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2007年1月31日(水曜日)

春を待つ男

カテゴリー: - MJ @ 10時00分00秒

六甲道の駅で電車を待っていたら、知った顔を見つけた。
知り合い、というほどでもないが、10数年前に一度お世話になった。
思い切って声を掛けてみる。
「あの…澤村さんですか」
振り向いた顔がニカっと笑う。
「そうです」。また笑顔。古い記憶が蘇る。
「あの、10数年前にお会いさせてもらった者で…」

そう、神戸に来てまだ1、2年のころ、僕は彼にお話をうかがったことがある。
灘の、いや、神戸の有名人だから、その名を知る人は多いと思う。
澤村重春さん。春待ちファミリーBANDのリーダーである。
あのころはまだ六甲道の本通商店街に「春待ち疲れBAND」というライヴ喫茶があった。
澤村さんはそこのマスターで、お店の常連客とジャグ・バンドをやっていた。
ジャグとは空き瓶のこと。ほかにもウォッシュボード(洗濯板)やウォッシュタブ(洗濯桶)ベース、のこぎりに櫛…
日用品を楽器に、ギターやマンドリン、バンジョー、アコーディオン、クラリネットなどを交えて
底抜けに明るい歌を聴かせてくれた。
もともとは1920〜40年代、アメリカ南部の黒人たちがやっていたスタイル。それを再現するバンドは
今じゃそう珍しくないかもしれないが、僕には春待ちが最初の生ジャグ・バンド体験だった。
メンバーは当時からそこそこのおっさんだったと思うが、常に笑みを絶やない突き抜けたパフォーマンスは
カラッと乾いていて、理屈じゃない楽しさがあった。
澤村さんはどこまでも陽気に歌い、踊り、客を笑わせる素晴らしいエンターテイナーだった。
おもちゃ箱をひっくり返したようなその楽しさをなんとか文字に写し取ろうと、当時も四苦八苦した記憶があるけど
やっぱり難しいな…。こんな映像(神戸編)があったので、見てもらえば少しは伝わるかも。
 
震災でお店は全壊、澤村さんはバンド活動とは別に、ギターや諸々の楽器を抱えて
保育所や学校やさまざな地域イベントを回り始めた─と、そこまでは新聞などでときどき目にしていた。
10数年ぶりに偶然行き交った駅でいただいた名刺には、「うたあそび おとあそび さわむらしげはる」とあった。
ずっとその活動を続けておられるのだ。うれしくなった。
「いまはこの活動がメイン。バンドで動くのは月に1、2回かな」とのこと。
水道筋ミュージックストリートに出ていただけないか頼んでみた。11月は毎年決まった仕事があるそうで、
日程を調べないと分からないということだったが、イベントそのものには興味を示してくださった。
澤村さんが出てくれたら楽しいやろうなあ。なんといっても灘が誇るエンターテイナー。
水道筋や畑原市場で澤村さんが繰り広げるパフォーマンスを思い描きながら
僕は春を待とう。

●今日の灘ノオト:Hello,Dolly! / Louis Armstrong

  春待ちファミリーBANDの1stは愛聴盤だったが、残念ながら今は品切れらしい。
  収録されていた小粋な替え歌カバー「ハロー通り」のオリジナルがこの大ヒット曲。


2007年1月24日(水曜日)

弦と刀、或いは杉玉の誘惑

カテゴリー: - MJ @ 08時36分43秒

杉玉が俺を誘う。
軒先に吊られてまだ2年あまりなのに、もうずっと前からそこにあったような顔で。
JR六甲道駅北の高架沿い。界隈の立ち飲み激戦に火をつけた格好の「刀屋」である。
日本酒を中心に、焼酎も泡盛も灘区内屈指の品揃えを誇る本格酒場だが、
得意げに講釈やうんちくを垂れるような店ではない。
大将はあくまで寡黙に、実直に酒を注ぐ。問われたことには答え、短い会話で客の好みを的確に把握する。
職人なのだ。屋号どおり切れ味のよい。だから俺の酒はたいてい大将まかせ。それで充分心地よく酔える。
音楽も、である。
この店、本格立ち飲みの風情にして、「ギター酒場」の顔も持つ。
BGMはほぼすべてギターをフィーチュアしたサウンド。ジャズもブルースもロックも。
 
