……青谷ではないか。
そう、これはSHOさんの自宅スタジオで録られた作品なのだという。
灘人が、ホームグラウンドの灘で、自らの歩みを見つめ直した真っ白なアルバム。
聞き耳を立てるように、そっと耳を傾けたい。
ロック聴き始めの灘のローティーン諸君がちょっと背伸びして
「これあげるわ。聴いてみて」と、
ふだんはあゆやKAT-TUNを聴いている彼女にこのアルバムを手渡す。
そんなホワイトデーの校舎裏を想いながら。

(※1)曲によって、SHOさんの長年の仲間であるKAJAさん、HALKOさんらのコーラスのほか、
   ギターとシンセサイザーがほんの少し色を添えている。
(※2)ほかに、SHOさんのハードロック・ルーツを垣間見せるジミヘンの「Stone Free」、
    ドラマ「華麗なる一族」の挿入歌として再び人気を集めるイーグルス「Desperado」、    
    そしてビートルズの「Let It Be」など全11曲。


2007年3月2日(金曜日)

ニシナダ春景色

カテゴリー: - library @ 17時00分42秒

『南野陽子 ナンノ・ボックス(DVD付)』

灘も卒業式シーズンを迎えた。
区内の各学校でも悲喜こもごもの別れの風景が繰り広げられる。
やはり灘の卒業式シーズンには「灘の卒業ソング」をご紹介したい。
また南野陽子かよ、という声が聞こえてきそうであるがお許し願いたい。
扇千景も八千草薫も山田スミ子も楠本美枝子も朱里エイコもアンルイスも網浜直子も
鈴木杏樹も藤原紀香も戸田恵梨香も卒業ソングは歌っていないのだから。
今回紹介する13枚組の「ナンノ・ボックス」のDISK1のタイトルは「春景色」
おそらく彼女の灘時代(松蔭高時代) を歌った、ファーストアルバム『ジェラート』の
一曲目「春景色」からの命名。
ちなみにこの曲の作詞はナンノ本人ではなくイノ・ブランシュこと平中悠一氏。
余談だが、彼は関学出身で大江千里の後輩にあたり、阪神間の雰囲気を良く知る作家である。
彼の代表作「She’s Rain」は、芦屋出身の白羽弥仁監督(彼は灘にもゆかりがある)
によって映画化された。
震災前の阪急沿線で撮影され、今となっては貴重な作品だ。
またまた余談だが主役の小松千春の通う学校の制服は松蔭ライクな白のワンピース。
しかしロケ地は甲南女子大学(東灘区)。
脱線しすぎた。このあたりはまた別の機会に。

『春景色』

「あなた待つホームから見える景色は遠い海
 春めく風に誘われる神戸線 のどかに 」
   >もちろんこののどかな神戸線のホームは阪急西灘駅(当時)。
    ナンノが眺めた海は、ビルの海に隠れて本当に遠くなってしまった。
    阪急西灘駅で待つ彼氏というと神戸高か葺合高生だが、その辺りの
    男子は相手にされるわけがない。

王子公園ホームより

「紺色の詰め襟のあなたは少し照れた風
 ドキドキするわ生意気なあなたなの いつもは」
   >紺色の詰め襟といえば灘区的には(私)六甲高校でろうか。
    やはりアカぬけない公立校生では詩にならない。  
    ちなみに文化祭でナンノと知り合い、いっしょに映画を見に行ったことがある
    という滝川高生は灘クミン(烏帽子中卒)である。

「坂道を上りきり 見下ろせば ほら船の影
 優しくわたし包んでる この街 いつでも 」
   >のどかな春の灘が感じられるくだり。
    ちょうど葺合区との区界の坂道あたりであろう。

区界の坂道

「ジェラートをなめても やっぱり あなた元気ない。
 『嫌われても仕方ない』と思ってる ばかなの」
   >本来はジェラートではなく「ぷらっとむ」のクレープか
    「青べー」のタマゴロールかと思われる。
    この歌詞中の『ジェラート』がファーストアルバムのタイトルになるのだが、
    灘的に忠実にいけば『タマゴロール』というアイドルとしてはとんでもない
    アルバム名になっていたかもしれない。

「制服にさよならして 電車の駅が変わって
 4月からあなたより1つ上級生になる 」
   >彼女が芸能界入りして堀越に転校した後、阪急西灘は
    阪急王子公園という味も素っ気もない名前に変わる。
    阪神西灘との混用を避けるためだというが、やはりこの駅は
    王子公園などという官製の名前ではなく「ニシナダ」であって欲しいと思う。

昨日3月1日、松蔭高校では卒業式が行われた。
灘の春はもうそこまで来ている。



2007年2月23日(金曜日)

