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2008年5月28日(水曜日)

学校ノオト

カテゴリー: - MJ @ 22時00分00秒

このところ早起きが身について、朝の音に敏感になった。
慌ただしく道を駆けていく足音。路地の日課の井戸端会議。
犬の散歩途中に必ずお向かいの家に声を掛けていくおばさん。
隣の家が見ている朝ドラのテーマ、続いてAMラジオの帯番組。
おっちゃんが盛大にえずく声……は最近聞こえなくなったけど、どないしはったんやろか。
それから、小学校のブラスバンドの朝練。跳ねないマーチの「聖者の行進」。
音楽の時間か、30本以上のリコーダーが一斉に奏でるバッハのメヌエット。

小学校といえば、ある日の昼間、どうやら掃除の時間に通りかかり、
校庭に響き渡る曲に思わず足を止めた。
スタイリスティックスの「Can’t Give You Anything (But My Love)」。
なにをー?掃除のテーマが70年代スウィートディスコナンバーやて?
「愛がすべて」(邦題)やて? ヴァン・マッコイ制作やて?
…などといっても、俺はファルセット舞うスウィートソウルや
ディスコものは実はあまり得意ではないのだけれど、
広くブラックミュージック好きという立場から言わせてもらえば、
「おう!なかなかの英才教育やないか」である。
誰かディスコやブラコン好きの先生がいるんだろうか。
それで、選曲権を全面掌握できる立場にあって、
「本校の掃除のテーマは、先生がかつて踊り場(ディスコをツウはこう呼んだ)で
フィーバーした想い出のスタイリスティックスにします」なんつって、
児童にフィーバーの仕方を指導してたりしてもおかしくないよな、年代的に。
まあ、あの有名なサビに突入する前の、変に日本的な哀調を帯びたメロディが、
文部省唱歌風な感じがしなくもないし。

だいぶん前にメルマガnaddistで、
小学校の給食時間に流れていた「チコタン」という歌が話題になり、
神戸生まれでも育ちでも何でもない俺はまったく聴いたことがないにも関わらず、
その衝撃的な歌詞に、どうしようもないやるせなさを感じた。
ネイティブ灘クミンの方々の反応も、「大人になってからもずっと心に引っ掛かっていた」
というような内容が多かったように思う。
子供のころ、学校などで聞くともなしに聞いていた音楽って、
ひっそりとではあるが、意外に深く身体に入っていたりするもんだからね。
スタイリスティックスで掃除にいそしんだ子供たちは、どうなるんだろうか。
ソウルミュージックにちょっとは興味を持ってくれ…へんやろうなあ。
ファルセット聴いたら「あ、掃除せな」て思うぐらいやったりして。

●今日の灘ノオト:Can’t Give You Anything (But My Love) / the Stylistics

  20代以下のあなたには「キムタクが出てたギャッツビーのCMの曲」といえば分かるか。
  ポピュラー色強く、ソウルファンに敬遠されたりもするグループ。ええ曲あるんやけどね。


2008年5月21日(水曜日)

3つのパラダイス

カテゴリー: - MJ @ 21時10分00秒

きょうもまた山の話。
とりたててアウトドア派でも、山登りが趣味でもない俺が、
立て続けに山を話題にすることは、
灘の暮らしと山がいかに近しいかを表していると思う。
俺のような山シロウトをも惹きつける魅力的なコトが山の上にはあるのだ。
企画・出店者の方々の工夫と楽しい仕掛けで着実に広まり、
「灘ノオト」で書くのも3回目になる摩耶山リュックサックマーケットである。
先週土曜日、5月の陽光降り注ぐ掬星台は、俺にとって、さながらパラダイスであった。
目にするもの、口にするもの、肌で感じるもの、すべてが寛ぎを誘う。
山の空気が身体中にじんわり浸透していくような、ゆるやかな心地よさ。
 
