六甲道の駅で電車を待っていたら、知った顔を見つけた。
知り合い、というほどでもないが、10数年前に一度お世話になった。
思い切って声を掛けてみる。
「あの…澤村さんですか」
振り向いた顔がニカっと笑う。
「そうです」。また笑顔。古い記憶が蘇る。
「あの、10数年前にお会いさせてもらった者で…」
そう、神戸に来てまだ1、2年のころ、僕は彼にお話をうかがったことがある。
灘の、いや、神戸の有名人だから、その名を知る人は多いと思う。
澤村重春さん。春待ちファミリーBANDのリーダーである。
あのころはまだ六甲道の本通商店街に「春待ち疲れBAND」というライヴ喫茶があった。
澤村さんはそこのマスターで、お店の常連客とジャグ・バンドをやっていた。
ジャグとは空き瓶のこと。ほかにもウォッシュボード(洗濯板)やウォッシュタブ(洗濯桶)ベース、のこぎりに櫛…
日用品を楽器に、ギターやマンドリン、バンジョー、アコーディオン、クラリネットなどを交えて
底抜けに明るい歌を聴かせてくれた。
もともとは1920〜40年代、アメリカ南部の黒人たちがやっていたスタイル。それを再現するバンドは
今じゃそう珍しくないかもしれないが、僕には春待ちが最初の生ジャグ・バンド体験だった。
メンバーは当時からそこそこのおっさんだったと思うが、常に笑みを絶やない突き抜けたパフォーマンスは
カラッと乾いていて、理屈じゃない楽しさがあった。
澤村さんはどこまでも陽気に歌い、踊り、客を笑わせる素晴らしいエンターテイナーだった。
おもちゃ箱をひっくり返したようなその楽しさをなんとか文字に写し取ろうと、当時も四苦八苦した記憶があるけど
やっぱり難しいな…。こんな映像(神戸編)があったので、見てもらえば少しは伝わるかも。
震災でお店は全壊、澤村さんはバンド活動とは別に、ギターや諸々の楽器を抱えて
保育所や学校やさまざな地域イベントを回り始めた─と、そこまでは新聞などでときどき目にしていた。
10数年ぶりに偶然行き交った駅でいただいた名刺には、「うたあそび おとあそび さわむらしげはる」とあった。
ずっとその活動を続けておられるのだ。うれしくなった。
「いまはこの活動がメイン。バンドで動くのは月に1、2回かな」とのこと。
水道筋ミュージックストリートに出ていただけないか頼んでみた。11月は毎年決まった仕事があるそうで、
日程を調べないと分からないということだったが、イベントそのものには興味を示してくださった。
澤村さんが出てくれたら楽しいやろうなあ。なんといっても灘が誇るエンターテイナー。
水道筋や畑原市場で澤村さんが繰り広げるパフォーマンスを思い描きながら
僕は春を待とう。
●今日の灘ノオト:Hello,Dolly! / Louis Armstrong
春待ちファミリーBANDの1stは愛聴盤だったが、残念ながら今は品切れらしい。
収録されていた小粋な替え歌カバー「ハロー通り」のオリジナルがこの大ヒット曲。