阪急六甲の伝言板

カテゴリー: - library @ 15時00分42秒

「伝言板」ザ・ムッシュ

先日灘文化堂で紹介した「肴のある旅」の著者、中村よおさんと水道筋の
とある酒場でお会いした。
よおさんは70年代のフォーク&ロックのウォーキングディクショナリーでも
あるので、70年代な話題がどうしても多くなる。
音楽の話、灘の話、水道筋の話。
その日も、灘ソングとしてメルマガnaddistでも幻の歌謡曲?「六甲道」
として紹介した、金森隆&ルーマーズの『六甲道』という曲の話題でひとしきり
盛り上がった。
「灘モンやったらねえ、エエレコードありますよ」
「え?まだあるんですか?」
「いや曲と違うんやけど、ザ・ムッシュというバンドのジャケットがね…」
「ジャ、ジャケットがどうなんですかっ!」
灘モノと聞けば異様にテンションが上がる私に、よおさんはなだめるように
答えてくれた。
「ジャケットの写真がね、阪急六甲駅のホーム」
「ええええええっ〜〜!ホンマですか」
「70年代の阪急六甲のエキスたっぷりですよ」

ザ・ムッシュ。
かまやつひろしが作ったバンドではない。
山本雄二、徳永章、土橋広市の3人で結成されたフォークグループ。
70年代、エレックからデビュー。
山本雄二はキャッシーとともにMBSヤンタン ラジオ大阪の帯番組
「ハットでヤンヤン」のパーソナリティもつとめた。
(ちなみのその当時のヤンタンは、水曜八方、木曜小染、金曜鶴光、土曜三枝
という若手落語家黄金時代)

1975年解散、その後アリスの堀内孝雄とタッグを組み『キリンさん』という
童謡も発表した。
そのザ・ムッシュのフルアルバムが「伝言板」というアルバム。
そしてジャケ写は懐かしの阪急六甲。
いかにも70年代然とした三人の後ろのホーム広告。
王子動物園を意識したのだろうか、シマウマのイラスト。
そして小島歯科矯正科、阪急六甲駅ビルの味の散歩道の広告!!!
六甲キッズなら涙チョチョ切れのシーン。
八幡神社側の広告に赤玉スポーツあったよなあ。
そしてベンチは木製!そうそう木製!
座面の板の隙間にガム詰めるバカいたよなあ。
でもなぜか広告は白雪。
なんで灘酒じゃなくて伊丹の酒なんだよ!
ジャケットで盛り上がるのもなんだが、このレコードは
ザ・ムッシュが我々に残してくれた貴重な「伝言板」だったのだ。

[告知]
2月25日(日)19:00から畑原市場「スタンド"チンタ"ボーダースペシャル」で、
中村よおさんのライブがあります。(チャージ無料)
阪急六甲・水道筋の懐かしい話も聞けるかも。

中村ようライブ


2006年12月16日(土曜日)

スローボートで中国へ

カテゴリー: - mj-soul @ 15時34分29秒

中国行きの貨物船に
なんとかあなたを
乗せたいな、
船は貸しきり、二人きり……
            ─古い唄

処女短編集『中国行きのスロウ・ボート』の扉に村上春樹はこう記した。
「古い唄」は『On a Slow Boat to China』。
若きソニー・ロリンズの名演でも知られる1948年のスタンダード・ナンバー(※1)。
村上春樹は芦屋から阪急電車に乗り、六甲からバスで神戸高校へ通ったという。
「ボタンダウンのシャツにピカピカの革靴。みんな丸刈りなのに少し伸ばした髪を横分けにしていた」(※2)
モダンな少年は、アメリカ文学とジャズと摩耶山麓の空気の洗礼を受け、やがて
寄る辺なき時代の世界文学を創造してゆくことになる。
表題作『中国行き〜』は、その彼が「生まれて初めて書いた」短編小説である(※3)。

不思議な話だ。
両の手で捕えてもなお掌の中で浮遊するような、行き場を失った感情が頼りなげにたゆたうような。
3人の中国人との出会いとすれ違いの物語。
1人目は、模擬テストの会場となった港街の中国人小学校に勤める中国人教師。
彼は、「僕」ら日本人生徒に対し、2つの国の間に必要な「尊敬」と「誇り」について説く。
2人目は、東京の大学時代にアルバイト先で知り合った女子大生。
無口で、考えようによっては美人といえなくもない彼女との始まりに「僕」は滑稽な過ちを犯す。
3人目は、喫茶店で突然声を掛けてきた百科事典のセールスマン。
かみ合わぬ会話の中、彼が高校の同級生であったことを「僕」は思い出す。
出会いにも別れにもたいした意図はない。もちろん悪意も。
なのに、どうしても埋められない距離。違和感。
その理由を「僕」は女子大生の投げやりな言葉の中に探す。
「そもそもここは私のいるべき場所じゃないのよ」
彼女たちの存在の不確かさを匂わせる。匂わせるのだが、やがて「僕」自身こう思うに至るのだ。
「おい、ここは僕のための場所でもない」
東京。「濁ったコーヒーゼリーのような薄暗闇」を心にもたらす風景。
言葉は消え、夢は崩れ、重い沈黙と無限の闇を予感させる街。「世界」は自分の中だけにしかない。
それでも…。

