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2008年11月16日(日曜日)
商店街よ、踊り出せ
2008年11月6日(木曜日)
カウントダウン
2008年10月2日(木曜日)
山麓の汽笛
2008年9月18日(木曜日)
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2008年11月16日(日曜日)

商店街よ、踊り出せ

カテゴリー: - MJ @ 02時55分00秒

第3回水道筋ミュージックストリートは本日午後1時スタート。
昨年と違い、準備の過程をここナダタマで詳報・告知することは叶わなかったが、
(特に事情があったわけではなく、ひとえに私の怠慢のため…)
3つの店が新たに加わって全8会場となり、今年から始めた前売りも好調、エルナードの秋祭りと同日開催…と、
昨年以上にお客さんが来て頂けそうな予感がしている。
岡ちゃん、ちっち氏、Bonちゃんらと、夕方から各店セッティング&サウンドチェックに回ってきた。
ライヴ仕様は初めて見た[ゑみや洋服店]は、さすがテーラーだけあってスタイリッシュな趣。
最も西端の会場であり、水道筋に面したガラス越しにライヴの様子が見えるので、
王子公園駅から歩いてきた人には、「ここから商店街は踊り出すのだ」と目印になる。
 
水道筋交番を目印に、縦筋の灘センター街を山側へ少し歩くと、灘中央市場の入口。
Y字路を左手に進めば昭和レトロな乗り物遊具が見えてくる。
その横の階段を3階へ上がると、オキナワン市場テイストな[通い船]。
神棚とシーサー(ではなく狛犬なんだけど)に見守られた異色のお座敷ライヴ会場。
今年は照明が入り、さらにシブ味を増している。沖縄おでんと泡盛もぜひ。
 
そのまま灘中央市場を東へ歩き、灘中央筋へ抜けた正面が[ぺけひゃく](カフェハンドレッドタイムス)。
水道筋ミュージックシーンではおなじみのアットホームライヴハウス。
灘中央筋を浜手へ下りれば、突き当たりが[NA-YA](うどん な也)。
商店街ライヴの先鞭を付けた説明不要の旗艦店。チケット販売やパンフレットなどのブースもここに。
そこからアーケードを東へ行くと、畑原市場の入口が。
入ってすぐ右手にあるのが、今年初めて会場となる[酒庫 汽笛亭]。
界隈の市場バーでは最古参、シックな雰囲気のある空間。
その奥左手に見えるのが[チンタ醉宵食堂]。
スタッフにミュージシャンがいるので、どんな展開になるかが見もの。
その先のT字路を右へ折れると東畑原市場。まっすぐまっすぐ行くと、
懐かしいETの巨大ぬいぐるみが目印となる[新家(あらたや)]。
コンパクトで家族的な温もりのある会場。こちらも今年が初。
市場を出て、水道筋1丁目に戻り、さらに東へ歩けば、東端の会場[Café P/S]。
開放的で、明るくて、天気さえ良ければ楽しさ倍増のロケーション。

そう、天気だ。夜半から降り出した雨音は、いまも窓の外に聞こえる。
たしか、昨年も、一昨年も、前日の天気や予報は芳しくなかった。
でも、当日になれば、なんとか保ってくれて、ホッと胸をなで下ろしたものだ。
準備を終えた帰り道、[な也]の前を通ったら、岡ちゃんが「ほら」と軒先を指差した。
てるてる坊主が3つ、青い服を着て、灯の消えた商店街に揺れていた。
心憎いことをサラリとやってのけるSMSの大将である。
まあ今年はすべて屋内会場だから、仮に雨が降ってもノープロブレム。
皆さん、商店街で、市場で、心おきなく踊ってください。
 
     ※タイムテーブルはこちらでチェックを。もちろん会場周辺でも配布します。

●今日の灘ノオト:Basin Street Blues / Louis Armstrong

  不肖・私、[NA-YA]にてイベントの開幕ステージを務めさせていただきます。というわけで、
  予告選曲。「夢のストリート」を歌う大好きなこの曲を、水道筋バージョンでお届け致します。


2008年11月6日(木曜日)

カウントダウン

カテゴリー: - MJ @ 13時26分02秒

11月。灘は怒涛のイベント月間に入ったそうだが、
よその街にかまけて、灘ライフをおろそかにしているうちに、
俺にとって最重要のイベントがすぐそこまでやってきた。
(関係者の皆さん、ほんますいません)
水道筋ミュージックストリートである。
第3回目の今年は11月16日(日)。あと10日。カウントダウンに入った。
自分の関わっているいくつかの雑誌に告知記事を押しこんだものの、
やはり灘濃度ナンバー1メディア、ナダタマで詳報しておかねばなるまい。

今年は会場となる店が8店に増えたが、
参加ミュージシャンの数が飛躍的に増えたのも大きなトピックだ。
ソロ、デュオ、トリオ、バンド、セッションユニットなど計30組。
一人のミュージシャンが、あの店ではソロでやり、この店では別の歌手と組み、
次の店ではバンドを従え…と、さまざまな形で見られるのがいい。
昨年も書いたとおり、予定していなかった顔合わせや思わぬ共演が
そこここで生まれるという楽しみもある。
固定したセットで決まった枠で予定の時間だけカチッとやる…という
お仕事的イベントとは違う、なんかこう軟体動物的な、
水道筋を人体とすれば、その体内で細胞が融合したり分裂したり、
バトルロイヤル的というか、スワップ的というか、
ともかく、さまざまな個性と持ち味のミュージシャンが
緩やかなつながりを保ちながら、入り乱れるさまが抜群に面白いのだ。
これはいわば、象徴だ。
プライバシーだ、安全安心だ、同一所得水準だ、ゲーテッド・コミュニティだとか言って
人の間に壁を作ることばかりに腐心する、コンクリートジャングルな街とは対極の、
水道筋という場所のありようを、このイベントは図らずも表しているのだ。
 
街でもう見ていただいただろうか、
今年もチンタのシンちゃんが絵を手掛けたポスターは、
いろんなミュージシャンや動物や音符や掛け声や血しぶき(?)が飛び交い、
「赤塚不二夫追悼か」と思わせる、躁病的カオスに満ちている。
これは、いわば予言だ。
15歳のティーンエイジ・ブルースガールから、インディーズで話題の若手ミュージシャン、
関西ライブハウスシーンの牽引役である中堅どころ、日本ブルース界・ロック界を代表するベテランまで、
あらゆる人たちが水道筋というステージで出会い、化学反応を起こすであろうことを、
シンちゃんは予言しているのである。
そして、最後の最後、このカオスを一つにまとめあげるのが、
な也で行われるフィナーレの司祭たる牧師シンガー・川上盾さん。
バラク・オバマ当選できっとテンションも上がっているに違いない盾さんの
猛獣使いの腕前を、俺はいまから楽しみにしている。
ほんまに皆さんお楽しみに。
会場やタイムテーブル、前売り情報などの詳細は公式HPでぜひチェックを。

●今日の灘ノオト:(1-2-3-4-5-6-7)Count the Days / Patti LaBelle & The Bluebells

  「1日、2日…あなたに会える日を数えるの」と可愛らしく歌うパティ・ラベル。
  いまや女帝となった猛女の若かりし頃。水ストも、この歌でカウントダウン。


2008年10月2日(木曜日)

山麓の汽笛

カテゴリー: - MJ @ 13時22分54秒

「水道筋って、アーケードの切れ目から山が見えるでしょ。いいですよねえ。
そんな商店街ってあんまりないですよ」
街好きで山好きの知人が、先日、水道筋を歩いた感想をそう話していた。
あ、そうか。すっかり見慣れた風景になってしまっているけれど、
外から来た人の目には、とても新鮮に映るのかもしれない。
摩耶山の麓へ伸びる南北の坂道は何本かあるが、
最近は特に「マヤストリート」、つまり、通称「(旧)ハイジの角」を上る筋が賑やかだ。
ここ1、2年で新店がいくつできただろうか。
その波は、いよいよ阪急の踏切を越えて、さらに山側へ上り始めた。
あす、また1軒の店がオープンする。
夜の水道筋者にはおなじみ、[汽笛亭]の二号店である。
畑原市場に灯をともして約10年、市場バーの先駆的存在だが、今度の店ではカフェもやるらしい。つまり、
モーニングもランチもある日中はカフェ[もなちゃこ](愛犬の名を組み合わせたらしい)、
夕方から深夜にかけてはバー[汽笛亭]というリバーシブル営業である。
 
