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2006年12月27日(水曜日)

Miss You〜往く灘

カテゴリー: - MJ @ 08時00分00秒

聖夜。山の向こう、北区は「八間蔵」でのクリスマスライヴ直前にその知らせは届いた。
ジェームス・ブラウン死去。
ぬおぉ。ゴッドファーザー・オブ・ソウル。ファンクの帝王。世界一の暴君。73歳だった(諸説あり)。
おハコのマントショーのように、マント掛けたったら生き返るんちゃうか…という軽口も虚しく。
振り返ってみれば、今年はソウル/R&B好きにとっては痛すぎる訃報続きであった。
ルー・ロウルズ。ミスターいぶし銀はサム・クック大先生の遺志を伝える盟友だった。
ウィルソン・ピケット。鋼の喉を持つ圧巻シャウターは、最後までマッチョなチンピラ風情を保った。
ビリー・プレストン。最もエキサイティングなファンキーオルガン奏者にして、ゴスペル・ソウルの体現者。
ルース・ブラウン。ダイナ・ワシントンの流れを汲むアクの強いブルースウーマンは愛称「ミス・リズム」。
ジェラルド・リヴァート。偉大な父親に勝るとも劣らぬ歌バカは、優れたプロデューサーでもあった。まだ40歳。
ソウルミュージックの輝かしい時代を築いた巨星たちが次々と堕ちてゆく。櫛の歯が抜け落ちるように。
「JB逝く」の報は今年最後の強烈すぎる一撃であった。
聖夜には似つかわしくないと知りつつ、ステージに少しだけ追悼の意を込めた。

翻って、灘の2006年はどうだったか。
ヌーベル六甲が取り壊された。
80年代おしゃれ六甲の象徴だったというレンガ調ビル(naddist12・4号参照)。
俺は90年代の姿しか知らないが、あやしげな迷宮の底へ酒場や音店をときどき訪ねた。
灘センター街の魚屋と果物屋が店を閉めた。水野家は斜向かいに移転。
店舗を押し退け商店街に面して建ったのは、またもやW田興産のマンション。チッ。
摩耶ケーブルがダウンした。
多くのクミンがヒヤヒヤしながら行く末を見守った。
存亡の危機を乗り越え見事に復活したのは、灘的にはもちろん神戸市的にも朗報だろう。naddist氏提供
そしてJR灘駅舎。橋上化へ建て替え工事が始まった。
築70年とも80年ともいわれる老駅舎は、
小ぶりな中に昭和初期のエレガンスを漂わせていた。
多くのクミンが自らの中にある「時代」を投影し、失われゆく姿を惜しんだ。
いま気付いたが、この駅舎、JBと同世代なのだった。趣はまったく違うけれど。

時代は移ろい、街は変わる。
巨星の時代が過ぎ去るのも、ランドマークが消えるのも
それぞれに理由があり、事情がある。それは分かる。
去りゆくものを惜しみつつ、頭の隅に「エゴ」というイヤな言葉もちらつく。
独りよがりのマニア志向や懐古趣味に陥りたくはない。それも分かっている。
分かっているが、しかし…。
どこか急ぎすぎてはいないか。何か重大な見落としはないか。
なんともいえぬ違和感は単に歳を取ったということなのか。
年の瀬の感傷が押し寄せる。

●今日の灘ノオト:Cold Sweat / James Brown

  原始ファンクの地熱たぎる圧倒的マスターピース。この68年のライヴ盤以降も
  何千回と演奏され磨かれた。帝王の強靭なシャウトを灘の墓碑銘に捧ぐ。合掌。


2006年12月24日(日曜日)

結局「朝帰り」

カテゴリー: - MJ @ 00時45分08秒

クリスマスに踊る年齢はとうに過ぎ、
というより、そもそもそんな行為が全然似合わないのは百も承知だが、
今晩はガマンできずついつい行ってしまった。
小竹親とカサスリムの「夜な夜な」ライヴショー。
ポッドキャストラジオ番組から生まれたブルース(といっていいのか分からんが)デュオ。
灘中央筋のハンドレッドタイムスで、題して「びっくりくりくりクリスマス」て…どないやねん、そのタイトル。
   