パラダイスその1は、鍼治療。
長年抱え続けている腰痛がこのところ激化し、
1週間前にマッサージ、その前の週には整体に行ったばかりだというのに、
山上で出張開業している[さわさき針灸院]を目にすると、思わず歩み寄っていた。
「腰がタマラんので、ちょっと診てもらっていいですか」
「あ、どうぞ。そこに横になってください」
と示されたのは、ウッドデッキの上に敷いたバスタオル。野性的にして、リゾートな感じ。
腰の周辺を押さえられ、「あぅ…う、あぁ」と吐息交じりに声を漏らしていると、
「これはかなりヤバいことになってますね。鍼を打っといた方がいいかも」と。
あ、鍼ですか。いまここで? えと、お、お願いします…
鍼を打つのは何年かぶりとあって少し戸惑いつつも、結局、腰回りに8本。
いや、しかしこれが気持ちいい。山上の風に吹かれつつ、
痛みの源にズンと響くような鍼の効果を体に受け入れる。
実は、鍼治療中の写真をnaddist氏に撮っていただいたのだけど、
あとで見ると、われながら見苦しいにもホドがあるので自粛。
別の方の施術中の姿で、パラダイス感が伝われば。
 
その2は、キューバのカクテル、モヒート。
「あっちに出てるモヒート美味いよ」と教えてもらい、
「おう!パパ・ヘミングウェイの酒やね」と独りごち、少し軽くなった腰で駆けつける。
本日初出店だというナイスガイが「コレはサトウキビのラムで…」といいながら、
ミントの葉をすり、ライムを絞ったりして、カクテルを作ってくれた。
初体験だったが、いや、これが美味いのだ。爽やかに甘くって。
キューバといえば…といっても、特別なイメージは何も浮かばないけれど、
ライ・クーダーがプロデュースした『ブエナ・ヴィスタ・ソシアル・クラブ』という
素晴らしい音楽映画があったな、とか
あーそういえば、チェ・ゲバラの娘が近々神戸に来るんだった(※注)とか
乏しい知識を総動員しつつ、彼の国に思いを馳せる。
うーむ、キューバン・パラダイス。
 
その3。腹減ったので、あれやこれやつまみ食いしていたのだが、
「三色丼」のボール紙看板に吸い寄せられる。
「あの、これってどんなのですか」と訊くと、
おねえさんがクーラーボックスから取り出したのは、
ドトールとかのアイスコーヒーが入ってるようなカップ。
そこにギュッと詰め込まれたご飯。上には、
甘辛く味付けた豚肉、煎り玉子、それに野菜…で三色丼。
木のスプーンで食べる素敵な山ランチ。300円。
いや、これがウマいのなんの。
ワシワシとかき込み、あっという間に完食。臆面もなくお店へリターン。
2杯目を食っていると、「それ、どこで売ってました?」と尋ねられる。
場所を教えたものの、すぐに戻ってきた彼は、
「売り切れてましたよ、2杯も食べはるから」
あ、いや、すいません。ええ大人が加減も知らず…。
摩耶山のパラダイス&ランチにすっかり魅了されてしまったんです。

(※注)ゲバラ氏の娘、アレイダさんの講演はあす22日、なんと灘の[原田の森ギャラリー]で。
    英雄的革命家の娘が語る平和の講演、といった感じのようだ。

●今日の灘ノオト:Ditty Wah Ditty / Ry Cooder

  飽くなきルーツミュージック探求を続ける名人ギタリストの代表アルバム。ピアノの
  アール・ハインズとデュオで繰り広げるこの曲は、ノベルティタッチのブルース名演。


2008年5月14日(水曜日)