市場の店と同じく、内装はほぼすべてスタッフの手づくり。
だからか、ずいぶん広くなった店にも、汽笛亭テイストは貫かれている。
アイボリーの壁に、深い茶に塗った木のアクセント。
カウンター正面のバーラックも、市場の店でなじんだいつもの眺めだけれど、
背後に腰板が貼ってあったり、天井に芝の緑が見えたりもする。
古いランプのような照明や、ガラス戸の飾り棚も素敵だ。
入口脇のガラスケースを一マス1500〜2000円で貸し出し、
さまざまな雑貨や作品の展示販売に使ってもらおうという試みも楽しい。
(naddistさん、グッズ販売どうでしょう)
すぐ隣は「灘中の手の良心」ともいうべきビストロ[六甲厨房]。
おまけに、少し浜手にはイタリアンレストランができるそうだ。
坂の途中の風景が、灘中の手らしい落ち着きを失わずに、少しだけ華やぐのが嬉しい。
 
嬉しいのだけれど、ひとつ悩ましくもあるのは、俺にとって毎日の通り道であること。
自宅を目前にして、「ま、1杯だけ、5分だけ、うがいしていくか」と湧き上がってくる誘惑を
そう何度も何度も断ち切れるかどうか。いや、ふだんなら誘惑に身を任せるままでいいのだが、
諸事情あって、いまは夜の外出を控えめにしている。
ま、打率3割、つまり、10回通って3回引っ掛かる程度に抑えられれば──などと
昭和のサラリーマンのような軽口をつい書きつけてしまうのは、
自分の暮らす街に、その街らしい店ができるのはやっぱり嬉しく誇らしく、ちょっと高揚した気分だからだ。
ご祝儀に、というわけでもないけれど、手持ちの音源を大量に提供することにした。
というか、最近ほとんど家で音楽を聴かないので、店に置いてもらうことにした。
CDも聴かれずに埃をかぶっているより、その方が幸せだろう。
どんな音なら汽笛亭の雰囲気に合うだろう…と考えていたら、昨晩は徹夜になった。
そうやって遊ばせてくれる店があるというのが、また嬉しい。

※3日にオープンするのは、バー営業のみ。カフェは来週以降になるそうです。
なお、畑原市場の汽笛亭は、今年の水道筋ミュージックストリートの会場となります。
前売りチケットの販売は、そちらのほうで。

●今日の灘ノオト:アフリカの月 / Ann Sally

  酔いどれの船乗りが港町の酒場で航海の想い出話を語り聞かせる、西岡恭蔵の歌。
  俺の歌姫アン・サリーのカバーはニューオーリンズっぽくて、汽笛が聞こえるようで…。


2008年9月18日(木曜日)

9月になったから

カテゴリー: - MJ @ 17時20分12秒

9月になったのに、相変わらず更新日を飛ばす、曜日はずれるで
グダグダの当「灘ノオト」ですが、決して終わったわけじゃないので
根気よく、たまに気が向いた時にのぞいていただければ幸いです。
ほんますみません。
さて。
いつまでもシャキっとしない俺なんかとは違い、
9月の声を聞いて大きく動き出したのが「水道筋ミュージックストリート」。
11月16日(日)に3回目を迎える街の音楽イベントである。
今年は昨年の5店に
水道筋4丁目の[ゑみや洋服店]、畑原市場の[酒庫 汽笛亭]、東畑原市場の[新家]が加わり、
計8会場で約50本のステージが展開される。
野外ステージはなくなったが、その分、エルナード水道筋の祭りと同日開催なので
商店街や市場界隈の賑わいは昨年以上になるだろう。
それにしても、そもそも雑談から始まったゲリラ的な「遊び」が、
年々きちんとシステマティックに構築された「イベント」に発展していくのを感じる。
先日、関係者が一同に集まって実行委員会が開かれたのだが、
出席者は10数人、ちゃんと1冊に綴られた企画書やタイムテーブルが各自に配布され、
フライヤーやポスター、缶バッジのチケット、前売り販促用のポップ、Tシャツ……
こういったものがすべて揃い、委員長の岡ちゃんの進行で粛々と進んでいった。
開始時間を間違えて電話で召集された俺は、寝呆けヅラをさらしながら、
「いや、しかしたいしたもんやなー」と、岡ちゃんの手腕とちっち氏のマメさに関心し、
眼前にあった岡ちゃんの大きな背中を拝むような気分だった。
先述の通り、今年は会場となる各店で共通チケット(500円)を前売りする。
これがあればどの会場にも何度でも入っていただけるが、
ステージごとに投げ銭を募るのは従来通りなので、
楽しんだ分だけミュージシャンにカンパを寄せていただければ有難い。
(その他、詳細はHPでご参照を)
 
Tシャツも既に売り出した。
なんだかんだと迷った胸の文言は、昨年どおり「MUSIC IS HERE」で落ち着いた。
色は、ロイヤルブルー。
若々しいというか、カリフォルニア的というか、
「少なくとも俺にはまったく似合わん色やなー」と躊躇していたが、
実行委員会の場で着てみたら
「おお、意外に違和感ないやん」と皆におだてられ、すっかりその気になった。
11月を待ちきれない人たちが、広告塔となって水道筋を闊歩する姿がちらほら現れる頃だ。
9月も半ばを過ぎた。
いつまでもダラダラしている場合じゃない。
SMSスタッフの仕事ぶりに、目を覚まされる想いの今日この頃である。

●今日の灘ノオト:九月になったのに / RCサクセション

  「9月になったのに、いいことなんかありゃしない」と清志郎がはき捨てる
  ロウダウンな曲。こういうノリは大好きだが、しばし封印して動きましょう。


2008年8月22日(金曜日)

リユニオン

カテゴリー: - MJ @ 08時00分00秒

更新をサボっている間に灘でライヴイベントに出演する機会が2回ほどあって、
いろんなミュージシャンと時間を共にしたのだが、
そこで思ったのは「やっぱりバンドはええなあ」ということだった。
パートごとの、いわばフリーのミュージシャンをライヴのたびに集める、
いわゆる「セッション型」のステージにも独特の緊張感と新鮮さはあるけれど、
そればっかりやっているパートタイムシンガーの身からすると、
同じ顔ぶれでひとつの曲を繰り返し演奏するうちに醸成されていく
「バンド感のある音」というのは、ときどき無性に羨ましい。
音を介したメンバー同士の「会話」、その密度の濃さや信頼の厚さが
技術や表面的な見せ方云々とはまた違ったところで、
サウンドに求心力と訴求力を与える。
「このバンドだから出(せ)る音」というものを生む。
仕事にも通ずる話かもしれないなあ、と思ったり。
 
今夜、そんなまがうことなき「バンド」のライヴが水道筋の[な也]である。
(またもや更新が遅れたため、ギリギリになった。すみません)
バンブーブラザーズ。
the twinsの小竹兄弟を核に、90年代の京都から圧倒的な熱を放っていた強力なR&Bバンド。
神戸にもたびたび来ていて、北野の「楽屋」などによく観に行った。
僕のやっていたコーラスグループが京都に行ったりすると、共演させてもらったりもした。
親くん(弟の方)は当時ドラマーだった。最高に気持ちのいいタイコを叩いていた。
彼らのホームグラウンドであった京都[陰陽(Nega-Posi)]で録られた98年のライヴ盤は
荒削りながら怒涛のパワーに溢れていて、いま聴いてもあの頃の熱気を思い出させてくれる。
彼らが発散する、そういったポジティブなパワーに刺激され、助けられて
俺も細々とながら音楽をプレーすることを続けられている気がする。

彼らは2000年に活動を止めたが、
ここ3年ほど、年に1回だけ再結成ライヴをやるようになった。
一度観にいった[陰陽]での再結成ステージは、それはスゴかった。
解散後はそれぞれに活動しているメンバー同士だが、
彼らをつなぐ、確かに変わらないものを目の当たりにしたような気がして、
なんだか分からないが、ケツを叩かれたような気分になった。
今夜、それが水道筋で観られるのがうれしい。
R&B好きやバンド好きに限らず、音楽を愛する方々、
最近ちょっと悩みや迷いがあったり、夏バテをひきずっていたりする方々(俺や)、
ほんま一度見てみたら、何か感じるところは大きいかもしれません。
まだ予約いけるそうですよ。

●今日の灘ノオト:Let’s Stay Together / Al Green

  バンブーブラザーズの印象深いレパートリーはいくつかあるけれど、この偉大なる
  ソウルシンガーの大名曲も一つ。上記ライヴ盤でもステージの幕開けを飾っている。


2008年8月15日(金曜日)