あるときは、マヌーシュ・スウィングを確立した伝説の男ジャンゴ・ラインハルト。
あるときは、円熟の域に入ったキレ芸ブルースマン、バディ・ガイ。
あるときは、盲目の超絶技巧ギタリストにしてソウルシンガーのラウル・ミドン。
あるときは、日本のロックギタリスト史に燦然と輝くチャー。
6本の弦が縦横無尽に奏でる響きをアテに飲む。
「いまのフレーズがタマらん」といっては飲み、「このオブリガードがサイコー」といってまた飲む。
いや。口に出すわけじゃない。心で感じる。
酒も音も、ほんとうは言葉などいらない。言葉を費やしても、どうせ語れることはしれている。
「旨いな」「ええな」。それだけでいい。

ギターを愛でる心と銘酒を愛でる心は通じている気がする。名刀をそこに加えてもいい。
屋号のほんとうの由来は、80年代に愛されたスズキのバイク「カタナ」からだそうだが、
そこにも共通するものがたしかにある。
名はなくとも誇り高き職人へのリスペクト。
「オレがオレが」のカリスマ・ギタリストがいたとしても、鮮やかな円月殺法の使い手がいたとしても、
それを支えるのは常に職人の仕事である。
職人は声高に語らない。職人は淡々と自分の仕事をこなす。職人は結果だけで勝負する。
その心地よさを味わいたくて、またふらりと杉玉に誘われてみる。

●今日の灘ノオト: Brother,Brother / David T. Walker

  参加アルバムは数千枚とも。「職人」を究めて唯一無二の存在となった美しき例が
  この人。先月復刻された70年代の傑作からキャロル・キングのインスト・カバーを。


2007年1月21日(日曜日)

オキナワ・ラプソディ

カテゴリー: - MJ @ 23時55分17秒

唄と酒と笑いの夜だった。
島の空気をひととき灘に運んできた「ユニット久茂地1.17」。
「水道筋あしび」のタイトルどおり、みんなが長嶺暁氏、普天間夏子さんと
一緒に歌い、手を打ち、鳴り物を鳴らした。
配られた歌詞カードを手に、声を揃えるさまは民謡酒場というより歌声喫茶状態。
おもろまち恵憲氏をはじめ地元の唄自慢・三線自慢の登場もあった。遠く名古屋からの客演もあった。
ちびっ子の歌う震災の歌「しあわせ運べるように」には、心洗われる気がした。
そう、ただ単に沖縄好きというだけでなく、震災がもうひとつのキーワードなのだった。
30人以上でぎっしりの会場は、まさに「避難所ライヴ」的親密さ。入りきれない人が外でストーブを囲んだ。
  
「満月の夕」「つる」など震災の歌。
「月ぬ美しゃ」「安里屋ユンタ」といった大スタンダード民謡。
「イラヨイ月夜浜」「涙そうそう」のような新しい沖縄のうた。
「通い船」はこのイベントをプロデュースした沖縄おでんの店のテーマ曲だ。
沖縄と灘がたくさんの唄でつながった。
もう少し酔いたかった人たちは終了後、チンタ〜汽笛亭の畑原市場めぐりへ。
冷めやらぬ沖縄+灘談義は夜更けまで続いた。お客さん、演者のみなさん、お疲れさまでした。

それから会場となったCafe P/S。
一夜明けたきょうを最後にしばらくお休みする。春にはリニューアルしてオープンしたい、という。
水道筋ミュージックストリートを一緒にやった寺川大地くんはいったん卒業。ご苦労さまでした。

●今日の灘ノオト:月ぬ美しゃ / 首里フジコ

  昨晩の曲目、長嶺氏のコンセプトは「月」だった。八重山民謡のこの唄も。
  ウチナー・ボサノヴァシンガーのしっとりとした演奏が僕は最近お気に入り。

 LUA E SOL
Music / 発売: 2004/03/06 / 定価: ¥2300
Daisy Edgeレーベル
  ※Amazonでの取り扱いはないようなので、
   オフィシャルサイトにリンクしています。


2007年1月17日(水曜日)

街のラジオ

カテゴリー: - MJ @ 10時16分04秒

きょうは、ずばり灘の話ではない。
こんな日だから震災と灘と音楽の三題噺を、と思ったけれど難しかった。
ただ、震災と街と音楽をめぐる話ではある。

あの地震があってから1年あまりの間に僕は被災した外国人とたくさん会った。
古くからの在日コリアンや華僑のコミュニティ、ベトナムを逃れ神戸に根を下ろし始めた人たち、
ペルーやブラジルから工場へ働きに来た日系人、教会に集まるフィリピンの人たち。
灘だと、神大の留学生や日本語を学ぶ就学生もいたし、阪急六甲近くの神戸ドイツ学院に一時避難していた
ドイツ総領事館にもたまに出入りした。
だが、彼らの多くは長田や北野界隈や東灘の浜手あたりに住んでいて、家を訪ねるのも屋台で一緒に飲むのも
その辺がほとんどだった。とくに長田。用がなくても連日歩き回った。

