『真夜中のギター』という昭和のヒット曲を覚えていらっしゃるだろうか。
この曲がリリースされたのは昭和44年、灘区ができて40年目の節目の年だった。
どんなことが起こっていたか当時の灘ニュースをひもといてみよう。
[市電石屋川線が廃止]
現在の山手幹線は当時「市電筋」と呼ばれていたが、
この年を境にヤマカンという呼称に変わっていった。
[阪国電車 東神戸〜西灘間が廃止]
大阪・野田と東神戸(現在のBBプラザ南)を結んでいたちんちん電車が一部廃止になり西灘止まりに。
これにより市電の乗り入れがなくなり、ルミナリエのルーツとも称される国道2号の花電車も消えた。
[鶴甲団地の造成完成]
神戸有数のマンモス団地が完成。
灘にも団地妻が急増。
[歩道橋ラッシュ]
高羽歩道橋、友田歩道橋など小学校の近くに歩道橋が設置された。交通戦争といった言葉も使われ
るようになった。初恋の女の子が交通事故で死んでしまうという、衝撃の灘っ子トラウマ合唱組曲
「チコタン」が芸術祭優秀賞を受賞したのもこの年。
万博前夜の昭和44年、灘区も大きく都市基盤が変わっていった年だったのだ…って、そんなことが
言いたいのではなく、なんでこの曲を灘文化堂で紹介するかというと『真夜中のギター』を唄って
いた千賀かほるが元灘クミンだった「らしい」のだ。
しかも福住小出身だったという。
彼女は神戸出身で故郷が沖永良部島らしい。
だとすれば南島出身者の多い神戸・灘に彼女が住んでいてもおかしくない。
しかも福住小学校区には「奄美廉売市場(後の西灘市場)」がある。
もし千賀かほるが灘クミンであったなら『真夜中のギター』は沖灘区民が唄っていたと
いうことになる。
沖縄・南島ブームの今なら『真夜中の三線』としてリリースされたかもしれないのだ。
今でも南島系スナックが残る福住〜中原界隈。
耳をすませばこんな歌が聞こえてくるかもしれない。
♪街のどこかに さみしがりやが一人
今にも泣きそうに ギターを弾いている♪
ん?
え?
あれ?
ホントに真夜中にギターの音がしてくるではないか!
これはきっと千賀かほるさんの音魂に違いない。

ナダタマ読者の皆さんの中に
「千賀かほるさんと同級生だった」
「千賀かほるさんの隣に住んでいた」
「千賀かほるさんとギターを弾いた」という方がいらっしゃったら
是非とも情報をお寄せください。
灘文化堂店主からのお願いです。


1月17日