水脈は枯れず

カテゴリー: - MJ @ 15時30分00秒

ひと月と2日遅れの更新です。すみません。
先月来の異様な暑さに辟易し、仕事や諸々の事情で灘区内活動率も低下し、
ネタなし、ヒマなし、気力なしの三重苦に陥って、「まあええかー」と1回更新をサボったら
そのままズルズル来てしまった。われながら、もう復活はないかと一時は思ったほどだ。
どんなに一生懸命やってきたつもりのことでも、何かの拍子に一旦中断すると、
「もうええわー」と急速に熱が冷めてしまうのは俺の悪癖である。無責任この上ない。
仕事とは(ナダタマは仕事じゃないけど)、単調であれ、波乱万丈であれ、
「持続する志」がその真の価値を造るのだということは、
30周年を区切りに活動休止を発表したサザンオールスターズや
心ならずも引退を発表した野茂英雄がよく体現している。
この「灘ノオト」も、「これで一区切り」と自ら納得するか、何らかの外的要因で続けられなくなるまで、
できるだけ従来のペースに戻して、いましばらくは続けようと思います。
長い言い訳終わり。

さて。
俺が「灘ノオト」を続けようと続けまいと、
灘の音楽シーンは猛暑をものともせず脈々とその水脈を保ち、着々と新たな展開を見せている。
夏仕様になった[カフェ・ハンドレッドタイムス]では、
新企画「素音(しろおと)名人会」が、8月に限り毎週金曜に開かれて大盛況だというし、
あす16日には、水道筋4の[ゑみ屋洋服店]でライヴが予定されている。
レトロでモトマチックな店構えへのリニューアルで、水道筋に大きなインパクトを与えた
大正年間創業のテーラー。今年からジャズを柱とした店内ライヴを不定期に行っているのである。
そんなご縁で、今年の『水道筋ミュージックストリート』の会場にもなる。
 
この数十年で、ジャズという音楽ほど、いらぬ理屈やイメージを背負わされ、
隆盛から沈滞への道筋をたどってきたジャンルはないだろう。
その結果、「おしゃれ」の記号としてのバックグラウンドミュージックや
床の間の飾り物のような存在になり下がってしまったわけだが、
ほんとうは、ほかのブラックミュージックと同様、
熱くソウルフルな、生々しい音の塊であることには変わりない。
そして、そうした音の醸す雰囲気は、目の前でライヴを聴くのが手っ取り早い。
先日店で尋ねたら、既にソールドアウトではあるが、「立ち見はいけますよ」とのこと。
真夏の夜のジャズ」を水道筋で体感するチャンスである。

それから、これは次週詳しく紹介しようと思っているが、
22日(金)には[な也]で京都のR&Bバンド、バンブーブラザーズのライヴがある。
水道筋ではおなじみのthe twinsがやっていた、ものすごく熱く、カッコいいバンドである。
この数年、夏の恒例企画となっている再結成を水道筋でやろうというのだ。
これは見ておいたほうがいいと思う。

●今日の灘ノオト:Rock Me Tonight / Freddie Jackson

  「ヘイ、ガール。ずいぶん久しぶりだね」と歌い出す80’sブラックコンテンポラリー名曲を
  灘ノオト再開記念に。ジャケの襟なしスーツみたいなの、ゑみやでオーダーできるかな?


2008年7月16日(水曜日)

星に願いを

カテゴリー: - MJ @ 23時50分22秒

ちょっと時機を逸したが、7月といえば七夕。
洞爺湖サミットでは各国首脳が短冊に願い事をしたためていたが、
灘でも、家の軒先や商店街や保育園などで笹飾りや吹流しを見かけた。
短冊の文言を調査し、灘クミンの望みを読み取ろうと思ったのだが、
なにぶんにも1週間以上過ぎているので、既に大半が撤収されてしまった。
サンプルは、灘中央筋に残っていた2本。
極端に少なくなったことをお詫びしたい。
 
まずは王道だが、
「家族が健康に過ごせますように」
「お店のみんなが夏を乗り切れますように」
といったタイプ。
皆の健康と繁栄を願う「エンペラー型」とでもいおうか。
naddist氏ならさしづめ、
「灘クミンの幸せと灘区の平和を願う」とでも書くところだろう。

続いて、欲求をストレートにぶつける「物欲型」。
「ポケモンダイヤモンドがもらえますように」
「おかしがいっぱいたべられますように」
なかなか子供らしくてよろしい。何より分かりやすい。
バリエーションとして
「すーぱーさいやじんになりますように」
というのもあった。
なんだこりゃ、綴り間違いか?とも思ったが、
どうも「スーパーサイヤ人」というキャラクターらしい。

心強いのは「能力研鑽型」だ。
「サッカーせん手になれますように」
「てんさいかがくしゃになれますように」
「ほんがじょうずによめますように」
これらの少年少女が夢に向かって研鑽を続けてくれれば、
日本代表選手やノーベル賞科学者や文壇も一目置く書評家が灘から生まれ、
ナダタマも将来にわたってネタに事欠かないだろう。ぜひ応援したい。

だがしかし、最もパワーを感じた短冊には、達筆でこう綴ってあった。
「来年こそは結婚します」
もはや願い事の域を越えて、力強い意志を感じる「宣言」である。
これまた、陰ながら応援したくなるというものだ。

●今日の灘ノオト:When You Wish upon a Star / Gene Ammons

  おそらく最も知られたディズニー・ソング。選曲にヒネリがなさすぎるので
  せめてプレーヤーはイカツく、ボス・テナーを隊長にした「暑苦しトリオ」で。


2008年7月9日(水曜日)

リフレイン

カテゴリー: - MJ @ 23時57分00秒

水道筋ミュージックストリートへ向けた準備会合が
過去2年の教訓から、今年は早くも2回も開かれて、
といっても、岡ちゃんとちっち氏とnaddist氏がてきぱきと話を進めるのを
俺は横でなんとなく聞いてるだけだったりするのだが、
参加店舗やらタイムスケジュールやらポスターのデザインやら
チケット代わりの缶バッジを何個作るかやら、そういうことが次々と決まっていって、
「今年のTシャツにはどういう言葉を入れようか」
とふられたので、いくつか思いつくままに短文の案を述べたけれど、
どれもこれもパッとせんなあ、と自分で思っていたら、
周りの反応もやっぱり薄く、うーんとみんなで考え込んだ後に、
去年使った「MUSIC IS HERE」を一語だけ変えて、今後も毎年同じ部分を変えていって、
詩のリフレインのようにしていったらええんとちゃうかという話に落ち着いた。
つまり、「MUSIC IS ○○○○」か「×××× IS HERE」にするということだ。
これは、ジョン・レノンが『Love』という歌で、

 Love is Real , Real is Love
 Love is Feeling , Feeling Love
 Love is Touch , Touch is Love
 Love is Reaching , Reaching Love…

と言葉を重ねていったのをイメージしつつも、似て非なるものであり、
どちらかというと、同じアルバムに収められている『God』で

I don’t believe in MAGIC
I don’t believe in I-CHING
I don’t believe in BIBLE
I don’t believe in ELVIS
I don’t believe in ZIMMERMAN
I don’t believe in BEATLES

と、なんだかヤケクソ気味に連呼していたのに近い(どこがや)。
SMSは音楽イベントなんやから「MUSIC IS……」でいくべきやろう、
いや街のイベントやと強調するなら「……IS HERE」でもええやんか、
でも「Love」とか「Power」とかじゃあまりにも語彙が貧困で陳腐なんだよなあ、
そうかな、こういうのは却ってストレートな方がええんやで、
とか、あーだこーだと言い合った末に「ま、とりあえずこれにしとくか」というところまで
いちおう決まりはしたのだけど、まだ公表しないでおきます。
これを見た人から、カッコいい案が寄せられるかもしれないから。
あ、そうそう、今年のSMSは11月16日、日曜日に開かれます。
皆さまどうぞよろしくお願いします。

●今日の灘ノオト: Music is My Life / Billy Preston

  文中の「ジョンの魂」は超有名過ぎるので、ビートルズとも縁深いこの人の名曲を。
  「音楽はわが人生」と、ここまで熱い剛球ストレートを投げられたら言うことはない。


2008年7月2日(水曜日)

中の手音楽人録

カテゴリー: - MJ @ 23時50分00秒

昼間の蒸し暑さが冷めた頃を見計らい、夕涼みがてら散歩に出る。
灘中の手の家並みの間を縦に横にぶらぶら歩きながら、あらためて気づく。
このあたり、実は著名な音楽人がかつて結構住んでいたんだな。

最も名高いのは篠原北町に居を構えていた朝比奈隆氏だろう。
ベートーベンやワーグナー、ブルックナーなど、ドイツ魂あふれる重厚な表現に情熱を注いだ、
大阪フィルハーモニー交響楽団の創設者にして常任指揮者。
戦後まもない頃から、関西に音楽文化の礎を築いた巨匠。
亡くなった2001年当時は93歳、世界最高齢の現役指揮者であった。
──ということぐらいは、クラシック音楽に関しては門外漢もいいところの僕でも知っている。