震災からほどなく、その長田で2つのラジオ放送が始まった。
ひとつは、新長田駅に近い韓国学園の教室から朝鮮語の生活情報や韓国の歌謡曲を流した「FMヨボセヨ」。
もうひとつは、カトリック鷹取教会からベトナム語やタガログ語、スペイン語など5言語で放送した「FMユーメン」。
どこの風呂がやっているとか救援物資はどこでもらえるとか被災証明や義援金の受け方とか、
そういう生活情報がまだまだ必要な時期だった。
そして音楽。
故郷で慣れ親しんだ旋律や母国語で歌われる情景を、彼らがどれだけ求めているかを知った。
正直、当時は音楽など聴く気もしなかった僕は、あらためて音楽の力というものに気付かされることになった。
狭い雑然とした部屋から細々と飛ばされるミニFMの電波は、まさに命綱=ライフラインなのだった。
震災から半年が経ち、2つのミニ放送は一緒になった。
「FMわぃわぃ」の誕生だ。
ちょうど震災1年の1月17日にコミュニティ局として正式に認可。免許を受けたその場で代表者は語った。
「道路や公園を造るだけがまちづくりじゃない。異なる個性を持つ人どうしが出会い、共に生きる、
そんなまちづくりの一つとして放送を続けたい」

あれから長い時が経った。
僕がご無沙汰している間にも、わぃわぃは着実に長田の街に浸透していった。
放送言語は10を超えた。暮らしの情報や音楽の時間のほかに、長田の街を
テーマにしたトーク番組などもできた。
12回目の「1・17」の前日、思い立って訪ねてみた。
局のあった鷹取教会が建て替え中のため、いまは新長田から南へ下った
再開発ビルからの放送だ。ガラス張りのスタジオの中に懐かしい顔があった。
トークの合間、音楽が流れ始めると扉を開けた。
あいさつを交わし、短く近況を報告した。
「今度ゆっくり飲みに行きましょう」
そう言ってスタジオを出る間際、ふとその場にいた出演者の人たちに聞いてみた。
「灘の人っていはります?」
パーソナリティらしき女性が言った。
「私、阪急六甲の近くですけど…何か」
「いえ、なんでもないんです。僕も灘なんで…」
よかった。どうにか灘の話が出てきた。

●今日の灘(ナガタ)ノオト:Whenever Wherever Whatever / Maxwell

  発足時から「多文化共生」を掲げるFMわぃわぃ。プエルトリカンの血をひく黒人R&Bシンガーで
  ロックの曲も積極的にカバーする「1人多文化共生」な男のあまりに美しいアコースティック曲を。


2007年1月10日(水曜日)

冬の音景色

カテゴリー: - MJ @ 10時39分46秒

雪が舞った日曜の午後。
下のバス道を歩いていると、背中の方から近づいてくる音色。
♪ドレミ〜レド、ドレミレドレ〜
チャルメラだ。もちろん、くたびれたテープだけれど。
黄色い幌の軽トラがゆっくり流している。
うっ、食いたい。きっと昔ながらの中華そばタイプ。透き通った醤油スープ。
いや用事が…ああ、でも…
日清食品の安藤百福も年始早々亡くなった。偉大な発明家を悼んで一杯ズルズルっと。
が、人を待たせている…いや、でも数分で済むか。あー…
後ろ髪引かれ、しばし立ち尽くす。
と、中学生ぐらいの女の子が2人、「おっちゃーん」と声を上げて駆けてくる。
「寒いー」「おっちゃん毎日来てるん?」「どこから?え、兵庫?」「うちの友達も兵庫に…」
元気がよいので話し声が全部耳に入る。このラーメン屋さん、湊川から来たらしい。
うれしそうにどんぶりを両手で捧げ、小走りで去って行く2人。
なかなか微笑ましい光景。いいぞ、摩耶っ子。
 
平日の午前中、家で仕事をしていると、聞こえてくるのは「雪やこんこ、あられやこんこ」
灯油売りのトラックである。
うちの周辺を担当しているのは、夜の水道筋ではおなじみの某氏。ナダタマ読者ならご存知の方も多いはず。
灯油は使わないのだが、ご機嫌うかがいに外へ出てみる。
「あっ、どーもどーも。家にいはったんですか」
冷気の中も薄着で、かすかに顔を上気させて。
このあたりは高齢者が多いので、ポリタンクを運び込むのも結構大変、と前に聞いていた。
明るい日差しの下で働く彼は、いつもより若々しくいきいきして見える。