むこうにありて

カテゴリー: - MJ @ 21時00分00秒

「山笑う」は芽吹きのころの季語だそうだから、少し時季外れだけれど、
坂の向こうを見上げれば滴る緑、山がまぶしく笑うような灘の5月である。
ちょうど1年ほど前に編まれた『水道筋周辺地域のむかし』という冊子を拾い読みしていると、
六甲山の呼び名についての記述があった。
倭国の時代、政権の中心地があった淀川左岸、つまり河内のクニから見れば、
川向こうに当たるこちら側は、「向こうのクニ=むこのクニ」と呼ばれていたらしい。
その中でひときわ高く、海に面してそびえる山並みは「むこの山」と呼ばれていたと考えられる。
「むこ(う)」は、やがて「六甲」「六高」といった漢字が当てられ、
さらに時代を下ると、地名の音読み化の流れに伴って「ろっこう」の呼称が定着したのではないか、と。
灘クミン的には、まあ初級レベル(いや中級かな?どうなんでしょう、naddistさん)の知識だけれど、
ここで僕は思い出した。
新聞社に勤める記者だった13年前、未完のまま終わった連載のことを。
 
その年、1995年は、六甲山の開山100周年に当たっていた。
開山とは、旧居留地の英国人貿易商A・H・グルームが山荘を建てた1895(明治28)年、
つまり、レジャーやリゾートの山として拓かれ始めた年を指す。
で、神戸市内を担当する3年生のペーペー記者だった僕を含む数人の「取材班」が、
正月から開山100年の連載をやることになった。
前年の秋から冬にかけては、六甲山とその周辺を訪ね回っていた記憶がある。
日本初のゴルフ場「神戸ゴルフ倶楽部」に少年キャディーとして入り、
取材当時でキャリア75年(!)を数えた管理人氏、
「山の子」として生まれ育ち、やはり山上で4人の子供を育てておられた商店主、
かつて「氷道」と呼ばれた運搬路を使い、山の向こうから氷を運んだ有野(北区)の古老……。
先輩や同僚たちは、
六甲山レジャー開発を先導した阪神電鉄の役員や六甲登山1万5000回を誇る毎日登山のベテラン氏、
また、山の歴史を知る貴重な史料である旧居留地の英文誌『INAKA』の寄贈を
神戸市に橋渡しした女性らに話を聞いていた。
六甲山をめぐるさまざまな人たちに会い、神戸という街の背骨を作った山の100年史を探ろうとした。
連載のタイトルは「六甲(むこう)に在りて」。
山の名前の由来と、神戸の人間が常に「向こう」に眺める存在の大きさを込めたものだった。

記事を探し出し、読み返してみた。
連載第1回は1月5日の広域版(当時)。
第1部は「楽しむ」山としての六甲山の姿が5回にわたって綴られている。
そして1週間置いて、「暮らす」山としての話に焦点を当てた第2部をスタートした。
その初回の稿は、
 「時代や気候の変化に伴って、山の子供の遊びも変わってきた。
  30年ほど前は、山上の池に張る氷上でのスケートがいちばんの楽しみだったのが、
  いまはテレビゲーム。街の子と変わらない。塾通いで週に何度も山の上と下を往復する」
といった内容。僕が書いた記事だった。
掲載は17日。つまり、阪神・淡路大震災の日だ。
地震発生が午前5時46分だから、配達の早い地域には新聞が届いたと思うが、
広域版がフォローしていた神戸・阪神間は、ほぼまるごと激甚被災地となったので、
その記事は、いわば「まぼろし」となった。
そして、当然ながらその日以降、紙面は震災一色になる。
おぼろげな記憶をたぐれば、あの翌日は先述の有野の古老の話が載るはずだった。
たぶん、ゲラもチェック済みだったと思う。
だが、会社自体が被災してページ数も大幅に減った。新聞発行自体続けられるかどうか、という事態だった。
六甲山の連載はその回を最後に、消えた。

未完で終わった連載が気にならなかったわけではないけれど、
再開したり、仕切り直したりする機会は訪れなかった。正直、そんな余裕もなかった。
そのまま10年あまりが過ぎ、僕は会社を辞めた。
山は、いまも変わらず向こうにある。
頂上に辿り着くことがないまま、僕は下りてしまったのかもしれない。
麓の街に暮らし、新緑の稜線を見上げながら、時折思う。

