♪街のどこかに さみしがりやが一人
今にも泣きそうに ギターを弾いている♪
畑原市場を3軒ほど飲み歩いて、ほろほろと自宅へ。午後10時半。天城通に差し掛かると、ポロンポロンとギターの音が…。界隈で一軒だけ灯のともる吉田酒店。開け放ったドアから夜風を誘い込みながら、戸口の縁台でご主人がクラシックギターを手にしている。
「まいど、です」
「あ、どーもどーも。いまお帰りですか」
「いや、ちょっとその辺で呑んでて。ええ音聞こえたもんで」
「はは、お恥ずかしい。発表会近いんで練習せなあかん思って」
吉田さんは3年ほど前から近所でクラシックギターを習っていて、その発表会が月末にあるのだそうだ。
「へえー。クラシックギターって、僕らがじゃかじゃかブルース弾くのとはワケが違うんでしょ」
とかなんとか言いながら、するりと縁台に腰掛ける。もう閉店間際だろうに嫌な顔ひとつせず、お猪口に試飲用の大黒正宗を注いでくれる吉田さん。すいません、じゃ一杯…いや、それが目当てだったわけでは断じてない。物寂しげな秋の夜、ナイロン弦の紡ぐ柔らかな音色に誘われたのである。
♪愛をなくして 何かを求めて
さまよう 似たもの同士なのね♪
吉田さんも僕も、別に愛をなくしたわけでも、さまよっているわけでもない、とりあえずは。しかし、時たま息抜きにギターを弾いて遊ぶという点では似たもの同士である。吉田さんの爪弾く曲を肴に、しばし緩い時間を過ごす。
「何の曲ですか」
「これね、『アストリアス』いうんです。スペインの」
「ふーん哀愁ですなあ。指もまたよう動いて」
「もう1年ぐらい練習してますねん」
同じ曲を演奏するのでも、レベルの向上につれて細かいフレーズとか強弱の表現とか、要求される難易度が上がってくるらしい。だから1曲を1年近く抱え込むこともある。適当にコードを探して歌を載せればそれでゴキゲンという僕とはワケが違うのだ。
「ちょっと僕もやってみていいですか」
「あ、どーぞどーぞ」
「一気にズァン!とコード弾きするとこなんかは気持ちよくできそう」
「その鳴らし方がまたいろいろあるんですわ」
マネをしてちょろちょろ弾いてみるが、油断するとすぐに手クセが出て、知った曲やフレーズに持ち込もうとする自分がいる。思考と忍耐力がマヒしているのだろう。酒は人間の本性と能力の限界をあぶり出す。クラシカルな哀愁漂うスパニッシュな名曲は、数分後、シャッフルのブルースに変わっていた。それも、常套フレーズ満載の暑苦しいやつに。
♪ここへおいでよ 夜は冷たく長い
黙って夜明けまで ギターを弾こうよ♪
ギターを抱いて一人悦に入る夜更けの闖入者に、それでもお店は温かかった。
レジの前に座っていた奥さん、
「そういう曲の方が聴けるわ。パパの弾くような静かなやつは眠くなって(笑)」
この懐の深さ。酔客を優しく包み込む太陽政策のごとしである。その言葉にすっかり満足して、僕はギターを置いたのだ。
吉田さんの発表会は28日に王子公園西の「Café de 佛蘭西」であるそうだ。
●今日の灘ノオト:Blue and Sentimental / Ella Fitzgerald & Joe Pass
歌ジャズのファーストレディとギターのヴァーチュオーゾ(巨匠)、
余裕の共演。まったりとブルージーなデュオで秋の夜長を。