天城通には、かつてチャーリー・コーセイ氏が暮らしていた。
「ルパン三世のエンディングテーマ」といえば、いまや40がらみとなった元少年たちは
声を揃えて歌い出すだろう。渋く憂いを含んだ声色で「あしーもとにーからみーつくー…」と。
その隠れ名曲のオリジネイター。神戸に生まれ育ったブルースマンである。
一度だけお話をうかがったことがある。
「あの曲?若い頃のやっつけ仕事やな。でも、今でもあの歌を聴きたいって来てくれる客がいる。
この歳になるとね、感謝してるよ」
それから少しだけ灘話をした。たしか、まだ天城通に住んでおられた頃だ。
「水道筋のパンダ飯店、あそこ最高やね。旨いわ。台湾ネイティブの味や」

もう一人、畑原通に住んでおられた「神戸のター坊」こと松江和耶氏。
中学時代から、三宮のクラブなどでギターを抱えて歌っていた「流しの演歌師」。
神戸を拠点に『義兄弟』などのヒットを放ち、加納町に歌謡スナックも開いていたという。
2000年に59歳で亡くなられている。
僕は、彼を新聞記事でしか知らない。つまり、演奏は聴いたことがない。
が、ちょうどお亡くなりになられた頃だったか、たまたまご自宅の近くを歩いていて、表札を目にした。
「神戸のター坊 松江和耶 事 ●●●●」とあった(●●●●は本名)。
愛称と芸名が併記されたその表札は、いまも残っている。
芸名に「耶」の字が入っているのは、摩耶山を仰ぎ見ていたからだろうか…などと考えてみる。

クラシック界の巨匠、渋味滲むブルースマン、港町の演歌師。
まったくつながりのない畑の音楽人が、街で、山でつながっていた。
これもまた、灘中の手ならではの豊かさであろうか。

●今日の灘ノオト:ルパン三世主題歌2 / チャーリー・コーセイ

  ルパン三世のさまざまな挿入曲をR&Bやボサなどにリ・アレンジしたCDが出ていた。
  エンディングテーマは「主題歌2」。灘でのライヴレポはリンク先のnaddist氏の記で。


2008年6月25日(水曜日)

雨に唄えば

カテゴリー: - MJ @ 23時40分00秒

窓をたたく雨音を聞きながら、ビリー・ホリデイや首里フジコの気だるくも心地よい
傷心ジャズ歌「Stormy Weather」を想い起こし、
灰色の空を見上げては、エルモア・ジェイムスやアルバート・キングの粘りつくような
定番ブルース「The Sky is Crying」を口ずさむ。
梅雨も盛りの日々。
岩手・宮城の地震被災地の映像を繰り返し目にするせいか、
いつぞや家に投函されていた土砂災害マップを思い出す。
県の土木事務所の調査をもとにしたこんなサイトもできていた。
なに?自分の住んでる所も含めて、灘区の北部は大半が土石流でイチコロやんか……
と知っても、逃げるもしのぐもできないのだけれど。

今年は阪神大水害からちょうど70年に当たる。
1938年7月3日から5日にかけて降り続いた「100年に一度」の豪雨によって、
六甲山系の大半の河川が氾濫し、死者731人、流出全壊家屋5500戸に上ったという大災害。
「真っ白な波頭を立てた怒涛が飛沫を上げながら後から後からと押し寄せて来つつあって、
あたかも全体が沸々と煮えくり返る湯のように見えた」 と谷崎潤一郎は『細雪』で書き、
手塚治虫は『アドルフに告ぐ』で「六甲山塊の土砂が嵐のように神戸の街へ乱入した」と
ナレーションを挟み、主人公の少年の運命が最初に大きく転回する場面として描いた。
それほどに巨大で凶暴な「山津波」であり、
阪神・淡路大震災が起こるまでは、阪神間で(もちろん灘区でも)最大の自然災害であった水害も、
いま現在、具体的なおそれと危機意識を以て語られているかといえば、甚だ怪しい。

人間は忘れるし、災害は常に人間の想定を上回る(想定を上回るから災害なのだろうが)。
だからといって、延々と砂防ダムを造り続けたり、斜面を固め続けたりするわけにもいくまい。
できるだけ山すそに住まないようにする、とか? といっても、神戸という街の地形を考えると難しい。
今月に入り、阪神大水害を振り返る写真展が開かれたり、いくつかの記事が書かれたりしたようだ。
とりあえず、「忘れない」ことぐらいしか思いつかない。

●今日の灘ノオト:Texas Flood / Fenton Robinson

  「街が洪水になってあの娘と電話が通じない」というブルースは、実際の災害体験から
  生まれたそうだ。ギターも歌も、モダンで洒脱なメロウブルース・ジーニアスの演奏で。


2008年6月18日(水曜日)

妙案か妄想か

カテゴリー: - MJ @ 20時00分00秒

酒場では、幾多の思いつきや妄想が生まれ、飛び交う。
街の「なんかオモロいこと」というのは往々にして、
しかめっつらしいお役所的会議やもっともらしい広告代理店的コンセプトなんかよりも、
酒の勢いとホダラ話のドライブ感の中から生まれるのだ。
水道筋ミュージックストリートも雑談に枝葉が付き果実が実ったみたいなものだし、
最近じゃ、チンタ醉宵食堂が拠点となっている摩耶山のヒルクライムイベントもそうだろう。
灘愛溢れる数々の名・珍イベントを仕掛けてきたnaddist氏の発想だって、きっとそうに違いない。
酒場で「摩耶山から水道筋までケーブルカーを走らせる」計画を聞いたこともあるし、
泥酔すると、かなりの頻度で飛び出す灘区独立論というのもある。

そんな思いつきが、先日また一つ生まれた。
小坂忠さんの水道筋ライヴを観た後に流れた「汽笛亭」。メンツは4人。
ボーン・イン・尼崎で、現在は灘区在住のロック社会学者M氏
その弟子筋で、やはりフロム尼崎のN氏。それからnaddist氏と僕。
少し下の世代になるN氏以外の3人の共通点といえば、
ビートル・マニア(最近の言葉ではビーヲタというらしいが)、
つまり、ビートルズをこよなく愛している、という点だ。
ビートルズというのは、ポピュラーミュージックを愛好する者にとって基本中の基本、
好きな曲の5曲や10曲、擦り切れるほど聴いたアルバムの2枚や3枚は、
世代に関わらず誰にでもあるものだと僕は長年信じていたのだけど、
どうも意外にそうでもないことが分かってきた。
「ロックを芸術まで高めた」だの「初めてロックが教科書に載った」だの、
音楽とは関係ない社会風俗的な評価によって「権威」に仕立て上げられ、
それが却って、新しいリスナーを遠ざけてしまったのじゃないか、と思う。
いや、そんなゲージュツとかキョーカショとかどうでもよくて、
単純に、むちゃくちゃポピュラリティの高い楽曲を量産しながら、
かつ、ほとんどアナーキーなまでに変態を重ねた
あんなカッコいいバンド(ユニット)がほかにあるか、という話なのだ。
その誕生から大ブレイクを経て、成長、自律、そして分裂と、あれほど見事に
バンドという生き物の足取りが凝縮された魅力的な集団はないじゃないか、と。
多くのビートル・マニアは、自分のビートルズ体験と重ね合わせて、
そういった一つひとつをウダウダ語りたいと思っている。
なのに、自分たちが思っているほどにはポピュラーじゃないもんだから、
常に欲求不満状態に置かれているのだ。

それが、その日は偶然、好きモノが揃った。
「ビートルズ・シネ・クラブの元会員で、グッズは今もすべて段ボールに保管してる」
と誇らしげに言うnaddist氏。
突然i-podを取り出し「これ聴いてよ。ディランが歌ってる『Yesterday』」と、
自分の2大アイドルの「融合」をどうだ!と言わんばかりに誇示するM氏。
話は、キンクスやホリーズ、サーチャーズやスウィンギング・ブルージーンズなど
他の60’s英国ビートバンドまで広がって、
「こうなったら、ビートルズ談議をする秘密クラブ的イベントを水道筋で定期的にやった方がいいですね」
「お、いいね、いいね」
「昔のレコードコンサートみたいな感じでやれたら楽しいやろうね」
「お、いいね、いいね」
と、大いに盛り上がった。ビートルズ体験のないN氏ですら、
「面白そうですね。僕は遠巻きに見ときたいですけど」
と、遠慮がちに賛意を示すほどであった。
ま、実現するか、酒場の妄想で終わるのかは、まだ分からないんだけれど。

●今日の灘ノオト:Sie Liebt Dich / the Beatles

  と思ってたら、今月のレココレ特集が「赤の時代のビートルズベスト50曲」。投票1位は
  「She Loves You」。さすがに誰でも知ってると思うので、ここはドイツ語バージョンを。