親は風貌こそ脂ぎっているようにみえるが、ほんまええ具合に枯れている。
カサやんはヨレヨレのブルースマンのようでいて、フォークシンガーの詩心を持っている。
「ぽてちんこ」だ、「よろちくび」だと下ネタ満載ながら、根は純情だったりする2人。
「自転車で行けるよ」や「茜の子守唄」や「Members Only」をじわわっと感じるうち、
結局、クロージングテーマ「朝帰り」まで。
きょうはあかん、仕事せなあかんのに…。
2人とお店が一緒になって楽しんでいるような、ひとヒネりもふたヒネりもある演出とメニューに
すっかり足止めを食らった夜だった。
こんなクリスマス、悪くないわな。

●今日の灘ノオト:You Gotta Move / The Rolling Stones

  「大好きな曲を」って、いきなりこんなド渋のカントリーブルースをかます2人。
  F・マクドウェルという人の古い歌だが、このストーンズのカバーが有名(か?)


2006年12月20日(水曜日)

サンタが町に

カテゴリー: - MJ @ 08時00分00秒

先日、商店街ライヴがあるというので灘中央筋に出掛けたら、
女性サンタがバンドを率いて「Santa Claus is Comin’ to Town!」と自らのテーマソングを歌っていた。
B.B.キングがライヴの始まりに「Hey Everybody!B.B.King is in Town」と歌って沸かせるのと同じだ。
聞き覚えのあるパワフルな歌声は「中央筋の歌姫」こと、のりさんだった。
「N.B.R」というユニット名だったので、
その場にいたハンドレッドタイムスのちっち氏に「何の略ですかね?」と尋ねたら
「灘ベロベロ連合」
と言ってニヤリと笑った。「灘区ベーシスト連盟(灘ベ連)」のちゅーやんさんがメンバーにおられたので、
その関係かと思ったのだが、灘の酒飲みの集いということなのか。いいねえ。
キャロル・キングなどを挟み、オーディエンスへのサービスタイム。
「ホワイトクリスマス」のインストに乗ってステージから歩み出たのりサンタ、白い袋からお菓子を配って回る。
群がる子供たち。
これまた、B.B.キングがピックやらバッジやらを配り、ブルースファン(まあ大抵おっさん)が群がるのと一緒だ。
僕もビスケットをいただいた。商店街の奥さんたちの手作り水餃子もふるまわれ、こちらも遠慮なく。
どうもごちそうさまでした。

というわけで、クリスマスである。
ニッポンの師走はもはや一にクリスマス、二に忘年会、三にバーゲンときて、
最後の数日でやっと「年の瀬」といった感がある。
灘でも市場を歩けば「プレ正月」的雰囲気だけれど、食料品店の割合が比較的低い商店街やショッピングセンター的なところはだいたいクリスマス一色でしょう。水道筋のBGMは11月初めからクリスマスソングだったし、
12月に入れば6丁目のおなじみ「ルミナーダ」を筆頭に、店や家々が競ってイルミネーションを灯す。
うちの近所の病院では、光るサンタが11人に電飾トナカイが2頭並んでいたりする。

当然ライヴもクリスマスものが目白押し。今週末に限っても
22日(金)はな也で、牧師でもある川上盾さんとFrom Now Onがスマトラ沖地震被災地へ向けたチャリティ。
23日(土)はハンドレッドタイムスで、小竹親とカサスリムの「夜な夜な」コンビによる濃過ぎるイヴイヴ。
24日(日)はCafé P/Sで、下村明彦さんからの歌の贈り物「下村サンタのChristmas Night」。
以上は店も出演者も水道筋ミュージックストリート仲間だが、
ほかにもあるだろうと検索してみたところ、
阪急六甲のMaiden Voyage、 六甲山のオルゴール館ホール・オブ・ホールズ
といったあたりがヒットした。意外に少ない。六甲道やHATあたりのショッピングセンターとか小さなジャズ・スポットとか六甲山上のホテルとか、もっといろいろあってもよさそうなもんだがなあ。
もちろんキリスト教各派の教会ではミサがあるから、それに合わせてクワイアやハンドベルのコンサートを開く所もあるかもしれない。「こんなんあるよ」という方はナダタマまでお知らせください。
実は、僕も25日(月)にthe twins with MJというイカツい(顔が)セットで「クリスマスうどんディナーショー」
というアクロバティックな企画をやるのだが、これは残念ながら北区なので告知はほかで。