●今日の灘ノオト:Ain’t No Mountain High Enough / Marvin Gaye & Tammi Terrell

  「どんな高い山も、深い谷も越えていく。君のためなら」と歌う黄金デュエットの代表曲。
  60’sモータウン・マジック炸裂の永遠のR&Bスタンダード。六甲の山越えを描きつつ。


2008年5月8日(木曜日)

頂上会談・後編

カテゴリー: - MJ @ 13時15分00秒

私は言葉を継いだ。
「あの、尼崎の『南部再生』で取材させていただいた…」
と、彼は「ああ!そうだ」と満面の笑みで立ち上がり、右手を差し出してきた。
ごく自然でジェントルな所作は、大人のミュージシャンのものだ。
河田健氏。
結成50周年を誇る関西ビッグバンドの大看板「北野タダオ&アロージャズオーケストラ」の
リードアルト奏者。自己のグループでも精力的にライヴやレコーディングをされ、
友人である桂南光師匠とのトーク&ライヴなど企画モノも多くこなされている。
2年ほど前、私が編集に関わっている尼崎のフリーペーパー『南部再生』で
ちょい尼オヤジ」の一人として紹介させていただいたことがある。
河田氏は生まれも育ちも、現在に至るまでアマの人。
阪神尼崎あたりにナイトクラブやダンスホールが並び、いま以上に活気が(おそらくヤバいことも)あった時代、
そして、日本でもジャズがリアルな“生きた”音楽であった時代を知る「尼のパーカー」だ。
若い頃のハコバン仕事でこなしたキャバレーやストリップショーののBGMから
アロージャズオーケストラで務めた美空ひばりや山口百恵のバックまで、
無数の音を紡いできた彼がいまも変わらず敬愛するのが、
「モダンジャズの父」といわれる破天荒な天才チャーリー・パーカーなのである。
パーカーの代表曲「Confirmation」の河田流解釈も収めたNY録音アルバム
『Portrait of Manhattan』は、取材後しばらく私の愛聴盤となった。

「実は年内にまたNYに録音に行くことになりましてね、
そのCDジャケットを成田さんにお願いすることになって」
へえ、サードアルバムですね。しかも、成田さんがジャケを。ええ組み合わせですねえ。
成田氏のCDジャケ仕事は一度ここで紹介したが、
洋酒メーカーの広告で往年の名歌手のポートレイトを手掛けておられたこともある。
『神戸の残り香』に収録されている三宮のジャズ喫茶[JAVA]の切り絵には、
私もここでネタにしたスタンダード「パリの四月」を織り込んだ成田節エッセイが添えてあった。
そういえば、私が成田氏と知り合ったのも元町のソウルバーだ。
音楽への衝動は、実は、成田作品の重要なバックボーンなのかもしれない。
 
聞けば、二人に共通の知人の紹介で、この日の初対面となったらしい。
私はたまたまその場に居合わせたに過ぎないが、
自分の周りのいろんなヒトやコトがつながっていくのは嬉しい。
どうしてか、無性に高揚感を覚える。
人生は無意味ではない、人は孤独なばかりではない、と思えるからだろうか。
私は、個人的な慶事を山上で祝うために持参したワンカップ酒を持って外へ出た。
霧がまた少し濃くなり始めていた。
灰色のトーンを被せたような灘の街を見下ろして、私は冷えたワンカップを勢いよく傾けた。

●今日の灘ノオト:Confirmation / Charlie Parker

  学生時代、やはりアルトサックスを吹いていた友人に「ビ・バップって何や?」と訊いたら
  「この曲だ」と教えられたほどバップ的フレーズ満載、モダンジャズの代名詞的ナンバー。


2008年5月7日(水曜日)

