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2011年6月1日(水曜日)

その街のこども、その街のはなし(5)

カテゴリー: - library @ 13時00分13秒

灘文化堂で紹介してきた灘ロケ作品『その街のこども 劇場版』待望のDVDが6月3日発売になる。
ということで、中断していた「その街散歩」を再開したいと思う。

  御影のおばあちゃ家からの帰り道、美夏と勇治は「きれいな公園」を横切る。
  ふと見上げると、震災で亡くなった美夏の友人ゆっちのおっちゃんが住むマンションだった。

風の郷公園

「きれいな公園」は六甲町の「六甲風の郷公園」という新しい公園だが、
名前に聞き覚えが無い方も多いかもしれない。
JR六甲道駅北地区の震災復興再開発事業の一環として5年前に完成した。
公園の計画には周辺住民も加わり、ワークショップ形式でプランニングが
進められた。
風の郷公園は六甲町1丁目と2丁目にまたがる公園で、美夏がおっちゃんに
会っている間、野球少年だった勇治が素振りをしながら美夏を待つあたり
が六甲町1丁目。ここは昭和44年以前は「辰中町一丁目」という町名だった。
六甲町は辰中町、庄屋町、前出町、花園町が統合されてできた比較的新しい
町名。
かつての町名はいずれも趣のある名称だったが「六甲町」という、茫洋と
したのっぺりと陰影のない町名になったのは残念だ。
ちなみ花園町にあった花園中学は数奇な運命をたどった学校で、昭和22年
に開校した花園中学は、わずか16年後には長峰山に移転し長峰中学と改称。
残った校舎に摩耶高校が開校するが、5年後には湊川高校と合併し赤塚山へ
移転し赤塚山高校に。校舎はそのままで、昭和45年に六甲、西灘、稗田の
3小学校から分かれ、灘小学校が開校して現在に至る。

風の郷公園に戻ろう。
以前八幡神社の前にあった「八悟」が参道を下り、公園の南に移転した。
若夫婦が切り盛りした店はもう30年経った。同じ門前にあった「栄珍」無き
あと、70年代の宮前の空気を伝える貴重な老舗だ。
公園の東には宮前商店街が南北に走る。以前あった龍の腹の中のような
アーケード「宮前マジックドラゴン」は撤去され、空が見える明るい通り
になった。

取り壊される前の宮前商店街アーケード


アーケードからは東に向かって宮前市場が伸びていた。
昭和7年にオープン、空襲でも焼け残り灘区内で唯一震災を免れた市場だっ
たが、震災後アーケードは撤去され、明るいスーパー形式の市場になった。
宮前市場
震災後建て替え前の宮前市場西入口


さらにその東には「六甲東映」があった。東映と名がつくが谷ナオミや団鬼六
などの文字が踊る成人映画館で、独特の湿度のある雰囲気をかもし出してい
たが、マンションになってしまった。そういえば団鬼六も先月亡くなった。
路地はなくなり、道が広げられ、巨大な公園ができてしまった界隈にも、ヒュー
マンスケールの風景が今も残る。
マンションの足下に、子どもたちを見守る地蔵がまつられている。
普段はひっそりとしているが、今年も夏の地蔵盆、8月24日の「おさがり」
には、この街の子どもたちがにぎやかに集まるはずだ。

地蔵尊

「様々な傷を抱えた被災者と、非被災者の溝を乗り越えることの難しさと
大切さを伝える『その街の子ども劇場版』は、今を生きるすべての「こども
たち」が決して忘れてはならない未來への希望を描いている。」
(『その街のこども劇場版』パンフレットより)
東日本大震災がおこった今こそ、このドラマが描くテーマが大事になって
くるような気がする。


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