昼間の蒸し暑さが冷めた頃を見計らい、夕涼みがてら散歩に出る。
灘中の手の家並みの間を縦に横にぶらぶら歩きながら、あらためて気づく。
このあたり、実は著名な音楽人がかつて結構住んでいたんだな。
最も名高いのは篠原北町に居を構えていた朝比奈隆氏だろう。
ベートーベンやワーグナー、ブルックナーなど、ドイツ魂あふれる重厚な表現に情熱を注いだ、
大阪フィルハーモニー交響楽団の創設者にして常任指揮者。
戦後まもない頃から、関西に音楽文化の礎を築いた巨匠。
亡くなった2001年当時は93歳、世界最高齢の現役指揮者であった。
──ということぐらいは、クラシック音楽に関しては門外漢もいいところの僕でも知っている。
天城通には、かつてチャーリー・コーセイ氏が暮らしていた。
「ルパン三世のエンディングテーマ」といえば、いまや40がらみとなった元少年たちは
声を揃えて歌い出すだろう。渋く憂いを含んだ声色で「あしーもとにーからみーつくー…」と。
その隠れ名曲のオリジネイター。神戸に生まれ育ったブルースマンである。
一度だけお話をうかがったことがある。
「あの曲?若い頃のやっつけ仕事やな。でも、今でもあの歌を聴きたいって来てくれる客がいる。
この歳になるとね、感謝してるよ」
それから少しだけ灘話をした。たしか、まだ天城通に住んでおられた頃だ。
「水道筋のパンダ飯店、あそこ最高やね。旨いわ。台湾ネイティブの味や」
もう一人、畑原通に住んでおられた「神戸のター坊」こと松江和耶氏。
中学時代から、三宮のクラブなどでギターを抱えて歌っていた「流しの演歌師」。
神戸を拠点に『義兄弟』などのヒットを放ち、加納町に歌謡スナックも開いていたという。
2000年に59歳で亡くなられている。
僕は、彼を新聞記事でしか知らない。つまり、演奏は聴いたことがない。
が、ちょうどお亡くなりになられた頃だったか、たまたまご自宅の近くを歩いていて、表札を目にした。
「神戸のター坊 松江和耶 事 ●●●●」とあった(●●●●は本名)。
愛称と芸名が併記されたその表札は、いまも残っている。
芸名に「耶」の字が入っているのは、摩耶山を仰ぎ見ていたからだろうか…などと考えてみる。
クラシック界の巨匠、渋味滲むブルースマン、港町の演歌師。
まったくつながりのない畑の音楽人が、街で、山でつながっていた。
これもまた、灘中の手ならではの豊かさであろうか。
●今日の灘ノオト:ルパン三世主題歌2 / チャーリー・コーセイ
ルパン三世のさまざまな挿入曲をR&Bやボサなどにリ・アレンジしたCDが出ていた。
エンディングテーマは「主題歌2」。灘でのライヴレポはリンク先のnaddist氏の記で。


(継続中) - 11月23日
11月29日

今は息子さんの朝比奈千足さんが住んでいらっしゃるんでしたっけ。
指揮者つながりでいくと、佐渡裕氏も確か灘区在住だったかと。
指揮者に愛される街なんでしょうかw
チャーリーさん、水道筋歩いていても大きいからすぐわかります。
Comment by naddist — 2008年7月4日(金曜日) @ 09時19分51秒