頂上会談・前編

カテゴリー: - MJ @ 10時00分00秒

東京ではきょう、福田康夫首相と胡錦濤・中国国家主席による10年ぶりの日中首脳会談が行われるが、
私は一昨日、灘区内で開かれたもう一つの「頂上会談」に立ち会った。
意図して出掛けたわけではない。たまたま居合わせた、というのが正しい。
社会党委員長であった浅沼稲次郎刺殺の瞬間をとらえた毎日新聞写真部の記者、
飢餓のスーダンで、やせ衰えた少女をハゲワシが狙う衝撃的な場面を配信したカメラマンら、
歴史的スクープをモノにしたジャーナリストたちがそうであったように、
めぐり合わせが私のところへ来た、というだけなのかもしれない。

5月5日、こどもの日。
私は、六甲山の[六甲ヒルトップギャラリー]で開かれている
切り絵作家・成田一徹氏の個展を訪ねるため、六甲ケーブルに乗った。
好天続きだった大型連休にあって、この日だけはすっきりしない小雨模様だった。
山上駅に近づくにつれ、濃い霧がみるみる景色を覆い、
強風のためロープウェーは運休だというアナウンスが流れた。
だが、最近わが人生最大の慶事に恵まれた私は、
ほぼ1年ぶりにお会いする成田氏にそのことを報告しようと胸躍らせていた。
まるで、スピリチュアル(黒人霊歌)のタイトルであり、
アメリカの黒人作家ジェームズ・ボールドウィンの処女作である
『山にのぼりて告げよ(Go Tell It on the Mountain)』そのものだ、などと考えながら。

個展は、成田氏の原点であり、ライフワークである“神戸モノ”だけを集めた企画だ。
濃霧と冷たい強風で視界がどんどん狭まっていく屋外と対照的に、
ギャラリー内は温かな賑わいに満ちていた。
いつもと変わらぬ穏やかな笑みで迎えてくれた成田氏と、しばし近況など報告し合う。
うれしいことに、「灘文化堂」でも一度紹介した『神戸の残り香』の続編を構想中だという。
私も、私の朗報を報告した後、霧が少し晴れるのを待って、いったん外へ出た。
今回の個展のために成田氏が制作した六甲ケーブル山上駅の切り絵の、
駅舎の昭和モダニズムをそのまま写し取ったような作風に惹かれ、
同じ構図を写真に収めようと思ったのだ。
   
15分ほどカメラを構えていただろうか。
ギャラリーへ戻ると、成田氏は奥のテーブルで、一人の男性と向かい合っていた。
二人の間に、たくさんの写真が広げられている。男性が持参したものらしい。
数枚を指さしながら、何ごとか熱心に説明する男性。相槌を打ちつつ、こちらも熱心に聞き入る成田氏。
作品制作依頼だろうか。さりげなくテーブルの横に回り込み、遠慮がちに、しかし無遠慮な視線を落とす。
どれも演奏中のサックスプレーヤーのカットだ。口ひげをたくわえた柔和な表情。楽器はアルト。
見覚えがある……。私は脳裡を探った。ふと、男性の横顔に視線を移す。
写真とは異なるカジュアルないでたちだが、どうやら同じ人物らしい。
とすると、ミュージシャンか。ジャズマン……?
成田氏の手が数枚の写真を取り上げた、その下からのぞいたCDジャケットに、私はハッと思い当たった。
あ、もしかして……でも、なぜ彼が、ここで成田さんと……?
迷いながら、その横顔に恐る恐る声を掛ける。
「あの…すいません、河田さんですか?」
「はい、そうですが」言いながら振り向いた彼は、私が誰だったか思い出そうとしているようだった。
だが、私は一足先に確信を持った。やはり。
河田健氏だった。
(この項続く)

●今日の灘ノオト:ABC-123 / Levert

  「山の上からこの喜びを叫びたいぜ」というブリッジは、おそらく上記のスピリチュアル曲から。
  安っぽいヒップホッパー崩れみたいなジャケだが、R&Bの伝統を汲む正統派バラードの名曲。


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