2008年6月11日(水曜日)

グローカルでいこう

カテゴリー: - MJ @ 18時00分00秒

バラク・オバマが民主党内のデッドヒートを制し、勝利宣言をした日、
すなわち、全米史上で初めてアフリカ系アメリカ人の大統領候補が誕生した
歴史的な日の翌朝、神戸新聞の記事が目に留まった。
「若さ、変化に期待──県内の反応」
どんな世界的ニュースも、常に「兵庫県」というフィルターを通して報じるよう努めるのは、
「グローカルな視点」を標榜する地方紙としての正しきマナーであるが、
(いまは知らないが、かつてそんな貼り紙が社内にあったように記憶する)
それよりもさらにさらにコアな灘限定メディア「ナダタマ」に関わる俺が興味を引かれたのは、
とある雑誌の仕事で、ちょうどオバマについて書いている最中だったという以上に、
灘的な人たちが記事に登場していたからだ。
まずは東神戸教会の川上盾さん。
な也でレギュラーライヴ「ありがとう川上盾です」を展開し、
水道筋ミュージックストリートでは狂乱のフィナーレを司る「歌う牧師」である。
「公民権運動を指導したマーティン・ルーサー・キング牧師の暗殺から丸40年。
アメリカもようやくここまでたどり着いた」と喜び、
「黒人だけでなく、困難にあるさまざまな人の代弁者になって」とエールを送っている。

弁護士でもあるオバマはかつて、
シカゴのNPOに勤務し、スラムの貧困層を支援していたことがある。
グローバル資本主義を批判し、イラク戦争にも一貫して反対してきた、
一本筋の通ったリベラルな(つまりブッシュとは正反対の)立場の人物のようだ。
演説の名手でもある彼の言葉を集めた『オバマ語録』という本には、
「いま政治に関わっているのはJFKになりたかったからではない。
公民権運動のためだ」
という発言も収められている。
盾さんが感慨深く語るとおり(この灘ノオトにも以前、同様のコメントをいただいた)、
人種融和を訴え、凶弾に倒れたキング牧師の遺志を継ぐ人物といえるのだ。

神戸新聞の記事では、さらに
「Democrats Abroad Japan」関西支部長のテランス・ヤングさんが、
「若くてカリスマがあり、大統領としての資質を持っている。新しい変化をもたらしてくれるはずだ」
と期待を語っているが、驚いたことに、彼も灘区在住なのだという。
「Democrats──」とは米民主党の在外組織で、
国外に住む支持者の声を吸い上げようと、積極的に在外投票を呼びかけているらしい。
へーえ、なんかスゴい。
世界の行方を左右するアメリカ大統領の椅子に、黒人が座るかもしれないという事態を、
俺などはソウル/R&Bを長年愛してきたという理由だけで期待を込めて注視しているわけだが、
実際にコミットしている人が灘区にいるとは……。
ナダタマの掲げる「めくるめくグローカル」な視点が、壮大なレベルで体現されているじゃないか。

もちろん、オバマの政治手腕は未知数だ。
世界最高の権力者の座を射止めた時に、どのように振る舞い、
日本、ひいては灘区にどんな影響を及ぼすか(笑)も分からない。
熱狂的な支持を受けた権力者が、実は、その支持者自身を政策的に切り捨てるという図式は、
「Kイズミ劇場」という形で、最近の日本にも現れた。
だが、アフリカン・アメリカンの文化や表現に著しく影響を受け、育てられてきた俺としては、
とりあえず灘区から力強く、堂々と「オバマ支持」を表明したい。
──というような話を、『Meets Regional』という雑誌で連載しているコラムに書いたので、
ご興味のある方は来月1日発売の号をお手に取ってみてください。

●今日の灘ノオト:American Dream / Bobby Womack

  80年代初頭に何度目かの充実期を迎えたボビーの傑作アルバムのラストを
  飾るバラード。キング牧師の名演説「I Have a Dream」がコラージュされる。


2008年5月28日(水曜日)

学校ノオト

カテゴリー: - MJ @ 22時00分00秒

このところ早起きが身について、朝の音に敏感になった。
慌ただしく道を駆けていく足音。路地の日課の井戸端会議。
犬の散歩途中に必ずお向かいの家に声を掛けていくおばさん。
隣の家が見ている朝ドラのテーマ、続いてAMラジオの帯番組。
おっちゃんが盛大にえずく声……は最近聞こえなくなったけど、どないしはったんやろか。
それから、小学校のブラスバンドの朝練。跳ねないマーチの「聖者の行進」。
音楽の時間か、30本以上のリコーダーが一斉に奏でるバッハのメヌエット。

小学校といえば、ある日の昼間、どうやら掃除の時間に通りかかり、
校庭に響き渡る曲に思わず足を止めた。
スタイリスティックスの「Can’t Give You Anything (But My Love)」。
なにをー?掃除のテーマが70年代スウィートディスコナンバーやて?
「愛がすべて」(邦題)やて? ヴァン・マッコイ制作やて?
…などといっても、俺はファルセット舞うスウィートソウルや
ディスコものは実はあまり得意ではないのだけれど、
広くブラックミュージック好きという立場から言わせてもらえば、
「おう!なかなかの英才教育やないか」である。
誰かディスコやブラコン好きの先生がいるんだろうか。
それで、選曲権を全面掌握できる立場にあって、
「本校の掃除のテーマは、先生がかつて踊り場(ディスコをツウはこう呼んだ)で
フィーバーした想い出のスタイリスティックスにします」なんつって、
児童にフィーバーの仕方を指導してたりしてもおかしくないよな、年代的に。
まあ、あの有名なサビに突入する前の、変に日本的な哀調を帯びたメロディが、
文部省唱歌風な感じがしなくもないし。

だいぶん前にメルマガnaddistで、
小学校の給食時間に流れていた「チコタン」という歌が話題になり、
神戸生まれでも育ちでも何でもない俺はまったく聴いたことがないにも関わらず、
その衝撃的な歌詞に、どうしようもないやるせなさを感じた。
ネイティブ灘クミンの方々の反応も、「大人になってからもずっと心に引っ掛かっていた」
というような内容が多かったように思う。
子供のころ、学校などで聞くともなしに聞いていた音楽って、
ひっそりとではあるが、意外に深く身体に入っていたりするもんだからね。
スタイリスティックスで掃除にいそしんだ子供たちは、どうなるんだろうか。
ソウルミュージックにちょっとは興味を持ってくれ…へんやろうなあ。
ファルセット聴いたら「あ、掃除せな」て思うぐらいやったりして。

●今日の灘ノオト:Can’t Give You Anything (But My Love) / the Stylistics

  20代以下のあなたには「キムタクが出てたギャッツビーのCMの曲」といえば分かるか。
  ポピュラー色強く、ソウルファンに敬遠されたりもするグループ。ええ曲あるんやけどね。


2008年5月21日(水曜日)

3つのパラダイス

カテゴリー: - MJ @ 21時10分00秒

きょうもまた山の話。
とりたててアウトドア派でも、山登りが趣味でもない俺が、
立て続けに山を話題にすることは、
灘の暮らしと山がいかに近しいかを表していると思う。
俺のような山シロウトをも惹きつける魅力的なコトが山の上にはあるのだ。
企画・出店者の方々の工夫と楽しい仕掛けで着実に広まり、
「灘ノオト」で書くのも3回目になる摩耶山リュックサックマーケットである。
先週土曜日、5月の陽光降り注ぐ掬星台は、俺にとって、さながらパラダイスであった。
目にするもの、口にするもの、肌で感じるもの、すべてが寛ぎを誘う。
山の空気が身体中にじんわり浸透していくような、ゆるやかな心地よさ。
 
パラダイスその1は、鍼治療。
長年抱え続けている腰痛がこのところ激化し、
1週間前にマッサージ、その前の週には整体に行ったばかりだというのに、
山上で出張開業している[さわさき針灸院]を目にすると、思わず歩み寄っていた。
「腰がタマラんので、ちょっと診てもらっていいですか」
「あ、どうぞ。そこに横になってください」
と示されたのは、ウッドデッキの上に敷いたバスタオル。野性的にして、リゾートな感じ。
腰の周辺を押さえられ、「あぅ…う、あぁ」と吐息交じりに声を漏らしていると、
「これはかなりヤバいことになってますね。鍼を打っといた方がいいかも」と。
あ、鍼ですか。いまここで? えと、お、お願いします…
鍼を打つのは何年かぶりとあって少し戸惑いつつも、結局、腰回りに8本。
いや、しかしこれが気持ちいい。山上の風に吹かれつつ、
痛みの源にズンと響くような鍼の効果を体に受け入れる。
実は、鍼治療中の写真をnaddist氏に撮っていただいたのだけど、
あとで見ると、われながら見苦しいにもホドがあるので自粛。
別の方の施術中の姿で、パラダイス感が伝われば。
 
