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2011年1月6日(木曜日)

その街のこども、その街のはなし(2)

カテゴリー: - library @ 11時00分49秒

「西灘のガード」を越えたところで勇治の足が止まる。
通りの突き当たり、JR東海道線の下には「赤トンネル」と呼ばれた
長いトンネルが明治時代から街の南北を結ぶ。
その重厚な断面は歴史的建造物と呼んでもおかしくないオーラを放つ。
実は初代の灘駅はこのあたりに開業した。
神戸港方面への貨物をさばくために貨物専用駅として初代「灘駅」
が開設されたのは1907年(明治40)。
その後、西灘村、西郷町の有志が旅客扱いを鉄道省に要望し、1917年
(大正6年)に現在の場所に旅客駅として灘駅がつくられ、元の貨物
取り扱い駅は灘駅の東なので「東灘駅」と改称された。

赤トンネルの遥か先には摩耶山がそびえ、「傷」のように見える
ケーブルカーの軌道が山腹に走る。
かつては夜になると軌道沿いに照明が灯り、ちょうど摩耶山にかけ
られたネックレスのように見えた。今は深い緑に覆われてしまった
「軍艦ホテル」の威容と合わせて、美しい摩耶山のオブジェだった。
山に向かって真っ直ぐ延びるこの道は、天上寺の参詣道だった道で、
参詣道と西国街道などの幹線との交差部には山門が設置された。

高度経済成長期になると、この道の両側にはパン屋、八百屋、下駄屋、
本屋、豆腐屋、うどん屋、たこ焼き屋など小さな商店が軒を連ねた。
ガレージを改造したゲームコーナーには、ピンボールに興じる「その
街のこども」たちの声が響いた。
通りの西には「富士温泉」もあり、灘南部の下町らしい小さなにぎわ
いを見せていた。

平成7年1月17日、「トラウマ地帯や…」と勇治がつぶやくいたこの
街角も大きく揺れる。
倒壊した家屋が街路を塞いだ。実に地域内の半数が全壊という激震地
だった。
長い赤トンネルはシェルターとなって、何人かの命を救った。
このエリアも間もなく16年目の1.17を迎える。
赤トンネルの上の広大な東灘操車場は震災後その任を解かれ、皮肉
なことにかつての灘駅発祥の地にはJRの新駅ができることになった。
駅周辺には700戸余のマンション群が建つという。
この道から望めた、摩耶山の麗峰もやがて見えなくなるのだろう。

「西灘のトラウマ地帯」を越えた勇治と美華は水道筋へと向かう。
(つづく)


その街のこども劇場版』はシネ・リーブル神戸で上映中。
神戸の上映はいよいよ明日まで!

詳細は
シネ・リーブル神戸
『その街のこども』オフィシャルサイト


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