初の短編であるこの小説を、村上春樹は発表後に2度書き直している。
アメリカで翻訳出版された作品を”逆輸入”した短編集『象の消滅』(※4)には3稿目が収録されており、
文庫版と読み比べると大幅に手が入っているのが分かる。
だがもちろん主題は変わらない。
1970年代の東京が村上春樹にとって「自分の場所」でなかったとすれば、
1960年代の灘は彼にとってどんな場所だったろうか。

(※1)作詞・作曲者はFrank Loesser。邦題はもちろん「中国行きのスローボート」。
(※2)同級生の証言。2006・4・12付神戸新聞より。
(※3)初出は「海」1980・4月号。
(※4)「ニューヨーカー」誌などに掲載された1980〜91年の短編選集。05年、新潮社刊。

●オマケの灘ノオト
粋な小唄として、モダン・ジャズ界に限らず渋くカバーされるこの曲。灘ノオト的には、憂歌団の『SLOW BOAT TO CHINA』。木村充揮さんのいつになく涼し気な、抑えた歌い口をサポートするアンサンブル。島田和夫さん(灘区在住)の絶妙なブラッシュワークが音の景色を決定的に作っている。
♪きみを乗せ 行くSlow Boat to China 夢の国へ♪


2006年11月3日(金曜日)

阪急西灘ナンノ幻影

カテゴリー: - library @ 16時00分59秒

「GOLDEN☆BEST/南野陽子 ナンノ・シングルス3+マイ・フェイバリット」

「松蔭にむっちゃかわいいコおるで」
受験を控えた僕らは、ざわついていた。
灘区が誇る全国区アイテムである白い松蔭制服に身を包み、
阪急西灘から名前が変わったばかりの王子公園駅大阪方面ホームで
緑濃い摩耶山をバックに佇む彼女こそが、後のナンノ嬢だった。
中村の100円たこ焼きを頬張りつつ、一燈園の串カツをかじりつつ、
千疋屋のクリームコロッケで上顎を火傷しつつ、デイリークイーンで
未来を憂いながら、王子公園駅周辺を日々うろついていた僕らが、
彼女のオーラを見過ごすわけがなかった。
その後の活躍は言うまでもない。

僕らの目に狂いはなかったのだ。

そんな元学びクミン、ナンノのゴールデンべスト。
デビュー曲の「恥ずかしすぎて 」や「さよならのめまい」「楽園のDoor」
あたりの哀愁を帯びたチューンは秋の摩耶山を彷佛とさせてくれる。
「秋からも、そばにいて」は、いちょうが色づく国体道路で、
「はいからさんが通る」は、王子動物園東の通称、松蔭大通りで、
「天使のアーチェリー」は、王子スポーツセンターアーチェリー場前で
松蔭生の通学時間を狙って口ずさんでみたい。
通報必至だ。たぶん。



2006年10月25日(水曜日)

百万弗の脚線美

カテゴリー: - library @ 15時03分41秒

「究極のベスト!朱里エイコ」

1970年代、和田アキ子とならびパンチの効いた名R&Bシンガーとして
名を馳せた、朱里エイコ。
CM好きなら「イエイエ」(レナウン)の彼女を思い出すかもしれない。
東京出身の彼女は、宝塚の振り付けをしていた母と灘区で幼少時代を
過ごす(六甲小学校)
デビュー当時来日中のツイッギーとともに一世を風靡した「百万弗の脚線美」
というキャッチフレーズは、灘時代の「百万弗の夜景」にインスパイアされた
のかもしれない。その脚線美を生かした迫力のあるパフォーマンスは灘クミン
の脳裏に今でも焼き付いているはずだ。
ラスベガスのショービジネスで唯一成功した灘クミンでもある。

そんな彼女のべスト。
「北国行きで」は涙なくしては聞けないロッカバラードな名曲。
「ジェット最終便」は掬星台から神戸空港方面を眺めながら聞きたい1曲。
2004年7月31日急逝。享年58歳。あまりにも早すぎる。
合掌。


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