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2006年12月16日(土曜日)

スローボートで中国へ

カテゴリー: - mj-soul @ 15時34分29秒

中国行きの貨物船に
なんとかあなたを
乗せたいな、
船は貸しきり、二人きり……
            ─古い唄

処女短編集『中国行きのスロウ・ボート』の扉に村上春樹はこう記した。
「古い唄」は『On a Slow Boat to China』。
若きソニー・ロリンズの名演でも知られる1948年のスタンダード・ナンバー(※1)。
村上春樹は芦屋から阪急電車に乗り、六甲からバスで神戸高校へ通ったという。
「ボタンダウンのシャツにピカピカの革靴。みんな丸刈りなのに少し伸ばした髪を横分けにしていた」(※2)
モダンな少年は、アメリカ文学とジャズと摩耶山麓の空気の洗礼を受け、やがて
寄る辺なき時代の世界文学を創造してゆくことになる。
表題作『中国行き〜』は、その彼が「生まれて初めて書いた」短編小説である(※3)。

不思議な話だ。
両の手で捕えてもなお掌の中で浮遊するような、行き場を失った感情が頼りなげにたゆたうような。
3人の中国人との出会いとすれ違いの物語。
1人目は、模擬テストの会場となった港街の中国人小学校に勤める中国人教師。
彼は、「僕」ら日本人生徒に対し、2つの国の間に必要な「尊敬」と「誇り」について説く。
2人目は、東京の大学時代にアルバイト先で知り合った女子大生。
無口で、考えようによっては美人といえなくもない彼女との始まりに「僕」は滑稽な過ちを犯す。
3人目は、喫茶店で突然声を掛けてきた百科事典のセールスマン。
かみ合わぬ会話の中、彼が高校の同級生であったことを「僕」は思い出す。
出会いにも別れにもたいした意図はない。もちろん悪意も。
なのに、どうしても埋められない距離。違和感。
その理由を「僕」は女子大生の投げやりな言葉の中に探す。
「そもそもここは私のいるべき場所じゃないのよ」
彼女たちの存在の不確かさを匂わせる。匂わせるのだが、やがて「僕」自身こう思うに至るのだ。
「おい、ここは僕のための場所でもない」
東京。「濁ったコーヒーゼリーのような薄暗闇」を心にもたらす風景。
言葉は消え、夢は崩れ、重い沈黙と無限の闇を予感させる街。「世界」は自分の中だけにしかない。
それでも…。

初の短編であるこの小説を、村上春樹は発表後に2度書き直している。
アメリカで翻訳出版された作品を”逆輸入”した短編集『象の消滅』(※4)には3稿目が収録されており、
文庫版と読み比べると大幅に手が入っているのが分かる。
だがもちろん主題は変わらない。
1970年代の東京が村上春樹にとって「自分の場所」でなかったとすれば、
1960年代の灘は彼にとってどんな場所だったろうか。

(※1)作詞・作曲者はFrank Loesser。邦題はもちろん「中国行きのスローボート」。
(※2)同級生の証言。2006・4・12付神戸新聞より。
(※3)初出は「海」1980・4月号。
(※4)「ニューヨーカー」誌などに掲載された1980〜91年の短編選集。05年、新潮社刊。

●オマケの灘ノオト
粋な小唄として、モダン・ジャズ界に限らず渋くカバーされるこの曲。灘ノオト的には、憂歌団の『SLOW BOAT TO CHINA』。木村充揮さんのいつになく涼し気な、抑えた歌い口をサポートするアンサンブル。島田和夫さん(灘区在住)の絶妙なブラッシュワークが音の景色を決定的に作っている。
♪きみを乗せ 行くSlow Boat to China 夢の国へ♪


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