その2は、キューバのカクテル、モヒート。
「あっちに出てるモヒート美味いよ」と教えてもらい、
「おう!パパ・ヘミングウェイの酒やね」と独りごち、少し軽くなった腰で駆けつける。
本日初出店だというナイスガイが「コレはサトウキビのラムで…」といいながら、
ミントの葉をすり、ライムを絞ったりして、カクテルを作ってくれた。
初体験だったが、いや、これが美味いのだ。爽やかに甘くって。
キューバといえば…といっても、特別なイメージは何も浮かばないけれど、
ライ・クーダーがプロデュースした『ブエナ・ヴィスタ・ソシアル・クラブ』という
素晴らしい音楽映画があったな、とか
あーそういえば、チェ・ゲバラの娘が近々神戸に来るんだった(※注)とか
乏しい知識を総動員しつつ、彼の国に思いを馳せる。
うーむ、キューバン・パラダイス。
 
その3。腹減ったので、あれやこれやつまみ食いしていたのだが、
「三色丼」のボール紙看板に吸い寄せられる。
「あの、これってどんなのですか」と訊くと、
おねえさんがクーラーボックスから取り出したのは、
ドトールとかのアイスコーヒーが入ってるようなカップ。
そこにギュッと詰め込まれたご飯。上には、
甘辛く味付けた豚肉、煎り玉子、それに野菜…で三色丼。
木のスプーンで食べる素敵な山ランチ。300円。
いや、これがウマいのなんの。
ワシワシとかき込み、あっという間に完食。臆面もなくお店へリターン。
2杯目を食っていると、「それ、どこで売ってました?」と尋ねられる。
場所を教えたものの、すぐに戻ってきた彼は、
「売り切れてましたよ、2杯も食べはるから」
あ、いや、すいません。ええ大人が加減も知らず…。
摩耶山のパラダイス&ランチにすっかり魅了されてしまったんです。

(※注)ゲバラ氏の娘、アレイダさんの講演はあす22日、なんと灘の[原田の森ギャラリー]で。
    英雄的革命家の娘が語る平和の講演、といった感じのようだ。

●今日の灘ノオト:Ditty Wah Ditty / Ry Cooder

  飽くなきルーツミュージック探求を続ける名人ギタリストの代表アルバム。ピアノの
  アール・ハインズとデュオで繰り広げるこの曲は、ノベルティタッチのブルース名演。


2008年5月14日(水曜日)

むこうにありて

カテゴリー: - MJ @ 21時00分00秒

「山笑う」は芽吹きのころの季語だそうだから、少し時季外れだけれど、
坂の向こうを見上げれば滴る緑、山がまぶしく笑うような灘の5月である。
ちょうど1年ほど前に編まれた『水道筋周辺地域のむかし』という冊子を拾い読みしていると、
六甲山の呼び名についての記述があった。
倭国の時代、政権の中心地があった淀川左岸、つまり河内のクニから見れば、
川向こうに当たるこちら側は、「向こうのクニ=むこのクニ」と呼ばれていたらしい。
その中でひときわ高く、海に面してそびえる山並みは「むこの山」と呼ばれていたと考えられる。
「むこ(う)」は、やがて「六甲」「六高」といった漢字が当てられ、
さらに時代を下ると、地名の音読み化の流れに伴って「ろっこう」の呼称が定着したのではないか、と。
灘クミン的には、まあ初級レベル(いや中級かな?どうなんでしょう、naddistさん)の知識だけれど、
ここで僕は思い出した。
新聞社に勤める記者だった13年前、未完のまま終わった連載のことを。
 
その年、1995年は、六甲山の開山100周年に当たっていた。
開山とは、旧居留地の英国人貿易商A・H・グルームが山荘を建てた1895(明治28)年、
つまり、レジャーやリゾートの山として拓かれ始めた年を指す。
で、神戸市内を担当する3年生のペーペー記者だった僕を含む数人の「取材班」が、
正月から開山100年の連載をやることになった。
前年の秋から冬にかけては、六甲山とその周辺を訪ね回っていた記憶がある。
日本初のゴルフ場「神戸ゴルフ倶楽部」に少年キャディーとして入り、
取材当時でキャリア75年(!)を数えた管理人氏、
「山の子」として生まれ育ち、やはり山上で4人の子供を育てておられた商店主、
かつて「氷道」と呼ばれた運搬路を使い、山の向こうから氷を運んだ有野(北区)の古老……。
先輩や同僚たちは、
六甲山レジャー開発を先導した阪神電鉄の役員や六甲登山1万5000回を誇る毎日登山のベテラン氏、
また、山の歴史を知る貴重な史料である旧居留地の英文誌『INAKA』の寄贈を
神戸市に橋渡しした女性らに話を聞いていた。
六甲山をめぐるさまざまな人たちに会い、神戸という街の背骨を作った山の100年史を探ろうとした。
連載のタイトルは「六甲(むこう)に在りて」。
山の名前の由来と、神戸の人間が常に「向こう」に眺める存在の大きさを込めたものだった。

記事を探し出し、読み返してみた。
連載第1回は1月5日の広域版(当時)。
第1部は「楽しむ」山としての六甲山の姿が5回にわたって綴られている。
そして1週間置いて、「暮らす」山としての話に焦点を当てた第2部をスタートした。
その初回の稿は、
 「時代や気候の変化に伴って、山の子供の遊びも変わってきた。
  30年ほど前は、山上の池に張る氷上でのスケートがいちばんの楽しみだったのが、
  いまはテレビゲーム。街の子と変わらない。塾通いで週に何度も山の上と下を往復する」
といった内容。僕が書いた記事だった。
掲載は17日。つまり、阪神・淡路大震災の日だ。
地震発生が午前5時46分だから、配達の早い地域には新聞が届いたと思うが、
広域版がフォローしていた神戸・阪神間は、ほぼまるごと激甚被災地となったので、
その記事は、いわば「まぼろし」となった。
そして、当然ながらその日以降、紙面は震災一色になる。
おぼろげな記憶をたぐれば、あの翌日は先述の有野の古老の話が載るはずだった。
たぶん、ゲラもチェック済みだったと思う。
だが、会社自体が被災してページ数も大幅に減った。新聞発行自体続けられるかどうか、という事態だった。
六甲山の連載はその回を最後に、消えた。

未完で終わった連載が気にならなかったわけではないけれど、
再開したり、仕切り直したりする機会は訪れなかった。正直、そんな余裕もなかった。
そのまま10年あまりが過ぎ、僕は会社を辞めた。
山は、いまも変わらず向こうにある。
頂上に辿り着くことがないまま、僕は下りてしまったのかもしれない。
麓の街に暮らし、新緑の稜線を見上げながら、時折思う。

●今日の灘ノオト:Ain’t No Mountain High Enough / Marvin Gaye & Tammi Terrell

  「どんな高い山も、深い谷も越えていく。君のためなら」と歌う黄金デュエットの代表曲。
  60’sモータウン・マジック炸裂の永遠のR&Bスタンダード。六甲の山越えを描きつつ。


2008年5月8日(木曜日)

頂上会談・後編

カテゴリー: - MJ @ 13時15分00秒

私は言葉を継いだ。
「あの、尼崎の『南部再生』で取材させていただいた…」
と、彼は「ああ!そうだ」と満面の笑みで立ち上がり、右手を差し出してきた。
ごく自然でジェントルな所作は、大人のミュージシャンのものだ。
河田健氏。
結成50周年を誇る関西ビッグバンドの大看板「北野タダオ&アロージャズオーケストラ」の
リードアルト奏者。自己のグループでも精力的にライヴやレコーディングをされ、
友人である桂南光師匠とのトーク&ライヴなど企画モノも多くこなされている。
2年ほど前、私が編集に関わっている尼崎のフリーペーパー『南部再生』で
ちょい尼オヤジ」の一人として紹介させていただいたことがある。
河田氏は生まれも育ちも、現在に至るまでアマの人。
阪神尼崎あたりにナイトクラブやダンスホールが並び、いま以上に活気が(おそらくヤバいことも)あった時代、
そして、日本でもジャズがリアルな“生きた”音楽であった時代を知る「尼のパーカー」だ。
若い頃のハコバン仕事でこなしたキャバレーやストリップショーののBGMから
アロージャズオーケストラで務めた美空ひばりや山口百恵のバックまで、
無数の音を紡いできた彼がいまも変わらず敬愛するのが、
「モダンジャズの父」といわれる破天荒な天才チャーリー・パーカーなのである。
パーカーの代表曲「Confirmation」の河田流解釈も収めたNY録音アルバム
『Portrait of Manhattan』は、取材後しばらく私の愛聴盤となった。

