今年は、青谷川のホタルにすっかりはまってしまった。
もちろん、佐用や西脇のようにホタルの乱舞が見られるわけではなく、
7〜8匹、多くて20匹程度で、派手さはないが滋味あふれる光は、灘区
らしいといえば灘区らしい光景だ。
ともかく数よりも街なかから数分でホタルに会えることがステキなのだ。
ホタルが乱舞する川がAKB48劇場だとすれば、空き家になった古びた
文化住宅をバックにをホタルが舞う青谷川は、三朝温泉あたりの場末の
ストリップ劇場の風情に近い。
そう、ホタルのあかりは切なさがないといけない。
青谷川のホタルのステージは8時半、11時、夜中の2時の1日3回。
定刻になると川に架かる橋の上には一人、二人と人が集まってくる。
やがて線香花火に通じる淡く切ない光が川面をゆっくりと漂い始める。
。
「なんで蛍はすぐ死んでしまうん?」
ホタルと言えば、灘区中郷町に住んでいた野坂昭如の『火垂の墓』の
シーンが思い浮かぶが、実は「ホタル」を題材にした作品を書いた
灘区出身の作家がもう一人いる。
作家、宮本輝は3歳まで石屋川のほとりで過ごした。
『泥の川』『道頓堀川』とともに川三部作と言われる『蛍川』に描か
れている蛍は灘の蛍ではなく富山の蛍だ。
宮本が描くホタルは、野坂が描いた『火垂の墓』のホタルとは全く違う
妖しい光を放つ。しかもその数は何千匹にもなり光の川のごとく光る。
宮本は、灘区にいた少年時代に進駐軍の将校からコーラをもらったこと
を述懐している。当時進駐軍の将校ハウス、通称「チューリップ村」が
六甲台にあり、山手幹線の一部は物資を運ぶ「六甲飛行場」だった。
石屋川の土手に向かって米軍の輸送機が飛び立っていくのを、宮本少年
も見上げていたに違いない。
そして、むっとするような梅雨の夜には、石屋川に舞うホタルを見た
かもしれない。
日本を代表する「蛍文学」の2作品が、灘区民の手によるという奇跡に
思いを巡らせるとき、青谷川や六甲川のホタルの輝きが一段と増す。
間もなく灘区のホタルの季節は終わるが、この夏は2人の描く対照的な
ホタルのあかりを味わってみてはいかがだろうか。