●今日の灘ノオト:This Christmas / Donny Hathaway

   クリスマスソングはどれも結構好きです。ほっこりとして、気ぜわしくもあり。
   この歌はダニーが同胞に遺したプレゼント。ワタクシの心の師匠なのです。


2006年12月13日(水曜日)

お百度スウィートホーム

カテゴリー: - MJ @ 08時58分18秒

♪Come on,Oh baby don’t you wanna go(×2)
   Back to that same old place.Sweet home Chicago♪

大定番ブルースを口ずさみながらブギウギロードを下る。
ブギウギロードとは? 天城通から水道筋へ向かう道、灘中央筋の北側あたりをワケあってそう呼ぶ。
黒人音楽好きにはたまらんネーミングだが、実は音楽とは関係がない。「ウキウキ」気分になぜか濁点が付いて…早い話が駄洒落である。
しかし、さらに下れば本物のブルース喫茶が待っている。畑原市場の入口を過ぎてすぐ、水道筋と交差する手前。
カフェ・ハンドレッドタイムス
「×100」とロゴにある。「100倍」あるいは「100回」の意味。
その昔、ブルースマンたちが腕を磨いた米国南部のバレルハウス(安酒場)のような木目の外観。
壁には何枚かのレコジャケ。ハウリン・ウルフ、バディ・ガイ、ロバート・クレイ、ケニー・バレル、憂歌団…。
それからセミアコのギター。ライヴのポスター。過去の出演者たちのCD。さらに幕の内弁当復活を告げるチラシ。
昼どきはメシ処として、夕方まではお茶処として、夜にはオト処として。
買い物帰りのおばちゃんも、パンチパーマのおっちゃんも、昼休み満喫の課長さんも、メールに夢中のOLさんも、みな等しくブルースの肖像に囲まれる。その光景が愉快だ。
残念ながら…といおうか、ふだんのBGMはFMが多い。震災で商売替えするまでは「ブルースの流れる花屋」だったらしいのだが。
花束とブルース。ほとんど異種格闘技。

♪Well,One and one is two,Six and two is eight
   Come on baby don’t ya make me late♪

店主はちっち氏という。丸い眼鏡と、いつも後ろ前にかぶったキャップがトレードマーク。
口にするのにちと照れる、その可愛らしい名に反してブルースへの情熱抑え難く、町の花屋をブルース喫茶に
変貌させた張本人。情熱さらに止み難く、今年から月に1〜2回、夜のライヴ営業を始めた。
ラインナップはブルースばかりではない。コンテンポラリーな男性デュオ、女性Voのジャズやポップス。
「キャパ? 目一杯で20人ちょっとやろなあ」という通り、こじんまりしたアットホームライヴハウスである。
サンダル履きで、夜限定の旨いアテをつつきながら、ゆったり酒と音を楽しむ。そんな感じが似合うハコ。
それが、水道筋ミュージックストリートでは40人あまりが店に詰め掛けエラいことになった。
「ドア越しの立ち見も入れたら50人ぐらいちゃう? 途中で数えるのあきらめたわ。動かれへんねんから」
狂気の沙汰である。ちっち氏が撒き散らすブルースに町中が感染したとしか思えない。

 ♪Hidehey,Baby don’t you wanna go 
    Back to that same old place. Sweet home Chicago♪

もう一つ、個人的なつながりがある。
僕が会社勤めをしていた当時。会社を辞めようかという頃。フリーランスになった現在。
要所要所でとても世話になった先輩の、ちっち氏は同級生だったのである。この店へライヴを見に行くと、
一画に賑やかな同窓生テーブルがあったりするが、そこに集う人たちはみんな僕の先輩の友人たちだという。
つい最近知ったことだ。
へええ。ここにも縁(えにし)があった。たしかに坩堝(るつぼ)の中に僕はいる。
ブルース喫茶で、ライヴハウスで、先輩の同級生が集う店。
こうしてカフェ・ハンドレッドタイムスは、100回行ってもまた帰りたくなるスウィートホームとなる。
あの歌のように。