水道筋へ下りれば、アーケードに響く流麗な筝曲。
コンビニや年中無休のスーパーのせいで「松の内」なんて死語になりつつあるが、
ここにはまだ正月のしっぽが残っている。
甘酒。寒ブリ。七草粥。八百屋の店先にはもう菜の花。
行き交う買い物のおばちゃんやパチンコのおっちゃんたちも、どことなくのんびり見えて。
温かい風景に思いを馳せる冬の音景色である。

●今日の灘ノオト:おもて寒いよね(Baby,It’s Cold Outside) / 吾妻光良&the Swinging Boppers

  日本一のジャンプブルースマン吾妻さん。「中国行きのスローボート」と同じ作者の歌を
  デュエットで日本語カバー。帰ろうとする女を必死で引き止める男。漫才のような掛け合い。

  


2007年1月7日(日曜日)

水道筋あしび

カテゴリー: - MJ @ 23時55分27秒

先日いきさつを紹介した「ユニット久茂地1.17」の来灘企画ですが、
火曜サロンで大人気の沖縄おでんの店「通い船」の強力サポートを得てまとまりました。
さすがです。ナダ─ナハ・ホットライン、話が早いことといったら。

島話と沖縄おでん、それに唄。
ライヴというよりあしび、あしびというよりゆんたく。
那覇から灘へ、長嶺暁さんと普天間夏子さんがぶらりとご機嫌伺いに来る感じでしょうか。
「ついでに楽器持ってきたよ」みたいな。

1月20日(土)、水道筋1丁目のCafe P/Sで17時半オープン。
音を出すのは19時ごろからぼちぼち、という感じになるかと。
チャージとかはいりませんが、楽しんだ分だけちょびっとカンパをいただければ幸いです。
好きモノの方は三線とか持参されるもよし。
もちろん、おでんや泡盛は通常の通い船スタイルでお楽しみいただけます。
詳細はイベント情報にアップされていますのでご参照を。


2007年1月3日(水曜日)

島唄だより

カテゴリー: - MJ @ 10時28分30秒

沖縄で年を越した。一世一代の贅沢であった。
といっても、尋常ならざるオキナワフリーク、最近出た本にならえば「沖縄通い婚」派が多い灘のこと、
ここでわざわざ滞在記を書いても釈迦に説法。旅話は酒場でおいおいやるとして…。

そう、沖縄病患者が灘にはなぜだかやたらに多い。
元赤坂クミンの長嶺暁氏(芸名ね)もその一人。さんざん島に通い詰めたあげく、那覇に移り住んだ。
元同業者で、ともに会社を辞めたクチなのだが、三線や笛の使い手であり唄者である。
元日、恩納村の居酒屋で飲んでいたら長嶺氏が言った。
「震災の日あたりに灘で何かでけへんかな」
長嶺氏は毎年1・17の前後、三宮で「避難所ライブ」をやっていた。
酒や料理がバケツリレー状態で運ばれるような小さい店で、まさに避難所状態。
今年もやるかどうか分からないが、とにかく神戸には来る。だったら灘でも、という話である。
「いいですねえ」。すぐ乗った。
「干支も一回りしたことやし、亥年の新たな出発ということで」って、飲んだ勢いでムリヤリな理由など付けながら。
民謡、というか広い意味の島唄モノのライヴを水道筋で仕込みたいというのは前々から思っていたのだ。
水道筋ミュージックストリートでも結構本気で出演者を探したりした。
 
「萬座」のボトルがほぼ空になるころ、話はまとまった。
長嶺氏の来灘は1月20日(土)。演奏開始は夕方以降。
「今回は胡弓を持って行くわ」と長嶺氏。
「三線はだれかに借りられへんかな。弾いてくれてもいいけど」って、テーゲーなお人。
相方の普天間夏子さんが笛をやる。名付けて「ユニット久茂地」。
コテコテの島唄だけじゃなくても、震災に絡めた歌もいいし、労働歌や昔の流行歌もいいし…とか話すうち、
ソウルフラワーモノノケサミットはええねえ、「満月の夕」はたまりませんねえ、グッときますわなあと盛り上がり…。
ただ、急な話、場所はこれからである。
別にマイクやアンプがいるわけじゃなし、飲んでた客が急に歌い出したというノリで十分ということだけれど。
ストリートでやるのも悪くないと思うが、夜は寒いし、音は響くだろうし。
大急ぎで話をまとめて、また告知します。

●今日の灘ノオト:なりたい節 / 登川誠仁

  首里フジコ、南国ドロップスと音漁りの成果も多かった今回の沖縄行。が、ここはやはり重鎮、
  琉球一のブルースマン誠ぐわーで。女に惚れ抜く歌詞が粋なこの曲はソウルフラワーも参加。


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