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2009年5月25日(月曜日)

おっちょこちょいの町

カテゴリー: - library @ 12時00分10秒

別冊暮しの手帖 保存版 300号記念特別号


別冊暮しの手帖 保存版 300号記念特別号(暮しの手帖社)
発売:2002-12/定価:¥1600

小さいころ、母の買ってくるいわゆる「家庭書」にはまったころがあった。
中でも『暮らしの手帖』がお気に入りで、えも言われぬ質感のある写真、絵本の
ような挿絵は私の心に確実に点を打った。
これらの仕事が孤高の編集者、花森安治の手によるものだということを知るのは
もっと後になってからだが。

編集者であり、コピーライターであり、デザイナーでもある花森安治は神戸で生まれた。
雲中小学校から神戸三中(現長田高)に進んだというから、残念ながら灘クミンではない。
その風貌、グラフィックセンス、批判精神、どれをとってもモダンだった。
そして何より「暮らしを眺める視点」がすばらしい。
彼のコラムにこんなフレーズがある。
「ぼくは飛行機のような高い空ではなく、地上2、30メートルの高さからみんなの
暮らしを眺めたい」
一時私もこれをもじって「地上2、30センチの高さから灘クミンの暮らしを眺めたい」
と書いたことがあるくらい影響を受けた言葉だ。

『別冊暮しの手帖300号記念特別号』の中に1963年の9月に発行された『暮しの手帖71号』
に掲載された「日本紀行 その1 神戸」というコラムが収録されている。
今回はそれを紹介したい。
故郷の姿を独特の筆致で綴ったコラムはこんな書き出しで始まる。

  神戸の町は歩きやすい町である。
  立ちどまって、道をたずねてごらんなさい。そこを右へ曲がってとか、まっすぐ
  行って四つ角を左へ曲がって、というのが、ふつうの町の返事である。
  神戸の人は、そんなふうには言わない。

このコラムが発表された1963年と言えば神戸港が世界有数の貿易港だったころ。
港から見える、六甲摩耶の風景がいかに素敵であったかが描かれている。
神戸にはそんな「天然の育ちの良い」風景があったのだが、その一方湊川神社のような
名所旧跡の殺風景さをこんな風に表現している。

  いったい、この町のひとは、いわゆる「名所旧跡」に、大して興味がないのである。
  日本中、どこの町ともちがう気風が、ここにある。(中略)古いもの、亡びゆくもの、
  過ぎ去ったものには、みれんもなければ、執着もないのである。
  「今日」と「明日」だけに、生きているのである。

ああ、なるほどと思う。
周りを見渡しても、そんな人が多い町だと思う。
明るくて、あきらめが早くて、ねばりっけがないのが神戸の気風なのだ。
だからナダタマなんていう、過去の町をネチネチとつっつくような非神戸的なサイトは
大して見向きもされないのだろう。

灘の山に関しての記述も興味深い。
彼によると、六甲山は「登る」所ではなく「行く」所だという。
そして町の中に公園が少ないかわりに、どこからでも5〜30分で行ける
六甲、摩耶という「大きな公園」があるではないかと説く。
東京なら何時間もかけて行くところを、気分次第ですぐに飯ごうすいさんに
出かけられる。そして山にはコーヒーの煮だし方や、トーストの「バタ」に
こだわる茶店のおばさんがいる。
幸せな町である。

  「しゃない」
  この町の人の口ぐせで、しょうがない、という意味だが、しかしあきらめのひびきはない。
  せっぱつまって、それでは、と立ち上がるときに使われる言葉である。

このコラムから32年後の阪神・淡路大震災のとき活躍したのがこの「しゃない」という
言葉だった。
過ぎ去ったものには、みれんもなければ、執着もない神戸っ子はやがて山を崩し始める。
コラムにはまだ新六甲大橋がかかっていない表六甲ドライブウェーから望む、造成中の
東部第二工区や鶴甲山(現在の鶴甲団地)が掲載され、こんなコメントがつけれれている。

  それ(山を崩して海を埋め立てる)くらいのことだったら、どこの町でも考えつくだろう
  その山をくずした土を、海へはこぶ、その方法が奇想天外なのだ。

鶴甲山でくずされた土地は、地下のベルトコンベアで海へと運ばれた。
今の鶴甲から徳井へまっすぐ下る、通称徳井幹線の下にはベルトコンベアが動いていた。
すごいというか、なんとも「おっちょこちょいなシステム」だと思う。

花森は続ける。
「新しいもの珍しいものは、たいていこの町からはじまるらしく、日本でいちばん早く
ゴルフ場ができたのもこの町だし、麻雀がまっ先に流行したのもこの町」
だが、先週またもやこの町から新しいものが流行してしまった。
新しいもの好きもほどほどにして欲しいと思う。
本当におっちょこちょいだと思う。
そして正直な町だと思う。
でも、私はこのおっちょこちょいさや、正直さはもっと誇りにしていいと思う。
国内初の新型インフルエンザが発生した町だということを、灘区民、そして神戸市民は
誇りにしてよいのだ。
どの町より真っ先に発表して、真っ先に対応したのだから。
東京の感染者が3人だけなんて絶対にありえないはずだ。

花森はこのコラムをこんな言葉で締めくくっている。

  明るくて、ハイカラで、すこしばかりおっちょこちょいで、底ぬけ楽天的で、
  それでいて必死に生きている。神戸はそういう町である。
  これからの日本が、大切にしなければならない町の一つでもある。

今日から、多くの学校の休校が解除された。
「しゃないなあ」
すこしばかりおっちょこちょいの灘クミンは、ぼちぼちマスクをはずし始めるはずだ。


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