 ●今日の灘ノオト:Sweet Home Chicago / Robert Jr.Rockwood

   伝説のロバート・ジョンソンが原曲となるブルース界随一のスタンダード。
   先月91歳で亡くなったいぶし銀男ロックウッドを偲び、彼のバージョンを。


2006年12月6日(水曜日)

鬼も笑う宣言〜SMS次へ

カテゴリー: - MJ @ 21時53分32秒

トップページのおすすめプロジェクトに置いてもらっている「水道筋ミュージックストリート」のバナーが
微妙に変わっていることに、どれだけの方がお気付きだろうか─。というか、僕も数日前に気付いた。面目なし。
開催日が「2007・11・10(sat)」になっている。
そう、来年もやることになったのである。報告が遅れてしまったが、先日の打ち上げでそういう話がまとまった。
といっても「やる」と決まっただけで、中身はまったくこれから。
今年はほんま奇跡的にうまくコトが運んだ。何度も言うが、温かいお客さんとミュージシャンたち、それにお店や
スタッフ全員の熱意のタマモノだと思う。
が、初回ゆえに至らなかったり物足りなかったりした部分や、やってみて初めて「こうしたほうが良かったかな」と反省したり指摘を受けたりする点もあった。その辺をゆっくり話し合いながら、さらにオモロい一日にできればと思う。
…なんか学校行事の校長挨拶みたいになってきたなあ。エラそーですいません。

「さらにオモロく」とはいっても、急に規模を拡大したり、大物ミュージシャンを呼んだり、デカいホールを借りたり、どっかからゴツい予算を引っ張ってきたり、「カッセーカ」だの「マチオコシ」だのを謳ったりするつもりは(個人的には)まったくない。自分たちの手に余る大風呂敷を広げても、しんどいだけで全然楽しくなんかないだろうから。
好きな街の、ええ感じの店で、ホンマに魂のある音楽を聴きたい(あるいはやりたい)。
ただそれだけ。ほんま、アホくさいまでにそれだけである。その原点の想いだけがあればいい。
じゃあ来年も成功したとして、その次はどうするか(鬼が腹抱えて笑うぞ)。
これもまったく個人的な考えだけれど、その都度考えるしかないんとちゃうかなあと、今は思っている。
「続けること」の大切さや、そのための努力が生むパワーも分かっているつもりだけれども
それのみが自己目的化した時の空虚さというか痛々しさというか、
「なんでこんなことやってんねん」という状態に陥ってしまうと元も子もない。負の引力とは恐ろしいもんである。
考えてみれば、今回だって「店同士の親睦ボーリング大会のノリでいこや」とか何とか言ってたぐらいだ。
楽しくないボーリング大会をムリヤリ続けるやつなどいない。逆にいうと、続けたくば楽しくせにゃいかんのだ。
…なんか青臭くなってきたなあ。まるでナカタヒデトシ的だ。

ま、何の具体的なプランもないまま、あれこれ考えててもしょうがないわけだが、
ふと日付の入ったバナーを見て、来年への決意を新たにしてみました。
とりあえず、皆さん次回もよろしくお願いします。

 ●今日の灘ノオト:Sing a Simple Song / Sly&the Family Stone

  スライの破滅的ノー天気さが炸裂した完全躁状態のファンク・ロック・ナンバー。
  「大切にせないかんのは結局シンプルな歌や」。いやはや、そういうことですな。


2006年12月4日(月曜日)

縁の坩堝(えにしのるつぼ)

