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2008年5月14日(水曜日)

むこうにありて

カテゴリー: - MJ @ 21時00分00秒

「山笑う」は芽吹きのころの季語だそうだから、少し時季外れだけれど、
坂の向こうを見上げれば滴る緑、山がまぶしく笑うような灘の5月である。
ちょうど1年ほど前に編まれた『水道筋周辺地域のむかし』という冊子を拾い読みしていると、
六甲山の呼び名についての記述があった。
倭国の時代、政権の中心地があった淀川左岸、つまり河内のクニから見れば、
川向こうに当たるこちら側は、「向こうのクニ=むこのクニ」と呼ばれていたらしい。
その中でひときわ高く、海に面してそびえる山並みは「むこの山」と呼ばれていたと考えられる。
「むこ(う)」は、やがて「六甲」「六高」といった漢字が当てられ、
さらに時代を下ると、地名の音読み化の流れに伴って「ろっこう」の呼称が定着したのではないか、と。
灘クミン的には、まあ初級レベル(いや中級かな?どうなんでしょう、naddistさん)の知識だけれど、
ここで僕は思い出した。
新聞社に勤める記者だった13年前、未完のまま終わった連載のことを。
 
その年、1995年は、六甲山の開山100周年に当たっていた。
開山とは、旧居留地の英国人貿易商A・H・グルームが山荘を建てた1895(明治28)年、
つまり、レジャーやリゾートの山として拓かれ始めた年を指す。
で、神戸市内を担当する3年生のペーペー記者だった僕を含む数人の「取材班」が、
正月から開山100年の連載をやることになった。
前年の秋から冬にかけては、六甲山とその周辺を訪ね回っていた記憶がある。
日本初のゴルフ場「神戸ゴルフ倶楽部」に少年キャディーとして入り、
取材当時でキャリア75年(!)を数えた管理人氏、
「山の子」として生まれ育ち、やはり山上で4人の子供を育てておられた商店主、
かつて「氷道」と呼ばれた運搬路を使い、山の向こうから氷を運んだ有野(北区)の古老……。
先輩や同僚たちは、
六甲山レジャー開発を先導した阪神電鉄の役員や六甲登山1万5000回を誇る毎日登山のベテラン氏、
また、山の歴史を知る貴重な史料である旧居留地の英文誌『INAKA』の寄贈を
神戸市に橋渡しした女性らに話を聞いていた。
六甲山をめぐるさまざまな人たちに会い、神戸という街の背骨を作った山の100年史を探ろうとした。
連載のタイトルは「六甲(むこう)に在りて」。
山の名前の由来と、神戸の人間が常に「向こう」に眺める存在の大きさを込めたものだった。

記事を探し出し、読み返してみた。
連載第1回は1月5日の広域版(当時)。
第1部は「楽しむ」山としての六甲山の姿が5回にわたって綴られている。
そして1週間置いて、「暮らす」山としての話に焦点を当てた第2部をスタートした。
その初回の稿は、
 「時代や気候の変化に伴って、山の子供の遊びも変わってきた。
  30年ほど前は、山上の池に張る氷上でのスケートがいちばんの楽しみだったのが、
  いまはテレビゲーム。街の子と変わらない。塾通いで週に何度も山の上と下を往復する」
といった内容。僕が書いた記事だった。
掲載は17日。つまり、阪神・淡路大震災の日だ。
地震発生が午前5時46分だから、配達の早い地域には新聞が届いたと思うが、
広域版がフォローしていた神戸・阪神間は、ほぼまるごと激甚被災地となったので、
その記事は、いわば「まぼろし」となった。
そして、当然ながらその日以降、紙面は震災一色になる。
おぼろげな記憶をたぐれば、あの翌日は先述の有野の古老の話が載るはずだった。
たぶん、ゲラもチェック済みだったと思う。
だが、会社自体が被災してページ数も大幅に減った。新聞発行自体続けられるかどうか、という事態だった。
六甲山の連載はその回を最後に、消えた。

未完で終わった連載が気にならなかったわけではないけれど、
再開したり、仕切り直したりする機会は訪れなかった。正直、そんな余裕もなかった。
そのまま10年あまりが過ぎ、僕は会社を辞めた。
山は、いまも変わらず向こうにある。
頂上に辿り着くことがないまま、僕は下りてしまったのかもしれない。
麓の街に暮らし、新緑の稜線を見上げながら、時折思う。

●今日の灘ノオト:Ain’t No Mountain High Enough / Marvin Gaye & Tammi Terrell

  「どんな高い山も、深い谷も越えていく。君のためなら」と歌う黄金デュエットの代表曲。
  60’sモータウン・マジック炸裂の永遠のR&Bスタンダード。六甲の山越えを描きつつ。


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