「実は年内にまたNYに録音に行くことになりましてね、
そのCDジャケットを成田さんにお願いすることになって」
へえ、サードアルバムですね。しかも、成田さんがジャケを。ええ組み合わせですねえ。
成田氏のCDジャケ仕事は一度ここで紹介したが、
洋酒メーカーの広告で往年の名歌手のポートレイトを手掛けておられたこともある。
『神戸の残り香』に収録されている三宮のジャズ喫茶[JAVA]の切り絵には、
私もここでネタにしたスタンダード「パリの四月」を織り込んだ成田節エッセイが添えてあった。
そういえば、私が成田氏と知り合ったのも元町のソウルバーだ。
音楽への衝動は、実は、成田作品の重要なバックボーンなのかもしれない。
 
聞けば、二人に共通の知人の紹介で、この日の初対面となったらしい。
私はたまたまその場に居合わせたに過ぎないが、
自分の周りのいろんなヒトやコトがつながっていくのは嬉しい。
どうしてか、無性に高揚感を覚える。
人生は無意味ではない、人は孤独なばかりではない、と思えるからだろうか。
私は、個人的な慶事を山上で祝うために持参したワンカップ酒を持って外へ出た。
霧がまた少し濃くなり始めていた。
灰色のトーンを被せたような灘の街を見下ろして、私は冷えたワンカップを勢いよく傾けた。

●今日の灘ノオト:Confirmation / Charlie Parker

  学生時代、やはりアルトサックスを吹いていた友人に「ビ・バップって何や?」と訊いたら
  「この曲だ」と教えられたほどバップ的フレーズ満載、モダンジャズの代名詞的ナンバー。


2008年5月7日(水曜日)

頂上会談・前編

カテゴリー: - MJ @ 10時00分00秒

東京ではきょう、福田康夫首相と胡錦濤・中国国家主席による10年ぶりの日中首脳会談が行われるが、
私は一昨日、灘区内で開かれたもう一つの「頂上会談」に立ち会った。
意図して出掛けたわけではない。たまたま居合わせた、というのが正しい。
社会党委員長であった浅沼稲次郎刺殺の瞬間をとらえた毎日新聞写真部の記者、
飢餓のスーダンで、やせ衰えた少女をハゲワシが狙う衝撃的な場面を配信したカメラマンら、
歴史的スクープをモノにしたジャーナリストたちがそうであったように、
めぐり合わせが私のところへ来た、というだけなのかもしれない。

5月5日、こどもの日。
私は、六甲山の[六甲ヒルトップギャラリー]で開かれている
切り絵作家・成田一徹氏の個展を訪ねるため、六甲ケーブルに乗った。
好天続きだった大型連休にあって、この日だけはすっきりしない小雨模様だった。
山上駅に近づくにつれ、濃い霧がみるみる景色を覆い、
強風のためロープウェーは運休だというアナウンスが流れた。
だが、最近わが人生最大の慶事に恵まれた私は、
ほぼ1年ぶりにお会いする成田氏にそのことを報告しようと胸躍らせていた。
まるで、スピリチュアル(黒人霊歌)のタイトルであり、
アメリカの黒人作家ジェームズ・ボールドウィンの処女作である
『山にのぼりて告げよ(Go Tell It on the Mountain)』そのものだ、などと考えながら。

個展は、成田氏の原点であり、ライフワークである“神戸モノ”だけを集めた企画だ。
濃霧と冷たい強風で視界がどんどん狭まっていく屋外と対照的に、
ギャラリー内は温かな賑わいに満ちていた。
いつもと変わらぬ穏やかな笑みで迎えてくれた成田氏と、しばし近況など報告し合う。
うれしいことに、「灘文化堂」でも一度紹介した『神戸の残り香』の続編を構想中だという。
私も、私の朗報を報告した後、霧が少し晴れるのを待って、いったん外へ出た。
今回の個展のために成田氏が制作した六甲ケーブル山上駅の切り絵の、
駅舎の昭和モダニズムをそのまま写し取ったような作風に惹かれ、
同じ構図を写真に収めようと思ったのだ。
   
15分ほどカメラを構えていただろうか。
ギャラリーへ戻ると、成田氏は奥のテーブルで、一人の男性と向かい合っていた。
二人の間に、たくさんの写真が広げられている。男性が持参したものらしい。
数枚を指さしながら、何ごとか熱心に説明する男性。相槌を打ちつつ、こちらも熱心に聞き入る成田氏。
作品制作依頼だろうか。さりげなくテーブルの横に回り込み、遠慮がちに、しかし無遠慮な視線を落とす。
どれも演奏中のサックスプレーヤーのカットだ。口ひげをたくわえた柔和な表情。楽器はアルト。
見覚えがある……。私は脳裡を探った。ふと、男性の横顔に視線を移す。
写真とは異なるカジュアルないでたちだが、どうやら同じ人物らしい。
とすると、ミュージシャンか。ジャズマン……?
成田氏の手が数枚の写真を取り上げた、その下からのぞいたCDジャケットに、私はハッと思い当たった。
あ、もしかして……でも、なぜ彼が、ここで成田さんと……?
迷いながら、その横顔に恐る恐る声を掛ける。
「あの…すいません、河田さんですか?」
「はい、そうですが」言いながら振り向いた彼は、私が誰だったか思い出そうとしているようだった。
だが、私は一足先に確信を持った。やはり。
河田健氏だった。
(この項続く)

●今日の灘ノオト:ABC-123 / Levert

  「山の上からこの喜びを叫びたいぜ」というブリッジは、おそらく上記のスピリチュアル曲から。
  安っぽいヒップホッパー崩れみたいなジャケだが、R&Bの伝統を汲む正統派バラードの名曲。


2008年4月30日(水曜日)

ブルース灘内革命

カテゴリー: - MJ @ 12時45分00秒

近々、「灘文化堂」に入荷予定の1冊の本。
『ロバート・ジョンソン ブルース歌詞集』
本もCDも売れない時代、ましてやブルースと名の付く音楽など、
コマーシャリズムの極北に追いやられたこのご時勢に、
こういう本が出たこと自体うれしいが、
それが灘の出版社から、ということになれば
アフロアメリカン系ルーツミュージックの灘内革命的普及を目指す
「灘ノオト」としては、食いつかぬワケにはいかない。
昨秋の水道筋ミュージックストリートに協賛してくださって以来、
お話を聞きたいとずっと思っていた「万象堂」をようやく訪ねることができた。
 
灘北通で40年あまりの印刷会社を母体とし、
音楽・美術書、絵本などを手掛ける新しい出版社だが、
「自分がほんとに好きな本だけしか出しません」
という青年社長のココロイキが頼もしい。
その「ほんとに好きな」もののひとつが、ブルースなのである。
しかも、相当にディープで、よりプリミティブな戦前スタイルの。

「ロバート・ジョンソンの訳詞集なんてよく出したねって言われますよ(笑)。
理由はいろいろありますけど(※注)、ひと言でいうなら『好きだから』に尽きますよね。
サンハウス、それからロバート・Jr・ロックウッドあたりも大好きです。
テキサス系だと、やっぱりライトニン・ホプキンス。最高ですね」
──ですよねえ。僕は、シカゴものやモダンブルースを中心に聴いてきましたけど、
   ロバジョンやロックウッド、ライトニンには、やっぱりシビれますもん。

「学生のころ、女の子とドライブ中にサニーボーイ・ウィリアムソンを流して、
止めてくれって言われたり(笑)。トム・ウェイツでもダメだったですねえ」
──あらら、トム・ウェイツもNGでしたか。うーん、カッコいいすけど、
   80年代(?)のドライブデートには、たしかに微妙ですかねえ。

「僕はギター弾くんですけど、やっぱり好きなのは戦前の弾き語りスタイル。
ロバート・ペットウェイにトミー・マクレナン、あと、ランブリン・トーマスとか。
寝る時とかに聴きますよ。といっても寝つきがいいから、すぐ眠っちゃうんですけど(笑)」
──はあ、戦前の。えと、ロバート……ペット…何ですか?

