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2008年7月21日(月曜日)

阪神間少年の故郷

カテゴリー: - library @ 23時55分12秒

一昨年、ひょんなことから神戸高校110周年誌の編集(というほどのものではないが)
のお手伝いをさせていただいた。その中の学校に残された宝物(というほどのものでは
ないが)を紹介する「校史カタログ」という章に1965年8月13日の学級日誌が掲載された。
「ホームルーム:みんなさぼっていた」
と書かれたその日の「日番」の欄には村上春樹氏の名前があった。

氏の『辺境・近境』という旅行エッセイ集に、「神戸まで歩く」という章がある。
震災後の97年5月に西宮から神戸まで歩いた「旅行記」である。
芦屋〜神戸で十代の大半を過ごした氏は「コンサートに出かけたり、古本屋で安いペーパー
バックを漁ったり、ジャズ喫茶に入り浸ったり、アートシアターでヌーヴェルヴァーグの映画
を見る」VANジャケットを羽織った典型的な「阪神間少年」だった。
しかし彼には、故郷と自分を結びつける絆はもはや存在しなかった。
そして95年の震災。
彼は再び故郷を歩く。

西宮から夙川へ。
歩いてみても「さっぱり記憶がない」状況。
やがてそれは震災のせいだということがわかる。
かつて砂浜だった芦屋の浜は埋め立てられ高層住宅が建てられている。
別の暴力による、故郷の喪失。

芦屋から神戸へ。
震災の傷跡がまだ生々しく残る街。
夏草が繁る空地や、建築現場と自分との絆が見えない。

そしてついに、灘区へ。
阪急六甲。
「駅前のマクドナルド」で休憩し、「せっかくここまで来たのだから」と
母校へと向かう(いや彼の中には母校という概念はないだろうが)。
グラウンドの前でかつて眺めた海を見下ろしながらじっと耳を澄ませるが、
彼の耳には何も聞こえてこない。
海も山もそこにあるのに。

 「過ぎ去ってしまった風景は、もう二度とはもとには戻らないのだから。
  人の手によっていったん解き放たれた暴力装置は、決して遡行はしないのだから。」

故郷なんかにこだわらない、コスモポリタン的な発言をしてきた村上氏に明確な故郷の
記憶があることに驚いた。
しかし彼の中での「故郷」とは、芦屋であるとか灘であるとか地名によって規定される
場所ではないことがよくわかる。
そしてそこに残っている(はずの)風景にも興味を示さない。
彼が愛した(いや、おそらくそんなに愛してもなかっただろう、すごく低温な)
故郷はもはや記憶の中にしかないのかもしれない。
だからといってノスタルジーに浸ったりすることもない。
これは彼特有の感覚ではなく「阪神間少年」としては至極普通の態度だと思う。
エトランゼな街コウベには、場所にこだわる「ナダタマキッズ」より
「阪神間少年」が似合うのかもしれない。(いささか自虐的に)


コメント

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  1. そういえば100周年の時に、実家に寄付のお願いか何かが来ていたような気がしますが、結局何もしなかったです・・・・・(遠い目)

    Comment by Mizo — 2008年7月22日(火曜日) @ 21時47分45秒

  2. 1965年8月といえば、私も2番のバスで青谷の学校に通う高校生でした。
    村上春樹は2番のバスに乗ってたのかな?
    たぶん国鉄灘駅から歩いていたんでしょうね。

    神戸高校は震災でも無事だったのに、結局建て替えになりましたね。
    村上春樹はショックじゃなかったかもしれないけれど、青谷のわが母校の
    取り壊し、建て替えは、ものすごくショックです・・

    Comment by ナダレーヌ — 2008年7月23日(水曜日) @ 21時58分33秒

  3. 青谷の学校も建て替えですか!
    やむを得ないことですが、歴史あるものが少しづつ失われてきますね・・・・

    Comment by Mizo — 2008年7月23日(水曜日) @ 22時47分28秒

  4. プール北側のクラブハウスや寮もなくなって、何か特色が無くなっていくのが残念です。

    Comment by 海を渡る握手 — 2008年7月24日(木曜日) @ 09時36分09秒

  5. >ナダレーヌさん
    本書によると、阪急六甲から2系統で通学していたみたいです。
    ひょっとして青ベーあたりですれ違われていたかもしれませんね!
    青谷の学校の建替、残念です…いい校舎だったのに。

    >Mizoさん、海を渡る握手さん
    おお、OBさん(?)が続々と(笑)

    Comment by nada — 2008年7月25日(金曜日) @ 10時31分05秒

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