カテゴリー: - MJ @ 15時02分55秒

俺はロックンローラーだった。
と、勢いで書いてしまうと、とても恥ずかしいが
ローリング・ストーンズとRCサクセションを筆頭に
ドクター・フィールグッドとかニューヨーク・ドールズとか山口富士夫(村八分)とか
退廃的でルーズなビート感を漂わすギターバンドがたまらなく好きだった。
北の高校生バンドでギターをぶら下げて、そんな人たちのふるまいを真似ていた。
単純である。
彼らの語るルーツには必ずといっていいほどブルースやR&Bがあった。
マディ・ウォーターズとかスリム・ハーポとかオーティス・レディングとかウィルソン・ピケットとか。
だから俺もそういう黒人音楽に憧れた。
北のレコード屋でなけなしの金をはたいて必死に輸入盤を取り寄せていた。
涙ぐましいほど単純である。
けれども、ブルースやR&Bは「やる音楽」ではなく「聴く音楽」だと割り切っていた。
バンドでやるのはあくまでロックンロール。そういうスタンスがカッコいいと信じていた。
その、どこか斜に構えたコレクター的態度が既にロックンロールじゃないのだが…。

そういう勘違い坊やが京都の大学に入ってすぐのころ
「アホか。四の五のゆわんと、やりたいことやったらエエねん」という人に出会った。
ファンキー松田といった。バカバカしいほどストレートな名前である。
「どこで買うねん、それ」という浜村淳的キンキラ衣装で
ホーンセクションとコーラス嬢を含む大所帯バンドを引き連れて、大学の構内でソウルショーをやっていた。
まだ20歳ぐらいだったはずだが、既におっさんだった。そして、既に立派なエンターテイナーだった。
熱唱する時は熱唱する。カッコつける時はカッコつける。笑かす時は笑かす。スケベエを言う。客をいらう。
すべてに衒いがなかった。「アホちゃうか」というぐらい直球だった。
衝撃を受けた。中高時代を北の地で、妙にねじくれたコンプレックスみたいなものを抱えて過ごした俺からすれば、そのストレートさがとても関西的に映ったのだろう、いま思えば。俺は彼に憧れた。教えを乞うた。ずいぶん可愛がってもらった。最初の「師匠」といえる人だ。
あれから、長い時が過ぎた。
「アルバムを出した」「FMに出ていた」などと名前を耳にすれば懐かしく思うものの、いまの俺には「遠くにありて思うもの」という存在になっていた。
そのファンキー松田が水道筋にやってくる、と聞いた。8日に「な也」で一足早いクリスマスショーをするのだと。
どこでどう繋がったのか詳しくは知らない。
が、俺の暮らす街、俺の最も親しいハコに、かつての師匠がやってくるという。
胸が高鳴る。と同時に「おっさん大丈夫か。頑張れよ」と、余計な気遣いまでしてしまうのだ。

奇縁をもうひとつ。
同じく「な也」で22日にライヴをするFrom Now On
鍵盤と歌の奥本めぐみ、ギターと歌の谷Inkou。京都は伏見を拠点とするデュオである。
今夏「カフェ・ハンドレッドタイムス」で水道筋に初登場、先月のミュージックストリートでも大喝采を浴びたので
知っている人も少なくないと思う。
めぐちゃんとは、今年の春「Singer’s Delight」にゲスト出演してもらったのが最初だった。
よく聞いてみると、彼女は元灘区民であった。そして、震災まで神戸に住んでいた。
それまで全く別の仕事をしていたという。震災の体験が、彼女を音楽に踏み切らせた。
10年あまり経って、帰巣本能のようにいくつかの縁を手繰り、彼女は灘に帰ってきたのだ。
ついでにいうと、彼女は俺と生年月日がまったく同じである。だからなんだということもないが、これも縁である。
それから、彼女はファンキー松田のアルバムに参加したことがあるという。これまた縁である。
そういえば、彼女を紹介してくれたマンボは俺の古い友人で、ファンキーのバンドで長く活動していた。縁である。
さらに、彼女が根城にする伏見は、灘と同じく名だたる酒処だ。やはり縁である。
いくつもの縁がつながって、重なり合って、グチャグチャになって、溶けて交わる只中に俺はいる。
俺にとって、水道筋は縁の坩堝である。

 ●今日の灘ノオト:Pain in My Heart / Otis Redding

  20歳のファンキー松田が十八番にしていたオーティス初期の名バラード。
  切々とした歌い口。レコーディング時、22歳になったばかりだと。信じ難い。


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