「あ、ゴスペルがお好きなんですか。僕はゴスペルだと、スピリット・オブ・メンフィス・カルテット。
初めて聴いたときは衝撃でしたね。あの掛け合いのすさまじさといったら。
何年か前にコンプリート盤が出ましたよね。ドキュメントとかヤズーとかいったレーベルはご存知でしょう」
──あの…えーと、あの……。

いや、もうサイコーである。
続々出てくる戦前ブルースマンの名前は「誰それ?」のオンパレード。
分からなすぎて頭がクラクラするのが逆にうれしい。
ほんまに好きな人の、ほんまに好きな話というのは、聞いてるだけで楽しくなってくるのだ。
お歳をうかがえば、僕とさほど変わらない社長いわく、
「入口はビートルズですよ」
あ、そうなんですか。だったら一緒ですね。
いわれてみれば、1970年ごろのジョン・レノンみたいな丸眼鏡を掛けておられる。
「万人共通」といっていい入口から、アメリカ深南部、ミシシッピ・デルタにたどり着き、
その美しき泥沼に深く深く足を取られた男が、ここ灘にいる。
ブルースの灘内革命的普及は、静かに、ふつふつと進行しているのかもしれない。

(注)……そのあたりの興味深い理由については、リンク先の「編集後記」で書いておられますが、
後日、「灘文化堂」でも詳報するつもりです。

●今日の灘ノオト:Revolution 1/ the Beatles

  ビートルズ後期におけるジョン・レノンのシンプルなブルース回帰志向が表れたトラック。とはいっても、
  寝転がって歌を録ったり、セッションの断片を前衛的な「NO.9」に流用したり、「革命」も試みているが。


2008年4月16日(水曜日)

大人の酒場

カテゴリー: - MJ @ 14時00分00秒

駄菓子屋模型店が子供たちにとって欠かせないように、
大人の男にとって、安酒場は街の必需スポットである。
立ち飲みが、レトロでキッチュな、ある種「粋」な文化として認知されるずっと以前から、
灘の浜手の酒徒が、ごく当たり前の日常のひとコマとして通い続ける店の一つに
新在家の[ぐいぐい酒場 樫本]がある。
酒屋併設の本格店。初めて行ったのは10年近く前になるだろうか。
ドラマーの島田和夫さんとピアノ弾き井山あきのりさんのユニット「ブギウギ・ピアノ・ナイト」のライヴに
大西ユカリちゃんとともに出演させていただくことになり、ある日の昼間、
いまもあるのかどうか、六甲道勤労市民センターのスタジオでリハをした。
その帰り、「島やんが好きな巨大立ち飲みに連れて行ってくれるて」と
ユカリちゃんがうれしそうに言い、「巨大立ち飲みてナニ?」といぶかりながらついて行った。
 
そこは、ほんとうに巨大立ち飲みだった。
店の隅に「U」の字カウンターがあり、その背後にガランと大きな空間が広がっている。
装飾的な要素はほぼ何もない無骨なハコで、喩えていうなら、
香港の人たちが毎朝通う飲茶楼のようなホールの立ち飲みだった。
「ガランと」と書いたが、それは空間の取り方の話であって、
まだ日も暮れきらぬうちだというのに、店内は人いきれとざわめきでむせ返るほどだった。
たしかまだ20代で、ディープな立ち飲み経験などなかった俺は、その光景に内心圧倒された。
ステンレス製の、テーブルというより、ただの「台」を4人で囲むと、
注文を取りに来た「お姉さん」に、島田さんが手短に伝える。
ほどなく瓶ビール2本と、湯豆腐が4皿運ばれてきた。
「この豆腐を目当てに来てるんや」みたいなことを島田さんが言っていたような気がする。
喧騒のせいもあって、あとはどんな話をしたか、あまり覚えていない。
ただ、ふだん通い慣れていたバーとも居酒屋ともパブとも違う、
自分にとって明らかな「異文化」に、知らなかった街のひだを見る気がした。
憂歌団の歌に描かれるような大人の酒場の空気を体感し、感応した。

その[樫本]が今月でいったん閉め、なくなりはしないが、縮小する方向だと聞いた。
あの雰囲気をもう一度見ておこうと、何年かぶりに訪ねてみた。
午後4時前。まだ客はまばらで、アイドルタイムの眠たげな空気が漂うなか、
2人のお姉さんだけが、てきぱきと忙しそうに立ち働いている。
ポットから、大きめのコップになみなみと注がれる燗酒。コップは、西郷にある「福徳長」の銘入りだ。
アテはもちろん湯豆腐。槽に泳ぐ豆腐が手際よく掬われ、たっぷりの鰹節とネギの化粧を施されて出てくる。
聞くところによると、もう閉店した豆腐屋が、この店の名物のためだけに特別に豆腐を作り続けているらしい。
   
徐々に増え始めた常連客たちは、カウンターに陣取るやいなや、口々に改装の話を始める。
俺もお姉さんに少し話を聞いてみる。
「私らも引退するし、どんな感じになるか詳しくは知らんけど、だいぶん狭うするんやて。椅子も置いて。
この店?もう40年からになるわ。広なったんは、20年ぐらい前からちょっとずつ…」
残念やけどしゃあないわ、というようなサバサバした口ぶりだった。
カウンターに着いたのは初めてだったので、いままで気付かなかったが、
壁には1995年1月17日午前5時46分で止まったままの柱時計があった。
1杯で切り上げる。酒が280円、湯豆腐が150円で、しめて430円。
コップを干し、まだ明るい戸外へ出ると、[樫本]の真向かいに
近々オープン予定のおしゃれな「TACHINOMI」ができていた。
 

●今日の灘ノオト:はんか街のはんぱ女 / 憂歌団

  憂歌団1stに収録のジャグバンド調ブルース。[樫本]の店内のような酒場の賑わいが挿入される。
  「ハヤ君、お酒」と叫んでいるのは島田さんらしい。続けて花岡さんが「天王寺てエエとこやのう」と。


2008年4月9日(水曜日)

灘の四月

カテゴリー: - MJ @ 10時00分00秒

 April in Paris (パリの四月)
 Chestnuts in blossom (栗の花が咲き)
 Holiday tables under the trees (樹々の下には休日のテーブル)
 April in Paris (パリの四月)
 This is a feeling (この気持ち)
 No one can ever reprise (誰もほかでは味わえない)

「パリの四月」は1932年、
ミュージカル『Walk a Little Faster』のために書かれた美しいバラード。
スウィンギーで豪快なアレンジを施したカウント・ベイシー楽団をはじめ、
多くのジャズメンたちがこぞって取り上げ、大スタンダード曲となった。
短い描写に、春がかぐわしく立ち上る。
作詞者のエドガー・イップ・ハーバーグは当時パリに行ったことがなく、
パリに詳しいヴァーノン・デュークが書いた曲に合わせて、
見知らぬ街を想像しながら歌詞を綴ったのだという。
僕も行ったことはないが、代わりに「灘の四月」を散策してみた。
   
王子公園で夜桜の通り抜けがあった日の昼間。
青谷川沿いには、早くから場所取りのシートが。
パリの「栗の花」に代わるものは、やっぱり満開の桜なのだろうけど、
傍らに、どこかひっそりした風情でツバキが咲いていた。
豪勢な桜がなければ十分に主役を張れるだろうに。
この時季には、登山練習用の岩場が「休日のテーブル」になる。
岩から岩へ跳び回っていた子供たちが、
何か合図でもあったのか、示し合わせたように花びらを拾い集める。

 I never knew the charm of spring (いままで春の魅力を知らなかった)
 Never met it face to face (出会ったこともなかった)
 I never knew my heart could sing (私の心が歌えるなんて知らなかった)
 Never missed a warm embrace (温かな抱擁を求めることも)
 Till April in paris (パリの四月を知るまでは)
 Who can I run to? (私は、誰のもとへ行けばいい?)
 What have you done to my heart?(あなたは、私の心に何をしたの?)

平日昼間の公園を、ゆっくり目を凝らし、耳を澄ませて歩くことなどあまりないから
慣れ親しんだ風景もいちいち新鮮に、物珍しく映る。
どこかから笛の音が聞こえてきた。オカリナ? 
音の主を探すと、川面に張り出した桜と向き合って練習する人がいる。
川べりをさらに上っていくと、丸みを帯びた音が追いかけてきた。
知らず知らず「パリの四月」を口ずさむ。
   
商店街にも「四月」は溢れている。
[あかちゃ家]の桜水まんじゅうと、横に添えられた桜アイス。
甘いものや和菓子は、正直いって得意ではないけれど、この店では食べられる。
歌詞を「I never knew the taste of sweets」と変えて歌ってみるか。
春は嫌いではなかったけれど、特別好きな時季だったわけでもない。
でも今年は胸が膨らむような想いがある。
What have you done to my heart?(あなたは、私の心に何をしたの?)
 
※灘の桜ギャラリーは、更新中の「灘バカ一題」でどうぞ。

●今日の灘ノオト:April in Paris / Ella Fitzgerald & Louis Armstrong

  歌ジャズのファーストレディと伝説の巨人の余裕と寛ぎに満ちたデュエット。
  しっとりとした歌い口とトランペットの間奏。優しく肌をなでるような心地よさ。


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