ロックな1週間だった。
金曜日は、灘在住の気鋭のロック社会学者M氏およびその一派と邂逅。鳥徹〜モンクコースで大いに語る。
「ロックかロックじゃないか」というモノサシは正直、自分には縁遠いものになり、
昔聴いていたレコードをターンテーブルに載せる(という作業がまず面倒だ)こともほぼなくなってしまったけれど、
しかし、それはロックが嫌いになったということでは全然なく、単に別のモノサシを持つようになったという話だ。
俺にとってすべての始まりであるビートルズや、ブルース/R&Bへの道を拓いてくれたローリング・ストーンズや
高校時代の人生の指針であったRCサクセションあたりは、その別のモノサシを当ててもいまだ想いは尽きず、
しゃべれと言われれば一晩中でもしゃべる自信がある。それを自分のなかで再確認した夜でもあった。
週明けには、何かと世話になっている先輩が刊行した本を書店で手に取る。
「マングローブ──テロリストに乗っ取られたJR東日本の真実」(西岡研介)
闘うジャーナリストとして勇名を馳せる人だが、この人、灘の生まれ育ちである。
GWに韋駄天〜チンタで呑んだが、久々の帰灘だったらしく、昔の街並みを思い出して、えらく感じ入っていた。
その時に「週刊現代でやった連載を、いま本にまとめとるんや」と言ってたのが上梓されたのだ。
巨大組織とそこに巣食う「妖怪」に挑んだ、執念の闘いの記録。この精神もまたロックだ。
そして昨晩は、仕事帰りに阪神大石駅で降り、前から気になっていた酒場にふらりと。
「7th note」という店名から音店だろうと当たりを付けてのことだが、はたして、ロックバーであった。
壁にギターが2本。カウンターの隅に飾ってあるマディ・ウォーターズのライヴ盤がうれしい。
圧倒的存在感を放つシカゴブルースのボス。ストーンズの名前はマディの曲「Rollin’ Stone」からであり、
俺が初めて買ったブルースのレコードもマディだった。
と、店内のPC画面のなかでライヴが始まった。おおっ!ストーンズ。
ロックな1週間を締めくくるのにふさわしい偶然にテンションが上がる。
数年前のツアーの映像らしい。ミックは相変わらず絞り上げられた肉体でダサかっこよく歌い踊り、豹柄コート姿のキースはもはや、ロックンロールのイメージをそのままキャラクター化したぜんまい人形のようだ。
「Satisfaction」「Let’s Spend the Night Together」「Gimme Shelter」
「Sympathy for the Devil」「It’s Only Rock’n Roll」「Miss You」……
いや、カッコいい。何千回と繰り返されてきたスタンダードの数々は、手垢の汚れが積もり積もって逆に黒光りしている。
60歳過ぎてるんやろ、この人たち。高校生のとき「自分の親父がミックやキースやったらハズかしいやろなあ」と笑っていたものだが、ここまで来ると逆に誇りに思うよ、オヤジのこと。
同年輩のマスターといろいろ灘話をしていたら、水道筋ミュージックシーンの熱気は大石にも伝わっていることが判明。これまたうれしい。
俺が60歳になったら、な也で椅子に座って、好きだったロックンロールを枯れ果てた音でやりたいなあ。
●今日の灘ノオト:Tumbling Dice / the Rolling Stones
昨晩のライヴ映像で最もグッときた曲。このルーズな横揺れビート感こそ、
ストーンズがストーンズたる所以。昨今の直情お子様ロックには無理やろ。